第6話


 赤く輝く夕日が街を照らす。暖色のくせして、暖かさの欠片もない。通りに吹くビル風が何の遠慮もなく俺から体温を奪っていく。ああ、遅い。寒空の下に何分待たせるんだ。約束の時間まであと五分。学校では五分前行動を教えてないのか? 義務教育だろうが。


「にゃぉーん」

「お、どした?」


 声のする方を向けば、黄土色の縞猫が俺を見つめている。ゆったりと尻尾を揺らし、これまたゆったりとした足どりでこちらに歩いてきた。


「にゃー」


 手を伸ばしても逃げる様子はない。首の下を撫でてやると気持ちよさそうに目を細め、ゴロゴロと喉を鳴らした。随分と人馴れしている。首輪もしているし、どこかの飼い猫だろう。


「何だ、お前。かまってちゃんだな」


 足に擦り寄り、こちらが手を離せば撫でろと言わんばかりに動きを止めてじっとこちらを見てくる。俺は猫の気が済むまで頭や首、背中に腹など、思う存分撫でてやった。


 猫は天の邪鬼なところもあるが、素直な生き物だ。自分の欲望に忠実で、遊んで欲しければ構えとこちらの邪魔をするし、気分が乗らなければいくら呼びかけても見向きもしない。


 しばらくして縞猫は満足したのか、何も言わずに鈴を鳴らして去っていった。


 立ち上がり、通りを見ると遠くにおやっさんとその隣には女の姿が。おいおい、嫌なもん見ちまったぜ、まったく。


「おう、早いな」

「そうですか? それよりその人は……」

「こいつか? 俺の娘だ」

「は?」

「元々はこいつと食事の約束をしてたんだがな。お前が無理やり日程を決めたから、連れてきた」

「ああ! やっぱり! この間はありがとうございました!」

「ん? なんだ、知り合いか?」

「ええ、まあ」


 おやっさん、露骨に警戒すんな。これっぽっちも手を出しちゃいねぇよ。


「ほら、お父さん。この前話したじゃない? バイト先で助けてくれた……」

「ああ、あれか。まさか菊川だったとはな。珍しいこともあるもんだ」

「ええ、本当に。偶然ですね」


 ああ、わかってる。おやっさんの言いたいことはわかってるさ。あれだろ? なにか裏があるんじゃないかって言いてぇんだろ? 単純に早く帰りたかっただけで、助けたつもりなんてないんだな、これが。


「ねえ、もういいじゃない? 私、おなかすいちゃった」

「ハハハ、そうだな。行こうか」


 それで助け舟を出したつもりか? たいして空いていないだろうが。あーあ、やだねぇ、人間は。簡単に嘘をついちまうんだから。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 小綺麗な白壁に赤い屋根の建物。ガラスのドアにはCLOSEの文字がかけられ、その奥はブラインドで塞がれている。


「少し早く着きすぎちゃったね」

「そうだな。ハラは大丈夫か?」

「あ、うん。私は大丈夫。菊川さんは?」


 あまりこっちに話を振るな。おやっさんが警戒する。


「俺も大丈夫です」

「そっか。よかったぁ。まぁ、気長に待つしかないですよねぇー。……うーん? ねね、お父さん。あれ、何やってると思う?」


 見れば、店横の路地裏で爺さんがゴミ箱周りをゴソゴソと弄っている。ああいう怪しいやつには関わらないのが吉だ。金も持ってなさそうだしな。っておい!


「すいませーん。何してるんですか?」

「ああ? 何じゃあ。この店のもんかあ?」

「いえ、私達はお客さんとして来ただけで」


 おやっさんも爺さんの方へと歩いていく。後ろ姿からでもわかるぜぇ。相当気が立った顔しているんだろうな。しかし、それもすぐにおさまる。


「お? 谷岡先生じゃあネェか」

「うむ? おぉ、葛西クンか。どうしたんじゃ、こんなところで」


 どうやら知り合いらしい。由利もそのことは知らなかったようで、おやっさんに無言の疑問符を投げた。


「ああ。この人は、谷岡ドブロクさん。昔世話になってた先生だ」

「今は引退して、隠居生活を謳歌しておるがの。ともあれ、よろしくじゃ」

「こっちは娘の由利」

「よしくおねがいします!」

「んでこっちは……菊川藤次郎だ」


 おいおい、おやっさん。俺との関係を説明するのに悩んだな? 客と占い師。言わば俺だっておやっさんの先生だろうが。


「よろしくおねがいします。私、占い師をしておりまして、お困りの際は是非ご連絡を……」


 名刺を渡そうとしたら弾かれた。おやっさんめ。痛いじゃねぇかよ。


「……それで、先生はこんなところで何やってたんですかい?」

「そうじゃった、そうじゃった。カラス対策じゃよ。ほれ、ついでじゃ。そっちの網を持ってくれるかいの?」

「あ、はい……」

「これですか?」


 ああ、もう、面倒な。なんで俺がこんな、を手伝わなきゃいけないんだ。爺さんはただ、袋の中身を見られたくないだけだろう?

