第一章 天使の正体②

 ロゼッタが住んでいるのは、ヴェネト王国のレンティーニ領。ヴェネト王国は貿易で栄えている国で、船を使い遠くの国とも広く交流がある。それゆえ首都では様々な国の人が暮らしていた。

 レンティーニ領は少し田舎いなかだが、温暖な気候で作物の実りも多い。商業もさかんで活気のある地域だった。でもそれは三年前までの話だが。あることをきっかけに、ここを治めていた大貴族であるレンティーニ侯爵家は一気に落ちぶれてしまったのだ。

 同じ頃に、ロゼッタはアントニオ・レンティーニ侯爵の後妻に入った。だからだろう。ロゼッタはレンティーニ家の富を吸いくし、没落させた原因だとうわさされ始めた。実際には、家族を亡くし行く当てがなかったロゼッタを、アントニオが助けてくれただけなのだが。だが、高齢のアントニオと当時十六歳だったロゼッタのこんいんは、周りから変なおくそくをされるばかりで祝福されることはなかった。

 そして、レンティーニ家の没落と同時にやってきた若すぎる後妻を、使用人達も受け入れなかった。アントニオが二年前からせってしまい、ロゼッタは彼と共にりようようのためにべつていへと移ってきた。その際について来た使用人達は、アントニオが亡くなりそうもろもろの手続きが終わったたん、あっという間に本邸へともどってしまったのだ。ようしやなく、ロゼッタを置き去りにして。

 だからレオが現れたときは、正真しようめいしきに一人ぼっちだった。


   ※ ※ ※


 二人での暮らしが始まって十日が過ぎた。最初こそ、悪く言われる自分に仕えさせることを、ロゼッタはねしていた。けれど生き生きと屋敷の中を動き回っているレオを見て、一週間も過ぎるとやとって良かったと思うようになっていた。

「まぁ、このオムレツ、ふわふわだわ」

 レオの作る料理はとにかく美味おいしい。本人は簡単なものしか作れませんというが、特に卵料理は最高だ。このぜつみようにふわふわでトロトロなオムレツを目を閉じてゆっくりと味わう。

「レオは本当に何でもできるのね。そうせんたく、屋敷の補修、きわめつけにこの料理」

「おだてても何も出ませんよ」

 レオはお仕着せの白いシャツに黒いベスト、黒のリボンタイをつけた姿だ。そしてかみくくっているリボンは、ロゼッタがわたしたものだった。

 給仕をしながらたんたんと答えているレオを見て、ロゼッタは可愛いなと思った。

「そう言いつつ、デザートにプリン焼いてたの知ってるんだから」

 ロゼッタが、プリンが好きだと何かのときにもらしたのだ。それを覚えていたのだろう。さっそく作ってくれるなんて、レオは本当に出来る子だ。

「まさか、ちゆうぼうに入られたんですか?」

 レオがあせったように、厨房の方を見た。

「ダメなの?」

「ダメと言いますか……ロゼッタ様は手伝おうとしてくださいますが、やはり厨房は使用人の区域ですし、ロゼッタ様はこの屋敷の主人ですから、その、何と言いますか、俺に任せてもらえればだいじようですよ」

 レオはもごもごと言いづらそうにしているが、おそらく先日のことがえいきようしているのだろう。ロゼッタが何か手伝いたいとスープの味付けをしようとして、びっくりするくらい不味まずいものを仕上げてしまったのだ。

「大丈夫よ。厨房の入り口で、プリンのにおいがするなって思っただけ」

「はぁ、良かった」

 レオは、心底ほっとしたように息をはいた。

 そこまでけいかいしなくてもとねつつ、こういうやりとりも良いなと思った。レオが来てから毎日がじゆうじつしている気がする。今までは淡々と過ぎていた日々だったけど、今はちょっとしたことが楽しくて、きらきらして見えた。

「ね、レオも座って。いつしよに食べましょ?」

 ロゼッタは楽しい気分に乗って、給仕のために立っているレオをさそう。

 ずっと、広いテーブルに一人はさびしすぎると思っていた。でもアントニオが臥せってからは、あまんじて一人きりの食事を受け入れてきたのだ。

きやつです。使用人があるじと一緒に食事などいけません」

 レオはそくとうだった。まゆがピクリと動いたくらいで、ほかどうだにしない。

だれも見てないし、いいじゃない。レオだって、一緒に食べた方が片付けが楽でしょう。それに一緒の方がきっと美味しいわ」

「そ、そういうことではなくて……、本気でおっしゃってます?」

 レオは信じられないものを見たとばかりに、目を見開いている。

 もちろんロゼッタは本気だった。確かにれい作法としてはいけないことだ。でもロゼッタが一人で食べて、レオもこの後に一人で食べるのなら、一緒に食べた方が楽しいし、準備も後片付けも一回で済むではないか。

