第6話 醜い心

 それから、披露宴の打ち合わせが始まる前に、雑技団が滞在の間使っている城の一室ででルールーさんから化粧の手ほどきを受けるようになった。


 とはいっても、昼間は雑技団の彼らにも彼らの生活があるので、時間をとってもらえるのは早朝に限られている。

 わたしは朝早くに家をこっそり抜け出すと、夜勤の衛兵さんに頼み、閉鎖されている城門を避けて裏口から城に入れてもらうことにした。


 王太子の婚約者という肩書に、はじめて感謝したかもしれない。

 そうでもなければ警戒されて、こんなことできなかっただろうから。


 家族の誰にもわたしが早朝から城に通っていることを伝えてはいないが、

 そもそも私の行動に興味のあるような人もいない。


 両親はわたしがつとめを果たしさえすればなにも言わないし、ムールカが母から使用人の管理を任されて以降は、使用人のみんなもわたしに近づこうとはしなくなった。

 食事や洗濯などの必要最低限の世話は今でもしてくれるが、わたしの行動を逐一気に掛けるような人はいない。


 だから、わたしがどこで何をしていようと、きっと誰も気づかない。

 現にわたしはもう、ルールーさんに貰った軟膏だけを塗っておしろいの厚化粧をするのをやめていたが、

 誰も何も気がついた気配はない。


 それは当然のことだろう。

 わたしはずっと、わたしに興味をもってもらわないように努力して過ごしてきたのだから。


 ……だから、それを寂しく思うのは、間違っている。


「でもそう思うのは、いい兆しなんじゃないかしら?」


「そうですか?」


 化粧のやりかたを仕込まれながら、「普段どんな生活をしているの?」と尋ねられたのでそんな話をすると、ルールーさんはあっさりと言った。


「そうよ。他の人に、自分に興味を持ってほしいって思い始めたってことね。急がなくていいわよ、ゆっくり変わっていきましょ」


「……わたし、本当は寂しかったんでしょうか。誰にも相手にされなくなって、遠巻きに見られて。自分で仕組んだようなものなのに」


「自分が寂しいかどうかは、あたしに聞かないであなたが自分で決めることね。

 一応言っておくと寂しいからって誰彼かまわず相手にするんじゃないわよ。近くにいる人間は、自分で選ばないと変なのが寄って来るから。……ほら、また猫背になってる」


「そ、そうですか?」


「ええ。姿勢ってね、見てる人の印象を随分左右するものよ。肩を前に回して猫背でいると、それだけで自信がなさそうに見えるもの。胸を張って、背骨を立てなさい」


「……こうですか?」


「うーん、なんか違うのよねえ。……シャラ、どう思う?」


 ルールーさんは腕を組んで唸ると、隣でアクロバットの練習をしていた一座の女の子に声をかけた。


 授業の初日に一座の人たちに一通りのあいさつは済ませているので、わたしも彼女を知っている。

 彼女はシャラ。気軽な身のこなしが特徴の、一座で玉乗りやジャグリングなどの曲芸を担当している子だ。


「え、僕ー? あー、そりゃ原因は体幹じゃない? ずっと猫背で過ごしてきた人間が、そんな簡単にきれいな姿勢は身につかないよ」


「それもそうね。じゃあ、この子にトレーニングを教えてあげて」


「いいけどー、僕でいいのー?」


 にやにやしながら彼女は言う。なんだかおもしろがっているみたいだ。


 でも、何を?


