第7話 シャラの事情
翌日から、ルールーさんに加えシャラからも手ほどきを受けはじめた。
内容は、基本的にはトレーニングばかりだ。
腹筋、スクワット、体幹トレーニング。それから、表情筋をほぐす顔ヨガという体操。
どんな効果があるのかわからないまま指示に従っていたが、続けるうちに、顔が少し小さくなったように見える。特に、あごの周囲がすっきりした気がする。
「それはむくみが取れたってことだよー。首筋から鎖骨まで、しっかりとマッサージもするんだよ。脂肪はもう少し増やした方がいいくらいだから食事制限はいらないかな。だけど、その貧弱な腹筋は許しがたい」
「ひゃあっ!?」
突然腹部をなでくり回されて思わず悲鳴をあげると、「かーわいい」とからかわれた。
「と、突然なにをするんです?」
「姿勢が保てないのは、体幹がないからだ。筋肉は一朝一夕にはならないよ、あと一か月ぽっちで変わりたいと思うなら、常に気を張ること。筋肉をつけるチャンスを逃がさないこと。ほら、また猫背になってる!」
「ひゃあ!」
トレーニングの最中でも背筋が曲がっていれば、お構いなくわき腹をさすられた。
ノルマとして課されたスクワットを終えるころには涙目になり、息も絶え絶えになったわたしを見て、シャラは今度はストレッチをするように指示しながらこんなことを聞いてきた。
「貴族って、運動しないの?」
「……スポーツを楽しむことはありますよ、テニスとか、卓球とか。乗馬や狩りも」
「どれもキミには縁がなさそうだねえ」
ぐ、と詰まる。
確かにその通りなのだけれど。
わたしは外に出て誰かと会うのが苦手だったし、そんなわたしを誘う人もいなかった。
「ダンスは? パーティーで踊るんじゃないの?」
「基礎は習っています。形になっていればいい、という程度ですが」
芸事のプロではない貴族のダンスなんて、そんなものだ。
ダンスはパーティーで談笑を盛り上げるためのツールでしかなく、したがって談笑が苦手なわたしにはやはり縁がない。
シェンブルク家の長女としてパーティーに参加することはあっても、楽し気に会話をする輪に入っていけずに壁と同化して時間が過ぎるのを待つばかりだったので、ダンスの技術が上達するはずもなかった。
妹のムールカはどんな人とも華麗に踊り、いつも輪の中心にいたけれど。
開脚ストレッチをしながらもの思いにふけるとシャラの手がわき腹に伸びてきて、今度はそのまま揉み始めてしまった。
「……あの、シャラ? おなかを揉まないで……」
「だって、またネガティブな顔になってたから。誰かを羨んでる時間なんてないんじゃないの? ふにゃふにゃの体、引き締めるには運動しかないんだから。
筋肉には二種類あるって知ってる? 力を出す筋肉と、姿勢を維持する筋肉。キミに必要なのは後者だねー」
ストレッチを終えたら今度はバーレッスン。
そんな調子でひたすら体を動かして、終わるころにはもうへとへとになっていた。
「お疲れ様! ちょっと休憩しよう」
「つ、疲れました……」
これから婚約披露宴の打ち合わせに行かないといけないのに、このままだと途中で眠ってしまいかねない。
弱音を言うわたしに、「しんどくなってきてからが筋トレの本番なんだよー」とシャラは言って、コップに入った冷たい水を差しだしてくれた。
その様子はなんだかいつもよりにこやかで、機嫌がよかった。
だからわたしは、以前から気になっていたことをうっかりぽろっと聞いてしまったのかもしれない。
「……どうしてシャラとルールーさんは、そんな性別が入れ替わったような言葉遣いをするんです? それも天族の人たちの文化なんですか?」
ただ聞くタイミングを逃していた単純な疑問だったが、それまで笑顔でわたしの相手をしてくれていたシャラは、わたしの質問を聞くなり「つまんないな」と言って頭を掻いた。
そんなにヘンな質問だっただろうか。けど、何がヘンで、どうして機嫌を損ねてしまったのかよくわからない。
「……あの、答えたくなければ、別にいいです。無理に聞き出したいわけじゃないから」
「別にいいだって? その程度の興味でよく踏み込んだね。そのクソ度胸に免じて教えてあげると、僕がこういう言葉遣いをするのは、僕の恋愛対象がキミみたいな女の子だからだよ!
