第7話
「おや、谷岡さん。奇遇ですね」
「奇遇とはおかしなことを言うのう。お主がチャイムを鳴らしたから、わしは出てきたんじゃが」
「いえ、そのことじゃないですよ。あなたがゴミ箱をいじったあとにカラスが死んだことについてです」
「ほう、そりゃ奇遇じゃの」
そう言いつつも驚いた様子は一切ない。カラスが死んだことに何も疑問を感じていないのだ。ただ残念に思っているだけ。
「何をなさったんですか?」
「わしはただ、カラスがゴミを食い散らかさんように対策をじゃな……」
「カラスを守るために?」
動揺。やはりカラスが死ぬことを知っていた。これで確信が持てたな。
「しらばっくれても無駄ですよ。大事そうに抱えてた袋の中身。まだ処分していませんよね?」
「……なんのことじゃ?」
「あなたはカラスが死ぬとわかっていながらも、ただ、指を咥えて待っていただけなんですよ」
袋の抱え方。あれは証拠を隠すための疎ましい気持ちからではなく、壊したくないという願いからくる動きだった。だからこそ、それを否定してやれば、心は悲鳴を上げて違うと叫びたくなってしまう。大切であればあるほどに、損得勘定を忘れ、感情に正直になるのだ。
「あなたは見殺しにしたんだ。いや、むしろ積極的に殺していたんですかね?」
「……帰っとくれ」
「否定しないってことは、やっぱり図星だったんですね。守るため、なんて建前はやめましょう。本当は楽しかったんです。一度、奪う喜びを覚えてしまったら、忘れられませんよねぇ」
「黙らんか!」
「いったい、どれだけ殺してきたんです? 十羽? 二十羽? あるいは数百羽? 丁度この家からはあの路地がよぉーく見えますからね。死んでいく様を観察するのはさぞ楽しかったでしょう」
「お前なんぞと一緒にするな!」
「私と一緒? つまり、その喜びを理解できるってことですかね? でなきゃ同類なんて概念、思い浮かびませんものね? やっぱり楽しかったんですね」
「違う! 違うんじゃ……」
ほら、言った。だけど、そういう正直なところ、好きだぜ?
「何が違うんです? 死骸を袋に詰めて、鑑賞して、楽しんでいたのでしょう?」
事実なんてどうだっていい。袋の中身が死骸だろうが、守るための道具だろうが、なんだってな。谷岡が否定を繰り返し、口を滑らせてくれさえすればそれだけで満足だ。
「わしは! わしは防ぎたかったのじゃ。無用な殺生を、続けたくなかったのじゃ……」
携帯を取り出し、録音を再生する。続けたくなかったと、そう自白した瞬間を。
「さて、これを公表してしまえばどうなるか。わかりますよねぇ、先生?」
焦りの表情。守ると言いながらも手を打たず、自己満足で終わっていたあんたが悪いんだぜ? その自己満足を続けたきゃ、やることはわかってるよなぁ?
「ここに十万円の水晶玉があるんですがね。これ、
「それを買えば、そのデータを消去してくれると、そういうわけかね」
「……ええ、まあ、話が早くて助かります」
ああ、クソ。こいつは金にならないやつだ。焦りはすでに鳴りを潜め、諦めの境地に達している。老い先短い老人はこれだから。
「公表するならすればええ。これでわしも開放されるじゃろうて」
「……はぁ。あーあ。興ざめだよ、爺さん。あんたのためになんで俺が苦労しなきゃなんねぇんだ。金にならないんなら意味ねぇんだよ」
「それがお主の本当に姿かね?」
「本当の姿? ハッ! バカバカしい。全部俺だよ。行動原理は金のため。いつだって俺はそうなんだよ」
「ふむ。そうかいの」
「わかったような口聞きやがって。胸糞わりぃ。データは消してやる。自白したいんなら自分の力でやれよ」
谷岡邸に背を向けて、路地裏へと戻る。爺さんの声なんて、もう二度と聞きたくない。俺はスマホの音声データを消去した。
路地裏周りの騒ぎは既に収束しており、そこにいる人間と言えば、談笑しているおやっさんと店長だけ。由利の姿はどこにもない。
店へ入ると数組の客が増えただけで、騒ぎの影響は落ち着いていた。皆が他人事だとそう思っているのだ。
元の席へ戻ると、メニュー表とにらめっこしていた由利が顔を上げた。
「あ、お疲れさまです!」
「いえ、大丈夫でしたか?」
「はい。でもびっくりしましたね」
「そうですね。さて、気分転換にどうです? 占いの続きとか」
「あ、そうでした! ぜひぜひ、お願いします!」
邪魔するおやっさんはいない。今日は色々とストレスの多い日だ。こいつは俺にとっての疫病神に違いない。思えば、こいつと一緒に居る時に限って何もかもが旨く行っていない気がする。それなら、たっぷり懲らしめてやらないとなぁ。
姓名占い用の紙を取り出そうと鞄へ視線を移す途中でスープを運ぶ店員が目に入った。丁度できたか。運のいい奴め。占いは食後の腹ごなしにでもやってやろう。そう思っていたのだが、店員は別の机へとスープを運んでいくではないか。おいおいおい、先に店に着いたのも、先に注文したのも俺たちのはずだろう?