「あなたねえ……彼女が誰か、知らない訳? 教えたわよね?」


「シェンブルク家の祝福された娘!」


「わかってるじゃない」


 二人はわたしを置き去りにして会話している。


 祝福された娘、とはわたしのことなのだろうか? あいにく、そんな言葉に心当たりはなかった。


「祝福された娘……?」


「あれあれ、ルミシカ様の方はもしかして知らないの? 本人なのに?」


 わたしのつぶやきに、二人は驚きをもって応じた。


 まるで、わたしが二人の会話についていけないのが不思議だ、といったように。


「その祝福された娘というのは、わたしのことなんですか?」


「そうだよ、聖女の血を受け継ぐ娘。あなたがいるから、僕たちは王家に忠誠を誓っているんだ」


「聖女……伝説の?」


 ルールーさんは、「そうよ」と頷いた。


 聖女伝説は、建国のころの話だ。今で言えば、もう五百年以上は前になる。

 その内容は建国の祖である初代国王が聖女の助けを得て土着の神を打ち倒し、この地の支配を譲り受けたという、支配権を裏付けるための寓話のようなものだ。


 土着の神というのはおそらく先住民のことだと思う。

 聖女伝説は、初代国王が聖女と共に先住民たちを追い出したという侵略の歴史を、伝説という美しい衣をまとわせて広めるためのもののはずだ。


 なぜそれが、天族がわたしを『祝福された娘』なんて呼ぶ理由になるのだろう。


「聖女は天領に住まう、天族の出身なの。今ではすっかり血が薄まってしまったけれど、聖女の時代の天族はもっと神に近しい力を持っていたと言われているわ」


「天領……ルールーさんたちの雑技団の、本拠地ですね」


「あたり。あたしたちはみんな天族出身。かつては常人ならざる力を持っていた民の血を受け継いでいるせいか、身体能力に優れた人が多いのよね。中でも聖女は、人々を癒す特別な力を持っていた。だから王家に召し上げられて、初代国王と結婚したの」


「だけど聖女は正妃じゃなかったから、王との子どもは臣下として新しく貴族の家を立ち上げた。それがシェンブルク家だよ。

 そこの子どもは聖女の血を受け継いでいる。特に女の子にはその血が顕れやすい。だから僕たち天族は、シェンブルク家の女の子を『祝福された娘』って呼ぶんだ」


 その話を聞いて、ああ、そうか、と思った。


 だから、彼らはわたしに良くしてくれるんだ。わたし個人ではなく、古の聖女に敬意を払っている。


「もしかして、それがあなたたちがわたしに良くしてくれる理由なんですか?」


「もしかしたらそうかも! でも、違うかも! どっちがいい? どっちだとうれしい?」


 まるではぐらかすように、楽しそうにシャラは言う。


 はっきりと言わないのは、きっとわたしに対する思いやりだと思った。

 「あなたに価値があるんじゃない。自分たちが価値を見出しているのは、あくまであなたの血なのです」とはっきり言わないことが、きっとこの人たちなりの優しさなのだ。


 そして、彼らはもしかしたら知らないかもしれないが、シェンブルク家にはわたしの他にもう一人娘がいる。


 妹のムールカだ。

 『祝福された娘』という呼び名は、あの子にこそふさわしい。


 彼らが親切にするのも、やはりあの子の方がふさわしい。


「……素敵な呼び名ですね。あの子にぴったり」


「あの子って?」


 わたしの返事は、どこか空虚だったようでルールーさんとシャラは顔を見合わせた。


「わたしの妹です。わたしと違って、勉強もできて教養もある、どこに出しても恥ずかしくない女の子。

 きっと聖女の御力は、あの子にだけ顕れたんです。わたしはただの、出来損ないですから」


 『祝福された娘』だなんて呼ばれる価値はないのだ、という意図を込めて言った言葉だったが、それを聞いたシェラはおおげさにのけぞって見せた。


「くっっっら! 暗すぎ! ルミシカっていっつもそんな考え方してるの? 脳みそにカビ生えてそう」


「言ってやってよ、シェラ」


 わたしのネガティブ発言を聞いたルールーさんは頭が痛そうにこめかみを抑えて、シェラをけしかけた。


「頑固で、意固地で、ポジティブな言葉はいくらでも疑うのに、ネガティブな要素を見つけ出すと取りすがるように飛びつくんだから」


 ひどい言葉を言いながら、だけどわたしを見る目には優しい色が残っている。


 そのまま手のひらを伸ばし、ルールーさんはわたしの頭を撫でた。


「あの……?」


 この手は、一体?