「本気よ。ほら」

 ロゼッタは立ち上がり、お茶の準備をしようとするレオを静止させる。

「えっ?」

 まどうレオのかたを押して、ロゼッタの座っていた真正面の椅子いすに座らせた。

「ここなら顔を見ながら食べられるでしょ」

「……仕方ありませんね。じゃあ最後のデザートだけご一緒します。それでかんべんしてください」

 レオがあきらめたように肩の力をいた。

 本当は食事も一緒が良かったけれど、あまり困らせるのはほんもうではない。そう思いロゼッタはなおに席に戻った。

 デザートに辿たどり着くべく食事を再開する。少しオムレツが冷めてしまったけれど、それでもやっぱり美味しい。

「ねえ、レオって何歳なの?」

 目の前に座るレオを見て、ふと疑問がわいた。大人びて見えるが、時おり見せる表情には幼さも混じっているように感じるから。

「十七歳ですよ」

「まぁ、私の弟と一緒ね。どうりで何か懐かしい気分になるはずだわ」

 歳下だろうとは思っていたが、ぐうぜんいつにロゼッタは嬉しくなる。

 ロゼッタの弟は、姉であるロゼッタに対して心配しような可愛くてたよりになる弟だった。だからだろうか、レオを見ていると実家でのおくが呼び起こされる。幸せな生活……だけど、だんだんとその記憶は真っ黒にげていく。

「懐かしいなら、会いに行かれればいいじゃないですか。お供しますよ」

 レオの声に、黒くしずんでいた意識がじようする。

 そうだ。今いるのはレンティーニ家だ。あれはただの記憶。追いかけてきて飲み込まれそうになるけれど、飲み込まれたらいけない。ロゼッタは無理やりみをかべる。

「レオを天国に連れて行くわけにはいかないから、えんりよしておくわ」

 レオが息をのんだ。

「それって……まさか」

「そう。弟はね、もう死んでしまったの。弟だけじゃなくお父様もお母様もみんな。火事でね、私だけ生き残ってしまったの。だから私は一人ぼっちよ」

 ロゼッタの心を表したように、びんに生けてあったバラの花びらが一枚だけぽとりとテーブルに寂しく散った。

 レオが立ち上がり、ロゼッタの横に移動してくる。椅子の背に手を乗せ、かたひざをついた。

「ロゼッタ様。俺は本当の弟様にはなれません。ですが、亡くなられた弟様の代わりに、俺ではロゼッタ様の心をなぐさめることはできませんか」

 見上げてくるレオの表情はしんけんだった。

 心意気はうれしい。レオを見て、弟みたいで可愛いとも思う。でも弟の身代わりにするというのは何かちがう、そんな気がした。

「変な気をつかわなくていいの。レオはレオなんだから。レオが私に仕えてくれて、それだけで私は嬉しいの」

 自分を主として求めてくれる存在がいる。それはロゼッタにとって初めてのことだった。レンティーニ家に来て、誰にも受け入れてもらえなかった。アントニオ以外、誰もロゼッタを見ようとしてくれなかったから。

 そのアントニオも、ロゼッタには必要だったけれど、アントニオにとってロゼッタはいなくても困らない。もちろん、向けてくれたやさしさがうそだったとは思わないけれど、一方的にロゼッタが保護される関係だった。誰かに何かをあたえることもなく必要とされることもなく、逆にめいわくをかけていた。

 そんなロゼッタが初めて必要とされたのだ。求められることがこんなにも心おどる気持ちになるとは思ってもいなかった。それがロゼッタにとって、どれだけ救いになることか。

「……俺がお仕えするだけで、嬉しいんですか?」

 レオのひとみが不安げにれた。どうしてそんなこころもとなげな表情をするのだろう。きっと笑顔を浮かべてくれると思っていただけに、ロゼッタこそ不安になる。気付かぬうちに何かレオにとっていやなことを言ってしまったのだろうか。

「もちろん。レオが来てくれて私は本当に嬉しいし、ありがたいと思っているの」

「こちらこそ……その、ありがとうございます」

 レオの瞳が再び揺れた。

 レオの瞳はとてもれいな深い海の色をしているから、いつも吸い込まれるように見つめてしまう。だからだろうか、レオの瞳のかがやきがたまに少しだけ、ほんのちょっとだけ揺れるのに気が付いた。どんな気持ちのときにそうなるのかは、まだ分からないけれど。

