第12話 白い花とおまじない
わたしは目をつむる。
肌に太い筆でファンデーションが乗せられていくのが感触でわかる。
頬より奥と、鼻の側面にはシャドーが入り、顔に立体感を持たせる。
目のきわまで引いたアイラインが目尻のほうに行くほど太くなるのは、一重のまぶたを美しく装うためでもあり、目を大きく見せるためでもある。
そのままだと薄すぎる眉にもしっかりとブラシが当てられ、鼻と目尻にバランスを合わせた自然な太さの眉が描かれる。
ルールーさんの手がわたしの肌に触れるたび、わたしは綺麗になっていく。
そして、最後に唇。
ルールーさんはわたしの顎を掴み、細い筆で唇の輪郭に紅をあてていく。
敏感な唇にあたる筆の感触がこそばゆくて、顔を背けそうになると「こっちを向いて」とたしなめられた。
「あたしを見て、じっとしていて」
そう言われて、まぶたを開いてルールーさんに視線を向けた。
だけどいつもの余裕のある微笑みを消して、真剣な顔でわたしの顔に筆を走らせるその姿を見れば、さっきよりずっとこそばゆい。
もじもじ動いてしまいそうなのを、彼の伏せられた長いまつげを一本一本数えるくらいの気合でなんとか耐えた。
「うん、できた。とってもきれいよ、鏡を見てみて」
緊張の時間が終わりを迎え、その言葉に従って鏡に視線を向けると、ルールーさんに出会った日に化粧を施してもらったときより、ずっと印象が変わったわたしがいた。
あの時の化粧は、アイメイクとチークに暖色を使った。
見る人に柔らかい印象を与えられるが、派手ではないものだった。
けれど今日のメイクは、黒に濃い青を重ねたアイラインをまぶたよりもっと奥まで伸ばして目を強調し、チークもいつもより薄い色でシャープに仕上げてある。
いつも教わっているメイクとは、随分違う。
「え? どうして……」
てっきり、ルールーさんと会った日にしてもらった化粧をするものだと思っていたが、
今日のそれはあのときよりずっと華やかだ。
「ドレスに合わせてチークとアイメイクの色も変えてみたの。オレンジとブラウンは、あなたの雰囲気を柔らかくしてくれるけれど、今日の衣装には合わないでしょう? だから寒色をいれて、その分アイラインも長くして、シャープな印象を強めたのよ」
今日纏うのは、城で仕立てられた濃紺の絹と黒いレースのドレスだった。
婚約披露宴の主役としては随分と暗い色だと思ったが、リドさまのご注文です、と仕立て屋さんから告げられたのでわたしに口をはさむ余地はなかった。
しかし、この服ではルールーさんのメイクに合わないかもしれない、と思っていたが、その不安は杞憂だったようだ。
鏡に安心して微笑むわたしと、背後に回って今度はヘアメイクを始めてくれたルールーさんが映る。
ルールーさんは素晴らしい手際でみつあみをいくつも編み込むと、それをくるくるとまとめて巻き上げた。
たちまちどんなパーティーに出ても恥ずかしくない、素敵な髪形の完成だ。
「それから、これはみんなからのプレゼント」
そう言ってルールーさんは、結い上げたわたしの髪に、ちょうど右耳の上のところに、花を挿してくれた。
五枚の丸い花弁の白い花だ。その丸みは薔薇を思わせるが、花芯の近くだけ薄い黄緑に染まっているように見えるその花を、わたしは今まで見たことがない。
「天領でしか咲かないお花なの。お守りみたいなものね」
「ここでは咲かないということは、貴重なものなんでしょう? いただいてしまっていいのでしょうか」
「みんなの気持ちだもの。受け取ってあげて」
お礼を言ってから花をよく見るために鏡に顔を近づけると、わたしの目尻の少し下に、泣き黒子のように小さな星のマークが施されているのに気が付いた。
まるで、ルールーさんが道化師の恰好をしているとき、いつも頬につけているトレードマークみたいだ。
「これは?」
「披露宴の会場ではあなたは一人になるでしょう? どんなときでも、あたしたちが側にいること、忘れないでねっていう意味のサイン。一人ぼっちじゃない、と思えば心強いでしょう?」
まるでこれから戦いに行くみたいですね、と言ったわたしに、ルールーさんはその通りよ、と真剣な目をして応えた。
「何が起こっても、気をしっかりと持ってね。何を言われようと、普段のあなたでいればいいの。
その花と、あたしの化粧が、あなたを守ってくれるって信じてる」
どういう意味ですか、と問う前に、もう時間が残されていないことに気づいてしまった。
わたしは急いで用意されている準備室に向かわねばならないし、ルールーさんも一座の準備を始めなくてはいけない。
仕方なく化粧台の前から立ち上がったわたしに、ルールーさんはもう一度声をかけた。
「最後に一つだけ」
「? なんでしょう」
振り向きざまに、腕を取られた。
軽い力だが引き寄せられて、あっという間にルールーさんの腕の中に納まった。
目の前に彼の胸があるのが信じられなくて、驚くよりも茫然としていたわたしの頬に、
温かくて、柔らかい感触があたる。
ちょうど、彼がサインだと言った星のマークのあたりだったと思う。
キスされたのだ、とびっくりしてわたしは目の前の彼を見上げる。
彼は「おまじないよ」と言って、イタズラっぽく笑った。
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