女の子からの関心を引くにはね、こうやって装いを意識することが一番効果が高いんだ」
「えっ。でも、あなたは女性でしょう?」
男女で結婚し、子どもをつくり、家を存続させるのが貴族の義務だ。
それが当然とされる狭い世界しか知らなかったわたしには、先入観を覆す衝撃の告白だった。
「これだから、王都に住む人とこの話をしたくないんだ。女だから女を好きになっちゃいけないわけじゃないでしょ?」
男女の間でしか恋愛が成立しないというのは、ただの偏見だ、とシャラは言った。
人に恋をするときは、その人格を愛しいと思うのだろうか。それとも、肉体だろうか。
もし人格であるならば、性別なんて関係ないはずだ。
シャラはそう主張した。
「まあ、僕の場合は女性の肉体も好きなんだけどね」
告白の衝撃からすぐに回復するのが難しくて言葉を出せないわたしを一度見つめてから、シャラは話を続けた。
「驚いた? だけど僕が女だからって誰かを好きになることを制限しようだなんて、馬鹿げている。ひどく僕自身をないがしろにした話じゃないか。僕が誰を好きになるかは、僕が決めることだよ」
たしかにそうなのかもしれない。
考えてみれば貴族の中でも、恋愛と結婚は別物と考える人は多い。
わたしの両親もそのタイプで、二人は家を維持するためのパートナーではあっても、愛人がそれぞれ別にいることも知っている。
子どものころはそれをひどく寂しく思って両親を諫めもしたものだけど、二人が改めることはなかった。
だけどそれもまた、当然だったのかもしれない。
誰かが誰かを好きになるのをコントロールすることなんて、誰もできないのだから。
「ごめんなさい、失礼なことを言ったのね」
「いいよ、悪意があったわけじゃないことはわかってる。だけどそういう質問が失礼になる場合があるっていうことは、覚えておいて」
「うん……」
シャラを傷つけたのはわたしの方なのに、落ち込んでしまう。
そんなわたしの手をとって、シャラはにっこりと笑った。
「でも、いいこともあるよ。ずっと自分しか見えてなかったルミシカが、ようやく僕に興味を向けてくれたんだ。一度失敗したからって、怖がらないで。これからもいろんな話をしていこうね」
シャラは優しい。
無神経な発言をしたことをもっとちゃんと謝りたいと思うが、彼女の優しさを思えばこれ以上謝っても彼女を困らせるだけだ、ということくらいはわたしにもわかった。
そして、彼女の優しさを「わたしなんかのために」と否定することはもうしないと、先日すでに決めている。
だからわたしは謝りたいという衝動を抑え、別の質問をした。
「……恋をするって、どんな気持ち?」
「え? 唐突だなあ」
「誰かを大切に思う気持ちは、わたしにもわかるの。両親や妹と、仲のよかった時期がないわけじゃないから。だけどそれって恋じゃないでしょう、肉親だもの。親愛と、恋ってどう違うのかしら。どこまでが親愛で、どこからが恋なのかしら。
シャラは経験があるみたいだから、よかったら教えてほしいの」
「ええ……仮にも王太子の婚約者になろうというお人に、『恋って何?』と聞かれるとは思わなかったな。ルミシカ、リド様のこと好きじゃないの?」
「貴族の結婚は家同士が決めるものだから、感情が伴わないのはしょうがないって聞かされたわ」
「それは他の人の考えじゃないか。ルミシカ自身の想いを聞かせてくれよ」
「リドさまをどう思うか……?」
考えたこともなかった。生まれた時からわたしが王家に嫁ぐことは決まっていたようなものだったし、リドさまが王太子に選ばれたときに、彼と結婚することは決定事項になった。
そこにわたしの感情が挟まる余地なんて少しもなかった。
不満に思うことはあれど、わたしが疑問に思うこともなかった。
リドさまも同じだったと思う。彼はいつも、わたしより美しい妹が婚約者であればよかったと言っていたから。
「どうとも……思ってないわ」
「無関心ってこと? 最悪じゃん……そんな奴に嫁いで大丈夫なの?」
「平気だわ。お飾りの王妃になるだけだから」
「だから、お飾りにしないために頑張ってるんだろー? ルミシカ、王太子との未来、もうちょっと真剣に考えてみたら? キミがきれいになったら、きっと王太子だって慌てるぞー。そうしたら、どうしたい?」
ルールーさんの謀が全部うまくいって。きれいになったわたしを見て、リドさまがわたしに夢中になったとして。
ルミシカはリドとなにがしたい?