 いいさ、いいさ。そんなものに興味はないんだ。適当にどこかへ消えてくれ。このタダ働き分はおやっさんに支払ってもらうことにするよ。


「ふぅ。助かったわい。ありがとうのう」

「いえいえ。いつもお一人でなさってるんですか?」

「そうじゃよ。この店の奴らには再三言っておるというのに、まったく相手にせんで、散らかり放題じゃ」

「そうだったんですね」

「まあ、最近ようやっと数が減っては来たがのう」

「それは、頑張ったかいがありましたね。すごいです!」

「……そういえば、客として来たと言うておったの。やめといたほうがええぞ。こんな店」

「あ、あはは……」

「それはどうしてです?」

 

 その問いに爺さんは答えず、荷物を担いで路地裏へと消えた。


「いろいろ溜まってるもんがあるんだろうな」

「なんか、ごめんね。せっかくお父さんが連れてきてくれたのに……」

「由利が謝ることじゃネェだろう? な、菊川?」

「ええ、まあ」


 どうだろうな。万引のやつだって変に首を突っ込んだから騒ぎになったんだし、今回は怪しげな爺さんに話しかけて、不当な労働を強いられた挙句、これから入るつもりの店の悪評を聞く羽目になったと。


「さて、ちょうど開いたみテェだな。ほら、行くぞ」


 鐘の音を響かせながら扉を開くと、丸テーブルを数個並べただけのこぢんまりとしたホールに、奥には厨房の見える窓がある。俺たち以外にまだ客は来ていないからか、厨房の中ではコックが神妙な面持ちでこちらを見ていた。


「いらっしゃいませー。お好きな席へどうぞ」

「ここでいいか?」

「うん」

「はい。大丈夫です。おやっさんは以前もここに?」

「ああ。同僚と一緒にな。そん時食べたお好み焼きが旨くてなぁ!」


 こんな店構えでお好み焼きとは、雰囲気ぶち壊しだな。とはいえ、本気で美味しいらしい。目がそう訴えている。おやっさんの舌がタバコの煙でイカれていなければの話だが。


「あれ? ねえ、お父さん。メニューにお好み焼きがないよ?」

「おかしいな。店を間違えたわけじゃネェと思うが……。すんませーん!」

「はい! ご注文はお決まりでしょうか」

「いや。ここってお好み焼き、なかったか?」

「申し訳ありません。もうやってないんですよ」

「おう、そうか。呼び立てて悪かったな。なら、どうすっか……」

「でしたら、アスパラガスのポタージュがおすすめですよ。今日できたばかりの新作で、当店料理長の自信作なんです。新雪の中で育ったアスパラガスは……」


 予め用意していたマニュアル通りのセリフ。自分が作った訳でもないのに、よくもまあ、そんなペラペラと語れるもんだな。


「わあ、美味しそう。じゃあそれにしよっかな」

「なら、俺もそうすっか」

「では、俺もそれでお願いします。あとは……」


 他にもいくつか料理を注文し、さらにはデザートまで追加した。おやっさんは甘いものは嫌いだと断ったが、本当は財布の中身を気にしていたんじゃないか? 抹茶のロールケーキなんて、甘さ控えめ、苦味増々。おやっさんの好きそうな味だと思うけどな。


「かしこまりました。少々お待ち下さい」



 さて、料理が出てくるまでの間に僅かばかりだが時間がある。労働の対価を回収することにしよう。身から出た錆だ。悪く思うなよ。


「そうだ、由利さん。せっかくなんで、占って差し上げますよ。お父さんから、私の職業については聞いていますよね?」

「え、いいんですか!? めちゃくちゃ気になってたんですよ!」

「お、おい」

「お父さんは黙ってて。いっつも話ばっかりで、本当に気になってたんだからね」

「だけどなぁ……」

「菊川さん、是非お願いします」


 言質は取った。おやっさんが遮る前に始めてしまおう。おやっさんも可哀そうになぁ。自分の娘を守ってやれないなんて。


「では、まずはこちらにお名前をご記入ください」


 その時、甲高い悲鳴が外から飛び込んできた。


「見てくる」

「あ、ちょっとお父さん! 私も行ってきます。菊川さんは待っててください」


 店が騒然となる中、親子揃って店から出ていく。血は争えないということか。そのまま事件に巻き込まれて、出勤なんてことになったらどうしてくれる。食事の件が有耶無耶になっちまうじゃないか。料理だってもう注文したんだ。俺に請求が来たらどうしてくれる。


 二人を追って外へ出ると、人だかりが出来ていた。その群れを掻き分ける由利の姿もすぐに見つかる。おやっさんはもう中か。現職の刑事は動きが違うねぇ。

 俺は由利を横目に人込みをすり抜けた。ある程度動きが読めていれば隙間なんて簡単に見つかるものだ。人だかりの中心には両手で口を抑えた女と、その先には数羽のカラス。どれもピクリとも動かずに横たわっている。


「どうしたんですか?」

「カラスが、死んでて、あの……」


 遅れてやってきた由利の馬鹿な質問に、律儀にも女が答えた。どいつもこいつも頭がすっからかんだ。

 おやっさんはと言うと、野次馬を相手に何やら奮闘している。そんな奴らほっときゃいいのに。数枚の写真を撮ったら群れから離れてスマホとにらめっこし始めるだろうさ。


 やや遅れて、店の裏口から店長らしき男が手にビニール袋と手袋を持って出てきた。随分と手慣れているな。


「ほら! 散った散った! 通行の邪魔だろうが!」

「申し訳ありません。お客様にこのような事を……」

「いや、いいんだ。こっちは本職だしな。それより、随分と手慣れていたが、よくあることなのか?」

「ええ、ここ一月くらいですかね。毎日のように……」

「ヘェ、そうかい。そりゃ大変だな」


 おやっさんたちの世間話に付き合っている暇はない。この様子なら警察が出動してくることもないだろう。つまりはおやっさんに逃げられる心配もないってことだ。なら、俺は好きにやらせてもらうぜ。


 俺は人混みから離れるように、路地裏の奥へと向かった。


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