第3話

「僕にできるかわからないですけど」


 手を洗って戻ってきた斎藤が頭を掻く。宴会場から持ってきたのだろうか。左手には鞄を持っていた。

 そんな斎藤を皆が懐疑的な目で見つめる。こんな男に事件解決なんてできるのだろうか。警察に任せておけばいいのでは。でも、解決してくれるのなら、それはそれで有難い。そんな声が聞こえてくるようだ。


「いえいえ。あなたなら、きっと解決できます。というか、すでに犯人の目星はついているんじゃないですか? とても力強い瞳をしていらっしゃいますよ」


 斎藤は一度俯き、顔を上げた。腰を抜かして動けない亜利紗ありさと南場を尻目に、宣慶のぶたかが横たわっている部屋を覗き込むと口を開いた。


「まずは状況を整理しましょう。ええっと、確か、菊川さんの占いが一段落ついて、宣慶さんが部屋を出ていったんでしたね」


 皆が頷く。嘘はない。斎藤は振り返り、座り込んでいる二人に視線を向けた。


「そして、亜利紗さんが探しに行って、死んでいるのが発見されました」

「つまり、宣慶が死んだのはその短い期間だってことか」


 書越ふみこしの言葉に皆の視線が亜利紗に集まる。


「えぇ! ちょっ、ちょっと待ってよ! 私が殺したって言うの?」

「アリバイがないのはあなただけなので……」

「待って。え、何? 証拠は? 証拠はあるの?」

「証拠はありませんが、動機なら……」


 斎藤が鞄から取り出したファイルにはいくつかの写真と亜利紗の行動履歴が書かれていた。


「探偵の仕事って、こういう浮気調査が主なんですよ。推理小説みたいな仕事はなかなか」

「何よこれ……」

「宣慶さんに依頼されていたんです。そして、今日、その報告をしました。亜利紗さん。浮気を咎められて、つい、カッとなって……。違いますか?」


 勝ち誇った斎藤の顔。いやに準備がいいじゃないか。さすがは名探偵。


「違う。私じゃない。私じゃないのよ! ねえ、信じて。信じてよ、みんな!」


 その言葉に答えるものはいない。皆が目をそらす。結局、人間の関係なんてそんなものだ。信じる心なんて大それたもの、存在するわけがない。


「警察が調べれば、凶器がきっと見つかります。宣慶さんを刺し殺した凶器がね。亜利紗さんの指紋もついていると思います」


 斎藤の言葉に亜利紗の瞳に涙があふれだし、両手で顔を覆った。隙間から漏れ出る嗚咽に南場の顔が歪む。密かな恋心。しかも相手は浮気も辞さない金の亡者だ。


「いやー、お見事ですね。死体発見時の手際といい、解決までの速さといい、流石は探偵さんだ。本当にこういう、事件解決! みたいな仕事はしてこなかったんですか?」

「え、えぇ。そうですね。憧れてはいましたけど……」

「ということは、脈なんかも練習なされていたり?」

「まぁ……」

「そりゃすごい。私、脈って測れないんですよね。お見せいただいても?」

「……え、ええ」


 俺の手を見てしばらく逡巡しゅんじゅんした斎藤だったが、俺の無言の催促に屈して手首に触れた。先ほどまでの緊迫した空気をぶち壊す俺の態度に書越が嫌悪感を向けてくるが、口をはさんでくることはない。知り合いに殺人犯がいるという事実をありありと見せつけられたのだ。口を開く気力もないらしい。


「どうです? どんな感じです?」

「動いてます。ドク、ドク、ドクって感じで」

「あれ、そうですか。それはおかしいですね」


 斎藤の表情が固くなる。


「えっと?」

「いえね。私、心臓の音、聞こえるんですよ」

「はい?」

「鼓膜って普通血管がないんですけどね、極稀にそういう子が生まれてくるんですよ。そうすると、どうなるかわかります? 心臓が動くたびに、その脈動で鼓膜が揺れちゃって……。だからほら、今も、ドック、ドック、ドックって。斎藤さん。脈、測れてないですよね」


 俺の嘘に斎藤が喉を鳴らし、額から汗が垂れた。そうだよな? 図星だよな? 亜利紗の悲鳴が聞こえてから、真っ先に飛び出して、宣慶の死体を見て、呼びかけるわけでも、応急手当てをするわけでもなく、真っ先に手首を触るなんてな。その時には既に死んでいるってわかっていたんだよなぁ。


「斎藤さん? どうして宣慶さんが死んでるって、わかっていたんですか?」

「それは……」

「いやぁ。初めから怪しいと思ってたんですよね。人殺しそうな雰囲気でしたもん。最初に見たときから」


 流石にわかっていたら止めている。殺しを放置するほど落ちぶれちゃいないつもりだ。


「どうして止めなかったんですか!?」


 ほら、きた。


「おやぁ。その発言。認めているようなものですよ?」

「ぅぐっ。……証拠! 証拠はあるんですか!? 僕にはアリバイが――」


 言葉を遮る。強気な発言は途中でへし折るのが一番いい。


「ありますよ。さっきからずーっと気にしているベッドの下。私の予想では――」


 まあ、何があるかは知らないが。


「ほら、あった。ワインボトルとグラスが」


 焦り、不安、覚悟、絶望。色んな感情が犇めき合い、瞳の色が絵の具を溶いたバケツみたいに汚く渦巻く。


「そそそ、それが、どうしたって、言うんですか!」


 無意識に動く視線。その先は手元の鞄。


「それは、あなたが今、大事そうに抱えている鞄の中身を見ればわかりますよ」


 さもお見通しというような顔でハッタリをかます。まあ、実際、鞄の中身を見ればわかるのだろう。


「さあ、見せてください? さあ、みんなの前で」


 斎藤がギュッと鞄を抱き込む。餓鬼のように、駄々をこねればやり過ごせると、そう思っているかのように。


「往生際が悪いですね。あなたは初めから踊らされていたんですよ。周りは成功者ばかり。売れない探偵は、憧れの事件解決なんて仕事はなくて、色恋沙汰を追いかけるだけの言わばストーカー」


 斎藤を見る皆の顔が恐怖に引きつる。そりゃそうだ。ただ、勢いで殺ってしまったわけではなく、計画的に、別の犯人を仕立て上げてまで殺したんだから。常人ならば理解ができないと、そう思うよな。

 だが、その視線も今の斎藤にはどんな風に見えるのかねぇ。人の感情は景色すらも変えてしまうのだから。


「ほら、みなさんの顔を見てください。あなたを見下すような視線。あなたを嘲笑い、格差を見せつける為だけにあなたをこのパーティに呼んだんですよ」


 思い当たる節があるだろう? 俺を最初に見たときに、お前は俺を嘲笑っていたよなあ!

 程よいストレスは思考を奪い、過度なストレスは排除を求める。ストレスの発生源は俺の口。さて、解決方法は?


「うわぁああ!」


 分かりやすくて助かる。斎藤が鞄から包丁を取り出し、俺に振り下ろしてきたが、やられるとわかっていれば避けるのも難しくはない。


 力いっぱい振り下ろされた包丁が床に刺さり、反動で斎藤の身体が硬直する。手首を抑えておいかぶされば、動きが鈍くなった。が、一対一では分が悪い。


「おい! 何やってんだ! さっさと取り押さえろ! 次はお前らだぞ!」


 書越も加わり、斎藤は完全に身動きが取れなくなる。床に落ちた包丁を蹴り飛ばすと斎藤は行き場のない感情のうねりを床へとぶつけた後、項垂れたまま、動かなくなった。



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