第13話 嵐の前

 わたしはルールーさんと別れた後、控室として与えられた部屋でじっと出番を待っていた。


 これもリドさまの言いつけだ。

 さすがに王太子の婚約者ともなると、自分が主役のパーティーでもホストとして客人たちを迎え入れる必要はないらしい。


 部屋付きで働いている城のメイドさんたちには、それまで見知っていたわたしの顔と全く違う人物が現れたことに慌てたが、わたしのメイクを勉強したのだ、という説明とメイド長さんの「いえ、よく見れば同じ顔でございますね。何より瞳の奥のお色が、シェンブルクの血を引く証でございましょう。そのような方、シェンブルクのご当主とルミシカ様以外にはありえません」というフォローによって事なきを得た。


 わたしが家から使用人を連れてこなかったことにも驚かれてしまったが、わたしはむしろ驚かれたことに驚いてしまった。


 家の使用人を管理しているムールカが「お姉さまはメイドなんかに頼らず、自分のことくらい自分でできるようになったほうがいいのではありませんか?」と言ってわたしについていてくれたメイドを解雇してからは、わたしは外出するときも一人で行動していて、すっかりそれに慣れてしまっていたから。


 だが、確かに婚約者のいる令嬢としては奇異に映るかもしれない。

 あまりにもいつものことすぎて、すっかり失念していた。


 次にムールカに会ったら、外へ面目を立てるために使用人を融通してくれないか頼んだ方がいいかな、などと考えていたとき、披露宴会場となっている大広間から、わたしの部屋まで届く歓声が聞こえた。


「なんの声かしら?」


「ルミシカ様、ご存じないんですか? パーティーの前座に、天族の雑技団の皆様が舞を披露してくださっているんです。きっとその音ですよ」


 年若いメイドさんが「いいなあ、私も見てみたいなあ」と好奇心を露わにしてそわそわしているので、「なら、見に行ってきていいですよ。わたしはここで控えていますから」と言ったのだが、彼女は一向に動こうとしない。


 ずっと大広間への廊下に続くドアの方を気にしているので、行きたくないわけではなさそうなのだけれど。


「どうかしましたか?」


「ええと……ナイショですが、リド様のご命令なんです。ルミシカ様から目を離してはいけないって。できるだけおとなしくさせとけって」


「ああ……」


 リドさまは、よっぽどわたしを人目に晒したくないらしい。


 気づけば、わたしの部屋にいるメイドさんはすでに彼女一人だけだった。

 披露宴の当日なのだ。メイドさんたちも皆忙しいだろう。

 それなのに目の前にいるメイドさんは、リドさまの命令を忠実に守るためにわたしの側で控えているようだ。


 気の毒に、と思う。


 他のメイドさんと同じように会場で忙しく働いていれば、きっと少しだけでもルールーさんたちの舞を見ることができただろうに。

 わたしをこの場に閉じ込めるためだけに、彼女は貴重な機会を失おうとしている。


 しかし、こうも考えた。


 リドさまは『ルミシカから目を離すな』と言ったのだ。

 『ルミシカを部屋から出すな』と言ったわけではない。


「わかりました。なら、わたしも行くので一緒に大広間に行きましょう」


「えっ。ダメですよ、この部屋にいないと……」


「あら。リドさまは『わたしから』『目を離すな』とおっしゃったのでしょう? それなら、わたしが大広間に行って、あなたがついてきてくれるだけなら、命令違反にはなりませんよ」


 こんなこと、リドさまが聞いたら『そんなの屁理屈だ』と怒り出すだろう。


 二か月前のわたしなら、自分からリドさまの言いつけを破るなんて考えられなかっただろう。


 だけど、今は。


 見る者を虜にするという評判の天族の舞。

 あの人たちが心を込めて踊る舞を見てみたい。


 わたしの提案を聞いた若いメイドさんは目を見開いて、少し気まずそうにしてから「いいんですか?」と言った。


「もちろんです。大丈夫、人目に触れないよう、上の階からこっそりと見ましょう」


 披露宴会場である『蓮と黄金の間』と呼ばれる大広間は一階と二階の吹き抜けになっている。

 主な招待客は一階に通されてそこから動かないので、二階の通路には人目も少なく、広間の様子がよく見えるはずだった。


 人目を避けて廊下を抜け、メイドさん(聞いたところによると名前はミーナと言うらしい)を伴って二階から大広間に出ると、案の定、その場にいた人々は広間の中央にまなざしを向けており、二階になんて注目する人はいなかった。


 一階の中庭に面した広間では、すでに天族による舞が披露されている。


「ここならよく見えますね!」


 ミーナは興奮した様子で食い入るように下の階で踊る一座のみんなを見つめた。


 柔らかな布地で作られた天族の伝統衣装に身を包み、音楽に合わせて舞う一座のみんなは、テントで会った人々とはまるで別人みたいだった。


 不思議な形の楽器を巧みに操るのはカット、オウグ、フーリエ、ミラン、


 円形になって花開くような動きで場の中央を盛り上げるのはキシャ、コルム、ナドナ、エジュド、


 そして。中央で花形として踊る、シャラとルールー。


 音楽はゆったりとしたリズムに聞こえるのに、機敏で精緻な動きで踊る彼らの姿はまるで絵の中にしかない神の庭のように幽玄で、あの人たち全員と知り合いになったことの方が、今では不思議に感じる。


 だけど、あの人がわたしを見つけてくれた。


 見た目だけをもてはやされ、貴族からは疎まれる天族のルールーさんと、見た目を白眼視され、そのまなざしを恐れ、お飾りの王妃になりたがっていたわたし。

 とても遠い人だ。本当なら、出会うことなんてないはずだった。ましてや、話して親しくなるなんて。


 ルールーさんに初めて化粧してもらったとき、その日の思い出だけを胸にこれからずっと生きていけると思った。


 けれどこれから、わたしが本当に貴族の社会に受け入れられたとしたら。

 わたしは今までの思い出だけを糧に、生きて行かなければならないのだろうか?


 そんなの。


「嫌……」


 知らずにそう呟いてしまった瞬間、階下で踊るルールーさんと目が合ったと思うのは、舞台を観た時に誰もが感じるという自惚れなのだろうか。

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