第一章 天使の正体②
ロゼッタが住んでいるのは、ヴェネト王国のレンティーニ領。ヴェネト王国は貿易で栄えている国で、船を使い遠くの国とも広く交流がある。それゆえ首都では様々な国の人が暮らしていた。
レンティーニ領は少し
同じ頃に、ロゼッタはアントニオ・レンティーニ侯爵の後妻に入った。だからだろう。ロゼッタはレンティーニ家の富を吸い
そして、レンティーニ家の没落と同時にやってきた若すぎる後妻を、使用人達も受け入れなかった。アントニオが二年前から
だからレオが現れたときは、正真
※ ※ ※
二人での暮らしが始まって十日が過ぎた。最初こそ、悪く言われる自分に仕えさせることを、ロゼッタは
「まぁ、このオムレツ、ふわふわだわ」
レオの作る料理はとにかく
「レオは本当に何でもできるのね。
「おだてても何も出ませんよ」
レオはお仕着せの白いシャツに黒いベスト、黒のリボンタイをつけた姿だ。そして
給仕をしながら
「そう言いつつ、デザートにプリン焼いてたの知ってるんだから」
ロゼッタが、プリンが好きだと何かのときにもらしたのだ。それを覚えていたのだろう。さっそく作ってくれるなんて、レオは本当に出来る子だ。
「まさか、
レオが
「ダメなの?」
「ダメと言いますか……ロゼッタ様は手伝おうとしてくださいますが、やはり厨房は使用人の区域ですし、ロゼッタ様はこの屋敷の主人ですから、その、何と言いますか、俺に任せてもらえれば
レオはもごもごと言いづらそうにしているが、おそらく先日のことが
「大丈夫よ。厨房の入り口で、プリンの
「はぁ、良かった」
レオは、心底ほっとしたように息をはいた。
そこまで
「ね、レオも座って。
ロゼッタは楽しい気分に乗って、給仕のために立っているレオを
ずっと、広いテーブルに一人は
「
レオは
「
「そ、そういうことではなくて……、本気でおっしゃってます?」
レオは信じられないものを見たとばかりに、目を見開いている。
もちろんロゼッタは本気だった。確かに
「本気よ。ほら」
ロゼッタは立ち上がり、お茶の準備をしようとするレオを静止させる。
「えっ?」
「ここなら顔を見ながら食べられるでしょ」
「……仕方ありませんね。じゃあ最後のデザートだけご一緒します。それで
レオが
本当は食事も一緒が良かったけれど、あまり困らせるのは
デザートに
「ねえ、レオって何歳なの?」
目の前に座るレオを見て、ふと疑問がわいた。大人びて見えるが、時おり見せる表情には幼さも混じっているように感じるから。
「十七歳ですよ」
「まぁ、私の弟と一緒ね。どうりで何か懐かしい気分になるはずだわ」
歳下だろうとは思っていたが、
ロゼッタの弟は、姉であるロゼッタに対して心配
「懐かしいなら、会いに行かれればいいじゃないですか。お供しますよ」
レオの声に、黒く
そうだ。今いるのはレンティーニ家だ。あれはただの記憶。追いかけてきて飲み込まれそうになるけれど、飲み込まれたらいけない。ロゼッタは無理やり
「レオを天国に連れて行くわけにはいかないから、
レオが息をのんだ。
「それって……まさか」
「そう。弟はね、もう死んでしまったの。弟だけじゃなくお父様もお母様もみんな。火事でね、私だけ生き残ってしまったの。だから私は一人ぼっちよ」
ロゼッタの心を表したように、
レオが立ち上がり、ロゼッタの横に移動してくる。椅子の背に手を乗せ、
「ロゼッタ様。俺は本当の弟様にはなれません。ですが、亡くなられた弟様の代わりに、俺ではロゼッタ様の心を
見上げてくるレオの表情は
心意気は
「変な気を
自分を主として求めてくれる存在がいる。それはロゼッタにとって初めてのことだった。レンティーニ家に来て、誰にも受け入れてもらえなかった。アントニオ以外、誰もロゼッタを見ようとしてくれなかったから。
そのアントニオも、ロゼッタには必要だったけれど、アントニオにとってロゼッタはいなくても困らない。もちろん、向けてくれた
そんなロゼッタが初めて必要とされたのだ。求められることがこんなにも心
「……俺がお仕えするだけで、嬉しいんですか?」
レオの
「もちろん。レオが来てくれて私は本当に嬉しいし、ありがたいと思っているの」