「そういえば、レオは仕送りをしていると言っていたわね。弟妹きようだいが多いの?」

「多いといえば多いですね。養護院の子ども達を弟妹とするならば、ですが」

 レオは何でもないという風にさらっと言う。そんなレオとは正反対に、ロゼッタは言葉にまった。

 こういうとき、どんな言葉をかけるのが正しいのだろう。勝手に可哀かわいそうと決めつけるのは失礼な気がするし、かといって養護院で育つからには何か困った事情があったのだろうし。

「レオは、養護院で育ったのね」

「はい。ですがロゼッタ様、お心を痛める必要はないですよ。親がいない子どもはその辺にたくさんいます。そんなにとくしゆなことじゃありません」

 レオは苦笑いを浮かべている。確かにロゼッタも両親を、そして弟も失った。十六歳の時でもとてもつらかった。だけど、養護院で暮らすような子ども達はもっと幼いだろう。幼い子ども達に親がいないのは、ロゼッタが感じた悲しみ以上に辛いことのはずだ。

「だから、働き口を探していたのね」

「はい。俺はそこのせんぱいの仕送りで育ったので、今度は俺の番かなと思って」

 まだ十七歳だというのに、すごくしっかりしている。本来ならば自分のことだけでせいいつぱいだろうに、年下の子達のために働いているなんて。

 これはレオを簡単にかいしてはいけないなと思った。もちろん、解雇するつもりは毛頭ないけれど。逆に世をはかなんでいる場合でもない。レオをやとい続けられるように、自分がもう少しちゃんとしなければ。


「ロゼッタ様、日焼けしてしまいますよ」

 ロゼッタがバラ園の世話をしていると、レオがつばの広いぼうを持ってきた。今日はくもりだから平気かと思っていたけれど、レオにとっては許せないらしい。

「ありがとう。でも、それほど日焼けはしないと思うけど」

「曇りだからって油断は禁物です。ロゼッタ様の白いはだが日焼けしたら大変ですよ」

 レオは心配そうに言いながら帽子をかぶせてきた。風に飛ばされないようあごの下にリボンまで結んでくれるしさ。ロゼッタは右手にはハサミ、左手にはバラのくきにぎっていて、されるがままだ。帽子をわたしてくれれば自分で被るのだけれどと思いつつ、レオがするに任せる。ロゼッタがやるよりも手早くかつていねいだからだ。

 レオはこういう動作が手慣れている。きっと養護院の下の子達の世話もこんな風にしていたのだなと分かるくらいには。ということは、もしかして子どもあつかいされているのかしら……と内心ロゼッタは首をかしげる。

「ロゼッタ様はご自分にとんちやくすぎてびっくりします。俺、てっきり高価なドレスやアクセサリーを毎日身に着けてるんだと思ってました」

 レオは話しながらも手を止めない。

「世間の人達はみんなそう思っているわ。できるだけかんちがいされないようにと、質素なものを数枚着まわしているのだけれど。今着ているものは作業用だから、持ってる中でも一番の古株ね」

「まさか、ここ破れたのしゆうしてます?」

 レオがうで部分にあるちようの刺繍を見ていた。

「ふふ、そうよ。高価なドレスはよごさないように気を遣うし、アクセサリーも選ぶのがめんどうだから、今くらいが私にちょうどいいわ。何も考えずとも次に着るものが決まっているなんて、最高じゃない」

 ロゼッタは笑いながら言う。するとレオはいつしゆん手を止めたが、再び動かし始めた。

「ねぇ、レオはバラは好き?」

「そこら中でいているので、あまり考えたことがありませんでした」

 結んだリボンの長さが気に入らないのか、丁寧に直しているレオ。ちようめんさをかんなく発揮している。

「確かに、あちこちにバラが植わっているものね」

 バラは国花とされているので、貴族のていたくや公共のせつでは必ず育てられている。また庭を持つしよみんなども、自主的に育てている場合が多い。

「えぇ。でも、そうですね。ここに来てからバラって綺麗なんだなって思いました。ここのバラは花はもちろんですが、葉も大きくて、虫食いもないし変色もしていない。株全体が生き生きとしています。ロゼッタ様がこうして毎日手入れされている成果ですね」

 レオはリボンから手を放しみを浮かべた。その笑顔がロゼッタはまぶしかった。

 アントニオもバラ園の世話をねぎらってくれたが、びようしようにいたため切ったバラしか見せられなかったのだ。こんな風に花以外のところまで見てくれるなんて、初めてだった。

