第一章 天使の正体①

 ロゼッタが目を覚ますと、そこは見慣れたしきの客間だった。ソファーにていて、ていねいにストールまでかかっている。

 どうしてここにいるのだろうか。確か屋敷のバラ園にいたはずなのに。

 ロゼッタは必死におくを呼び起こした。

「私、生きてる?」

 あわてて起き上がり、自分の体をさわる。けることもなくちゃんと触れた。

「あれは夢だったのかしら」

 バラ園でバラの手入れをしていたら、見知らぬ暴漢が現れて首をめられたのだ。何やら「かぎを出せ」と言っていた気もするが、とつぜんのことにおどろいてよく覚えていない。とにかくこわくてたまらなかった。息ができなくて、とても苦しくて、意識がもうろうとしてきて……そして、天使が迎えに来てくれたのだ。

「天使か。そうよね、私なんかのために天使様が現れるわけがないわ」

 あれは夢だったのだと結論付けたときだった。

 ひかえめなノックの音がひびいた。自分以外誰もいないはずの屋敷なのに音がするなんて。そのことにきようがこみ上げてくる。あれは未来を暗示する夢か何かで、今度こそ本物の暴漢かもしれない。ロゼッタは、ソファーの背もたれに置いてあったクッションをかかえた。

 再びノックの音がして今度はそのままとびらも開いた。ひとかげが見えた瞬間、思い切ってクッションを投げる。そのすきげようとしたのだが、テーブルに足が引っかかって転んでしまった。

だいじようですか!」

 人影がロゼッタの横にばやく近寄ってくる。もうダメだ、そう思い身を縮めてしようげきを待った。けれど、しばらくたっても衝撃はやってこない。

 おそる恐る顔を上げてみると、そこには夢に出てきた天使がいた。

「あの、おはありませんか?」

 心配そうに天使がひざをつき、ロゼッタをのぞき込んでいる。

「い、いえ、その、大丈夫です」

 混乱しながらも何とか返事をする。天使が目の前にいるということは、さっきのは夢ではなくて現実だったということか。

「それは良かったです。ところで、外でたおれられてしまったので使用人を呼びに屋敷に入ったのですが、誰も見つからなくて……、なので勝手ながら俺が運ばせていただきました」

 つうにしゃべっているけれど、本当に天使なのだろうか。よくよく見ると、頭上にいただくべき光の輪がないし背中にもつばさがない。

「あの、あなたは?」

 おずおずとロゼッタは問いかける。すると天使じゃないかもしれない彼は、しんけんおもちでまっすぐにこちらを見てきた。

「申しおくれました。俺はレオと言います」

 透けるような白いはだに、深い海のような色合いの瞳、白銀の長いかみが氷を思わせるようにきらめく。すらりとした体格だが、弱々しさを感じることはなく、まるで血統書付きの高貴なねこのようだ。男性にふさわしくないかもしれないが、やはり美しいという言葉がよく似合う。

「もしかして、私を助けてくれたのでしょうか?」

「えぇ。おそわれているのを見て慌てて助けに入りました。大きな屋敷なのに人の気配が少ないからものりにねらわれたのかも。なんとか追いはらうことができて良かったです」

 レオがあんしたかのようにみをかべた。れいすぎるがゆえに冷たい印象だったレオに、初めて血が通ったような温かみを感じた。その笑顔はどことなくあどけなさも残しており、やっと天使ではなく生きている人間なのだと思えた。

「あの、ありがとうございました。私はロゼッタ・フェリオ・レンティーニと申します」

 ロゼッタは背筋をばし自己しようかいをする。

「あの、貴族様が俺相手にかしこまらないでください」

 レオが目を丸くして首をっている。

「いえ、そういうわけには……あぁ、ごめんなさい。命の恩人にお茶すらお出ししていないなんて。すぐに用意してきますので、少々お待ちください」

 今までは使用人がやってくれていたから、気付くのが遅れてしまった。そのことに思い至りロゼッタの心がにぶく痛む。

「あなたが用意を?」

 レオが不思議そうにまゆを寄せた。

「はい。おずかしい話ですが、使用人がすべて出て行ってしまいましたので、この屋敷には私しかいないのです」

「えっ、本当に誰も?」

 驚きのせいか、レオの瞳のかがやきが少しれた。

「ええ。別に外出しているからいないというわけではなく、本当に誰も残っていないのです」

 屋敷にいた使用人達は、誰一人としてロゼッタを気にかけることなく去っていった。その事実を告げるのも恥ずかしいが、いないものはいないのだから仕方ない。

「だったら、俺をやとってくれませんか?」

 とつぜんレオが身を乗り出すように言ってきた。

「あなたを?」

 レオの勢いに押されつつ、ロゼッタは困ったなと眉を下げる。だって自分はたいの悪女としてみなきらわれているのだ。仕えても彼にとって良いことは何もないだろう。

「あまり言いたくはありませんが、私では仕えがないと思うのです。そもそも、どうしてこの屋敷に?」

「俺、レンティーニこうしやく様に恩があって、それをお返ししたくてここに来たんです」

 ロゼッタはなるほどとなつとくする。夫のアントニオ・レンティーニ侯爵は生前、いろんな人に手を差し伸べていた。自分と同じように彼もその中の一人なのだろう。でも、もうおそい。