そんな仮定の話を、シャラはわたしにした。
だけど、考えても考えても、これといってやりたいことは思いつかない。
「……思いつかないわ。恋をすると、どういうことがしたくなるの?」
疑問を口に出したとたん、シャラの笑顔が固まる。
なぜそんな反応をとるのか不思議でわたしが黙って彼女の様子を窺うと、
シャラは目を泳がせて、頬を赤く染めてみせた。
「ええ!? もしかして僕、下ネタ披露を求められてる?」
そう言われてようやく、わたしは自分の発言があらぬ誤解を招いていることに気づく。
「あ! ごめんなさい。そういう話じゃないの。聞き方が悪かったのね、ええと。恋をしたんだって、シャラはどういうときに気づくの? それがただの親愛じゃないって、どうしてわかるの?」
シャラは「うーん、そうだな」としばらく考え込んでから、こう言った。
「恋をすると、その人のことで頭がいっぱいになるんだ。どうすればもっと近づけるか、ずっと一緒にいられるか、そんなことばかり考える」
「家族への愛情とは違う?」
わたしの質問に、シャラはいつもとは違う笑顔を見せた。
「恋の方が、暴力的だよ。どうしてもその人が欲しい、その人じゃないと嫌だ、と思ってしまうんだから」
恋の方が暴力的。
そう言われたところで、今のわたしには、ピンとこない言葉だった。
首をかしげて考え込んでしまったわたしに、シャラも顔を厳しくさせて言う。
「僕らも考えなくちゃいけないみたいだ。
王太子の婚約者として宮廷に迎え入れられることが、キミにとって一番幸せなんだろうと思っていたけれど、事はそう単純でもなさそうだからね」
「それって、どういう……?」
シャラの言葉の意味を捉えかねて言ったわたしの言葉は、しかし「さ、この話はこれでおしまい。もっと楽しい話をしようよ」とシャラが言ったことでかき消されてしまった。
また何か、傷つけるようなことを言ってしまったのかと思ったけれど、シャラはいつもの笑顔のままで、今度は他愛のない話をしてくれた。
好きな食べ物、天領で人気の歌、王都で話題になっているスイーツ。
そんな話をしている間に、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまった。
わたしは城へパーティーの打ち合わせに行かなければならない時間になったので立ち上がって身支度を整え、シェラに別れを告げる直前、ふとこんなことを思った。
シェラが男性みたいな言葉を使うように、ルールーさんは女性のような言葉を使う。
シェラがそのように装う理由が恋愛対象である女性の気を引きたいからだというのならば、
ルールーさんの恋愛対象はやはり――男性なのだろうか。
「あー、そういえばわかってると思うけど一応言っておくと、あの役割言葉の話。あれはただ僕の場合というだけでもちろん、一般的にみんなそう、という話じゃない。
言葉遣いが異性みたいだからって、恋愛対象が同性じゃないといけない、なんて決まりはないからね……って、聞いてる? おーい、ルミシカー?」
本格的に考え込んでしまったわたしの耳に、シェラの言葉は届いていない。
「……ま、いっか! ルールーはいっつも女の子にチヤホヤされていい気になってるもんね。
もっと苦労すればいいんだ。あいつも」
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