「お待たせしました。アスパラガスのポタージュでございます」
やっぱり俺たちが頼んだスープだ。おかしいだろ。客も客で、こっちを勝ち誇ったような目で見てくる。ああ、イライラする。
むっとした顔でスープを運んだ店員を見ていると店のベルが鳴り、おやっさんたちが店へと戻ってきた。
「おう、待たせたな」
「お疲れさま~」
「おやっさん、外に出たから料理を後回しにされちゃったじゃないですか」
「マァ、そうかっかするな」
次のスープはいつできるのかと、厨房の方を見た時、厨房から覗く顔に見覚えがあった。何だったか……。そうだ、斎藤だ。斎藤が宣慶を殺した時の、期待と興奮に満ちた、若干の罪悪感を孕んだあの顔だ。
その視線の先には先ほど運ばれたアスパラガスのポタージュ。ああ、クソ! そういうことかよ!
「おい! それを食うな!」
「な、なんですか」
「お、お客様、どうしました?」
邪魔な店長の肩越しに見える厨房の男が焦りながら、窓の影へとさっと移動した。
「それを食うなって言ってんだよ」
「どうした菊川」
「お客様落ち着いてください」
うるせぇ! 死人が出るぞ!
「毒だ! 毒が入ってる!」
「菊川、落ち着け。根拠は?」
「根拠? そんなもの、あの男に聞いてくれ!」
「お客様。他のお客様のご迷惑となりますので……」
「それを食うなって言ってんだよ」
怪訝な顔の客。店長が俺に掴みかかる。ああ、そうかよ。俺は忠告したからな。自殺したいんなら好きにしろってんだ。
「あまり騒ぎ立てるのなら、営業妨害で訴えますよ?」
「待ってください! 菊川さんは、そんな、自分勝手に嘘をつく人じゃありません! きっと、わけがあるんです。だから少しだけ、少しだけ待ってください……」
お前に俺の何がわかる。まだ会って何日も経っていないのに、何がわかるっていうんだ。こんなやつほっとけばいいんだよ。
尻すぼみになっていく由利の声に他の客の視線が訴える。何を虐めているんだ。話くらい聞いてやったらどうだと、そう言うように。
力を持たない存在は偉大だねぇ。弱さを見せるだけで世論が味方をしてくれる。そして、力がないからって理由で、すぐに周りに助けを求める。何もかもが思い通りに動いて、満足かよ。
「ふぅー。……確かめるのは簡単です。ねぇ、料理長さん! 自分で用意した料理なんですから、飲めますよねぇ?」
「いい加減にしてください! さっきから何なんですか! お帰りください!」
死人が出たら困るのはお前だろうが。状況の飲めない無能な店長め。
「さて、何を入れたんですか? ほら、白状してください?」
影が右へと動いた。証拠はそっちか! だが、店長が邪魔で動けない。
その時、おやっさんが内ポケットから警察手帳を取り出した。
「警察です。厨房に彼の荷物はありますか?」
「あ、あなたまで!? 職権乱用ですよ? 何もなかったら、通報させていただきますからね!」
「その時の責任は私が取ります。ひとまずは協力を」
おやっさんの睨みに店長が怯み、頷いた。
「な、何もなかったら、責任とってくださいね」
「ご協力感謝します」
その言葉と同時に、ガチャリと扉の閉まる音がした。厨房へと飛び込むも、そこに男の姿はなく、証拠があったであろうロッカーは開け放たれて、めぼしいものは消えていた。
「おやっさん。肉体労働は……」
「ワァってるよ! オメェの領分じゃネェっていうんだろ!」
叫びながら裏口を飛び出すおやっさん。逃げただけでも証拠としては十分だし、店長を言いくるめられるとは思うが、がんばってくれよ。
俺の心配をよそに、流石は現役の警察官。タバコでボロボロの肺であっても逃げた男をとっ捕まえて、引きずってきた。
「あったぜ」
息を切らしたおやっさんの手には遮光ガラスの小瓶が握られ、ご丁寧にもスタチマコチンとラベルが貼ってあった。
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