「ごめんなさい。もうアントニオ様は一か月前におくなりになってしまいました。ここにいるのは後妻である私だけなのです」

 アントニオ以外、ロゼッタを後妻だと認める人はいないけれど。

 訳あってこうれいのアントニオとけつこんしたが、その夫も病には勝てずに亡くなってしまい、ロゼッタはよわい十九にしてとなってしまったのだ。

「侯爵様が亡くなったことは知っています。とても残念ですが、あなたは侯爵様が最後にとても大切にされていた方だとお聞きしました。だから代わりにあなたに仕えることは、侯爵様への恩返しになると思います」

 レオがこいねがうような瞳でロゼッタを見上げてきた。深い海の色の瞳が、不安そうに揺れている。思わずすくい取りたくなるような色合いに、ロゼッタの心も揺れた。

「俺、せいいつぱい働きます。だから奥様、お願いします」

「奥様……?」

 初めてそんな風に呼ばれた。かんがすごい。いまだかつて、ここにいた使用人達でさえ、奥様とは口にしなかったから。

「奥様、はおいやですか? では何とお呼びすれば」

 レオはぐいぐいと話を進めようとしてくる。

「ええと、今までの使用人達からは、おじようさまとかロゼッタ様などと呼ばれていましたが」

 素直に答えると、レオは不思議そうに首をかしげた。

「奥様なのにお嬢様、とは変わった呼び方ですね」

「えぇ、まぁ。私は皆さんにあまり受け入れられていなかったので」

 使用人達は、かたくなにロゼッタを妻あつかいしようとはしなかったのだ。あくまでの令嬢だという態度をくずさなかった。

「分かりました。では、侯爵様が亡くなられているのにあえて奥様とお呼びするのも気が引けますので、ロゼッタ様と呼ばせていただきますね!」

 レオは、すでに仕えることが決まったような口ぶりだ。

「待って。この屋敷にいても良いことはないです。だって私一人しかいないんですよ?」

 ロゼッタはぼつらくしたフェリオしやく家の出身で、結婚してレンティーニ家に加わったものの寡婦となってしまった。一族からはけむたがられているが、再婚の予定はないのでこのまま身の置き場に困る状態が続くだろう。

「ロゼッタ様がいらっしゃればそれでいいんです。俺の目的は達成できますから」

「恩返しがしたいのなら、十分返してもらっています。さっき命を助けてもらったのだから」

 行き先もなくしずむ船のような存在のロゼッタに、ぜん洋々たる若者を付き合わせるわけにはいかない。出世もめないだろうに、レオも意外とごうじようだ。

「ロゼッタ様がそう来るなら俺も言わせていただきますけど。助けられた恩を返すと思って、俺を雇ってください。俺、仕送りのためにも働きたいんですよ。だからお願いします」

 恩返しのために雇って欲しくて、恩返しのために雇う? なんだか恩返しが一周回ってよく分からなくなってきた。

「ほら、これで公平になるでしょ、ロゼッタ様」

 確かに、仕送りをしたいのならば働き口がないと困るだろう。あるいはロゼッタがえんりよしなくてもいいようにと、レオはわざと仕送りを理由にしてくれているのかもしれない。だとしたらなんてやさしい青年なのだろうか。

「でも私に仕えたら、あなたにめいわくがかかるかもしれないし」

 混乱のあまり、じわりとあせがにじみ出てくる。

「ロゼッタ様が『はい』と言ってくださらないと、俺は一生、恩を返せなかったとこうかいし続けることになります。それに仕送りのためにも働きたい。だから俺を助けると思って、お願いします。ロゼッタ様も俺に助けてもらったと思ってくれているんでしょう。なら、その恩を返してください。おたがいに恩を返せて丸く収まるでしょ。これ以外に良い方法あります? 俺はないと思います」

 すらすらと説得の言葉を積み重ねてくる。ロゼッタは反論の言葉も上手うまく見つからない。

「そ、そうかも、しれないです」

 勢いにされて、ロゼッタは思わずうなずいてしまった。

「よしっ。じゃあ決まりですね」

 レオはうれしそうにこぶしにぎっている。その喜び方が可愛かわいらしくて、ロゼッタのほおも少しゆるむ。

 まるで気まぐれな猫になつかれたようだ。まんまと流されてしまったような気がするが、こんなに喜んでいるならこれで良かったのかもしれない。ロゼッタに仕えることで彼が満足するなら、自分にもまだ存在価値があるのだ。彼一人だとしても、必要とされているのならば、それは喜ばしいことだから。

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