「気付いてくれて嬉しいわ」

 ロゼッタは心がふわっと温かくなるのを感じた。

 その瞬間、風が巻き起こる。バラ達も喜んでいるかのように風に揺れた。

「あ、ロゼッタ様。かみが枝に引っかかっています」

 レオのてきに横を向くと、確かにひとふさの髪が枝にからまっている。さっきの風で絡んでしまったのかもしれない。

 ロゼッタは、くいっと引っ張る。けれど枝がいつしよについてくるだけだった。

「そんなに無理やり取ろうとしないでください。髪が傷んでしまいます」

 レオがあわてた様子で、こしもとからナイフを取り出した。さやからくとをバラの枝にあてる。

「待って。切る方が違うわ。髪を切ってちょうだい」

「えっ?」

 レオがまどったように、手元とロゼッタの顔とをこうに見た。

「髪なんてすぐにびるわ。その枝はまだ若いもの。切ったら可哀想よ」

「ですが……それを言うなら、バラの枝だって伸びますけど……」

 レオの瞳が揺れている。

「横の枝とのり合いで必要なの。私のもさもさとうねった髪なんて、ちょっとくらい切ってもえいきようなんて無いからだいじよう

「もさもさとうねったって……豊かに波打つ髪をそんな表現しないでください。ロゼッタ様の髪はお綺麗です。ロゼッタ様の優しいひとがらを表したような、やわらかく美しい髪ですよ」

 レオは至ってな顔で言ってきた。真正面からそんなことを言われ、ロゼッタの方がめんらってしまう。

「レオはめるのが上手ね。でも本当にいいのよ。髪の方を切ってちょうだい」

 再度お願いすると、レオは手にナイフを持ったまま髪の絡まった枝をながめていた。どうしたのだろうか。

「少しの間、持っていてください」

 レオはナイフを鞘にしまい、ロゼッタにわたしてきた。思わず受け取ると、レオは無言で絡まった髪をほどき始めた。どちらも切らないせんたくをするとはなんて優しいのだろうか。

 レオの手元を気にしつつ、ロゼッタは手渡されたものを見つめる。

「綺麗なそうしよくナイフね」

 ナイフの握り部分はりゆうれいな模様がついていて、ふたのようなつばは優美に半円を描き、鞘は深い青でおおわれふちりの銀色が氷のきらめきを感じさせる。まるで、寒い北の国をぎようしゆくしたようなしろものだった。

「これは、母の形見なんです」

「まぁ……そうだったのね」

 大切な形見にレオはれさせてくれた。レオに心を開いてもらえているのだとうれしく感じる。けれどえんりよに話題にするべきではなかったと反省した。レオは養護院で育ったと言っていたのだから配慮すべきだったのだ。

 もっとレオのことを知りたいという気持ちと、無遠慮に立ち入って傷つけたくないという気持ちがてんびんのようにれる。そんな心の揺れが表情に出ていたのか、レオが笑った。

「ロゼッタ様、聞きたいならなおに聞いていいんですよ」

「いや、でも、その、なんていうか……少し気になるわ。どんなお母様だったのかしら、とか」

 レオはとてもれいな顔立ちをしている。そして茶系の髪が多いこの国ではめずらしい白銀の髪だ。肌の色も抜けるような白さで、そのとくちようは異国の特色なのだ。

「俺の見た目から想像している通りですよ。母はかせぎでこの国に来て、その美しさゆえにめられて父とけつこんしたんです。おくに残る母は、俺から見てもとても綺麗な人でした」

 レオはロゼッタの手元にあるナイフを、いとおしそうに見つめている。

「これは母が俺に残してくれたゆいいつの形見です。良いものらしく、父に売られそうになったことがあるので、それ以来、はだはなさず持っているんですよ」

 母の存在を大事にしているレオは、けなで愛情深い子なのだと思った。

 レオがふんとうし始めてしばらくたち、やっと髪がほどけた。満足気に笑みをかべるレオを見て、心がじんわりと温かくなる。

 ばくぜんとレオのとなり心地ごこちいと思っていた。でもそれは、レオも大事な人を失ってどくを知っているからなのかもしれない。

 大事な人やものは失わないほうが良いに決まっている。けれど孤独に慣れたロゼッタには、すべてが満ち足りている人はまぶしすぎた。そばにいると、こんな自分がいて申し訳ないと思えて、居心地が悪くなってしまう。でもレオに対してはそんな風に感じたことがない。いつもロゼッタにとって心地の好い空気をまとっているのだ。それがレオの孤独ゆえだとしたら、少しさびしいけれど。

 ロゼッタの孤独をやわらげてくれたのはレオだ。レオの孤独も、ここにいることで少しでも和らげばいいなと思う。

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レディ・ロゼッタの危険な従僕 石川いな帆/角川ビーンズ文庫 @beans

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