 いい子いい子、とでも言うかのように頭をよしよしと撫でられてわたしが困惑していると、その様子を見ていたシェラが声をかけてくる。


「はーん……これはルールーも苦労するね。ずっとその妹と比較されてきたからかな? 自己肯定感が海溝レベルに低いんだろう」


「そういうもの? 妹は妹、この子はこの子じゃない」


「ずっと自分の隣に、自分よりずっと優れている人がいて、何をやっても勝てなかったら、諦めちゃうかもね? その方がずっと楽だから」


 二人は、どうもわたしの心情を勝手に推察し始めたようだった。


 隠しておきたかったわたしの醜い部分を、会って間もない人が簡単に解き明かして目の前で語られるなんて、これは何の罰なんだろう。


「わ、わたしの心を、こじ開けようとしないでください!」


 わたしは慌ててそう言うが、返事はつれないものだった。


「なら自分で言うんだね。キミが言わないから、目の前でこうやってあけすけにキミの心を類推して、それがどれぐらい的を射ているのがキミの反応を見て判断しているんだ」


 言わなければ、伝わらない。伝わらなければ、流されるだけだ。


 そう語るシェラの言葉は力強かった。二人の視線はわたしに注がれ、それに急かされるように、わたしはなんとか自分の言葉を口にする。


「……妹は、本当にすごい子なんです。一度教えられて覚えられなかったことなんてない。楽器も多言語も、どんな教養だって乾いたスポンジみたいに吸収していきます。

 それに優れているのは頭脳だけじゃなくて、容姿だってわたしとは比べものにならない。あの子に見つめられて、あの子を好きにならない人なんていません」


 話してみると、いつもよりずっと言葉がすらすらと口をついて出てくることに驚いた。


 もしかしたら、化粧がいつもと違うからかもしれない。今のわたしは、分厚いおしろいではなく、ルールーさんに習って覚え始めた化粧をしている。

 心を守るおしろいの鎧が、今のわたしにはないのだ。


 だから本心をそのまま話してしまう。


「でも、わたしは……わたしは、あの子に嫉妬してしまう。長女だから、と王太子との婚約を決められることもなく、なんのしがらみもなく自由奔放にふるまうあの子がうらやましい。

 どうして、わたしだけが押しつぶされそうにならなくちゃいけないんだろう、と妹をうらやむようなわたしには、みなさんに親切にしてもらう資格も、幸せになる権利もないんです……」


 最後の方はもう半泣きだった。いくら化粧で美しくなったところで、心の醜さはどうしようもない。

 こんなことを言ったら呆れられて、目の前の二人も離れていくだろうと思った。


 それでもよかった。見捨てられてもよかった。

 聞くのはため息ばかりでいい。応えられない期待をされることの方が重荷だから。


 心が冷えていく。吹雪が吹いているように胸が冷たくなる。


 なのに。


 頭に置かれた手は、あたたかなままだった。


 それどころかルールーさんはわたしの背後に回り、後ろからそっと抱きしめてくれる。


 そしてシャラはわたしの前に立ち、なぜか怒ったような顔をすると「もう!」と言ってわたしの両頬をぎゅっとつねった。


「うじうじして、自分が全部の元凶なんだって思い込んだって別にいいけどさ、だからって幸せになっちゃいけないなんてはずがないだろう!」


 ぐにぐに。わたしの頬を前後左右に引っ張ってから、シャラはさらに、


「あのね、ルールーも僕たちも、キミを幸せにしたいんだ。その想いだけは、否定しないでよ!」


 と言った。


 わたしの本心を知ってなお、一番醜い心を打ち明けてなお、

 二人がわたしに向き合おうとしてくれているのがわかる。


 冷えた心に与えられたあたたかな思いやりは、氷が解けるように涙を生んで目尻ににじんだ。


 せっかく上達してきた化粧が崩れるのがもったいなくて泣きたくなかったのに、

 二人がわたしの背を撫でるから、わたしはやっぱり泣いてしまった。

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