「こちらこそ……その、ありがとうございます」
レオの瞳が再び揺れた。
レオの瞳はとても
「そういえば、レオは仕送りをしていると言っていたわね。
「多いといえば多いですね。養護院の子ども達を弟妹とするならば、ですが」
レオは何でもないという風にさらっと言う。そんなレオとは正反対に、ロゼッタは言葉に
こういうとき、どんな言葉をかけるのが正しいのだろう。勝手に
「レオは、養護院で育ったのね」
「はい。ですがロゼッタ様、お心を痛める必要はないですよ。親がいない子どもはその辺にたくさんいます。そんなに
レオは苦笑いを浮かべている。確かにロゼッタも両親を、そして弟も失った。十六歳の時でもとても
「だから、働き口を探していたのね」
「はい。俺はそこの
まだ十七歳だというのに、すごくしっかりしている。本来ならば自分のことだけで
これはレオを簡単に
「ロゼッタ様、日焼けしてしまいますよ」
ロゼッタがバラ園の世話をしていると、レオがつばの広い
「ありがとう。でも、それほど日焼けはしないと思うけど」
「曇りだからって油断は禁物です。ロゼッタ様の白い
レオは心配そうに言いながら帽子を
レオはこういう動作が手慣れている。きっと養護院の下の子達の世話もこんな風にしていたのだなと分かるくらいには。ということは、もしかして子ども
「ロゼッタ様はご自分に
レオは話しながらも手を止めない。
「世間の人達はみんなそう思っているわ。できるだけ
「まさか、ここ破れたの
レオが
「ふふ、そうよ。高価なドレスは
ロゼッタは笑いながら言う。するとレオは
「ねぇ、レオはバラは好き?」
「そこら中で
結んだリボンの長さが気に入らないのか、丁寧に直しているレオ。
「確かに、あちこちにバラが植わっているものね」
バラは国花とされているので、貴族の
「えぇ。でも、そうですね。ここに来てからバラって綺麗なんだなって思いました。ここのバラは花はもちろんですが、葉も大きくて、虫食いもないし変色もしていない。株全体が生き生きとしています。ロゼッタ様がこうして毎日手入れされている成果ですね」
レオはリボンから手を放し
アントニオもバラ園の世話をねぎらってくれたが、
「気付いてくれて嬉しいわ」
ロゼッタは心がふわっと温かくなるのを感じた。
その瞬間、風が巻き起こる。バラ達も喜んでいるかのように風に揺れた。
「あ、ロゼッタ様。
レオの
ロゼッタは、くいっと引っ張る。けれど枝が
「そんなに無理やり取ろうとしないでください。髪が傷んでしまいます」
レオが
「待って。切る方が違うわ。髪を切ってちょうだい」
「えっ?」
レオが
「髪なんてすぐに
「ですが……それを言うなら、バラの枝だって伸びますけど……」
レオの瞳が揺れている。
「横の枝との
「もさもさとうねったって……豊かに波打つ髪をそんな表現しないでください。ロゼッタ様の髪はお綺麗です。ロゼッタ様の優しい
レオは至って
「レオは
再度お願いすると、レオは手にナイフを持ったまま髪の絡まった枝を
「少しの間、持っていてください」
レオはナイフを鞘にしまい、ロゼッタに
レオの手元を気にしつつ、ロゼッタは手渡されたものを見つめる。
「綺麗な
ナイフの握り部分は
「これは、母の形見なんです」
「まぁ……そうだったのね」
大切な形見にレオは
もっとレオのことを知りたいという気持ちと、無遠慮に立ち入って傷つけたくないという気持ちが
「ロゼッタ様、聞きたいなら
「いや、でも、その、なんていうか……少し気になるわ。どんなお母様だったのかしら、とか」
レオはとても
「俺の見た目から想像している通りですよ。母は
レオはロゼッタの手元にあるナイフを、
「これは母が俺に残してくれた
母の存在を大事にしているレオは、
レオが
大事な人やものは失わないほうが良いに決まっている。けれど孤独に慣れたロゼッタには、すべてが満ち足りている人は
ロゼッタの孤独を
レディ・ロゼッタの危険な従僕 石川いな帆/角川ビーンズ文庫 @beans
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