第二章④


 娯楽小説のコーナーまでやってきたミリアは、壁を背にした書架の一番上の段を見上げた。目当ての本はそこに並んでいる。踏み台を使わなくてはならない高さだ。

 いつもは五段の踏み台を使うのだが、近くには低い三段のものしか見当たらなかった。

 ものはためしに、と低い踏み台に乗って手を伸ばしてみると、なかなかどうして届いてしまう。しかし背表紙にれはするのだが、引き抜くにはやや背が足りなかった。

 こうなると足搔あがいてしまうものである。反対の手でたな板をつかみ、うーん、といっぱいびして、なんとか本を引き抜こうとした。

 指先に力を入れ、ぐっと引っ張る。

 もうちょい、もうちょい、とがんっていると、ずずっと本が動いた。

 取れた。

 そう思い、かかとを下ろしたしゅんかん──。

 バキッ

 いやな音がして、ミリアは足を踏みはずした。

「ぅわっ!」

 支えをなくしてったひょうに、つかんでいた棚板を引っ張ってしまう。

 ぐらりと本棚が手前にかたむいた。

 落ちてきた本から顔をかばおうとして、腕が顔の前に出た。

 踏み台から落ちるのを防ぐことも、倒れてくる本棚を避けることもできず、目を閉じて身をかたくする。

 その腰にだれかの腕が回り、ぐっと後ろに引っ張られた。

 ばさばさと本が落ちる音と、ガゴンと物同士がぶつかる音がした。

 予期したしょうげきが来ず、恐る恐る目を開けると、目の前に本棚がななめに倒れていた。ミリアが乗っていた踏み台を支えにして、完全に倒れてしまうのをまぬかれている。

 本棚とゆかの間に本が散らばっていた。でたらめに積み重なって山を作り、ページがぐちゃぐちゃになっていた。

 もうもうとほこりが立ちこめている。

 助かったのだと知って体の力が抜けた。

 すると、はぁぁぁ、とかたぐちから長いため息が聞こえてきて、ミリアは再び体を硬くした。

 見ると肩の上に誰かの頭が乗っていた。

 後ろで束ねた銀色のかみ──アルフォンスだ。

 床に座り、ミリアを後ろからかかえるようにりょううでを回している。ミリアはその長いあしの間にちょこんと収まっていた。

は?」

 アルフォンスが顔を上げた。

 わっ。

 ミリアは息を飲んだ。まえがみがつきそうなくらい近い。

 深い緑色のこうさいのきらめきや、切れ長の目をふちる長いまつげの一本一本までもがよく見えた。

 ウエストに回る腕のかんしょくと体温を急に意識して、顔が熱くなっていく。心臓がうるさい。

「どこか痛みますか?」

 ミリアの頭は真っ白になって、何も考えられなかった。

「ミリア嬢?」

 アルフォンスは体の向きを変え、ミリアの頰に手をえて顔を上げさせると、正面からのぞき込んだ。れいひとみに、こうちょくしたミリアが映っていた。


 ミリアの口がぴくりと動いた。

 それに反応してか、アルフォンスの親指がわずかに頰をさすった。

「……てください」

 許容量の限界だった。

「え?」

「離して下さいっ!」

 ミリアはアルフォンスをき飛ばした。

 しかし直後に、はっと我に返る。

 助けてもらったのに何てことを……!

「ああっ、すみませんっ、怪我はありませんか?」

「私はだいじょうですが……」

「私も怪我はしていません。助けて下さってありがとうございました」

 立ち上がったアルフォンスが手を差し出してくれて、ミリアも立ち上がった。

 改めてお礼を言おうとしたが、派手な音を聞いて駆けつけた職員にじょうきょうの説明を求められ、ミリアはいったんその対応に追われた。

 事故の原因は踏み板がくさっていたことと、重心をこうりょせずに本を並べていたことで、図書館側の責任としてかたがついた。


 職員に何度もり返し謝罪された後、ようやく解放されたミリアは、アルフォンスの所に向かった。

「アルフォンス様、さっきは本当にありがとうございました」

 ていねいに頭を下げる。

「いいえ。怪我がなくて何よりです」

「何かお礼をしたいのですが」

 言葉だけでは気が済まない。大怪我をしたかもしれないのだ。

 多少入手が難しい物でも、商会のをたどって取り寄せるつもりだった。

 さあ来い! とばかりに構える。

「でしたら──」

 アルフォンスは目をそらしてあごに手を当て、何かを考えるような仕草を見せた。

「──少々手伝って頂けませんか?」

 アルフォンスの正面の席を手で示されて、うながされるままにミリアは椅子に座った。

 その前に書類の束がとさりと置かれる。

「書類にしんな点があったら言って下さい。わかるはんで結構です」

 状況についていけず目をぱちぱちさせているミリアを置いて、アルフォンスは書類仕事に戻ってしまった。

 さっきみたいに、計算間違いとか、値段のおかしなしょを言えばいいの?

 こんわくしたミリアはアルフォンスを見た。

 つやつやとした銀糸のような前髪のすきから、形のいい眉とせた目がのぞいている。下を向いていても美人だ。姿勢がよく、ペンを持っている姿が様になっていた。

 実はがみに祝福されたチート転生者なんじゃないか、と馬鹿なことを考えた。ミリアと、もしかしたらローズも転生者なら、アルフォンスもということだってあり得るのでは。

 私、このちょうぜつイケメンに、後ろからきしめられたの……?

 思い出すとまたどうが速くなっていく。ミリアには刺激が強すぎた。

 あれは事故。あれは事故。

 心の中で唱えるが、視線はアルフォンスにくぎづけだ。

 すると、ふとアルフォンスが顔を上げて、眉を寄せた。

「やりたくないのなら結構ですが」

「やります!」

 これはお礼なのだ。やるに決まっている。

 ミリアはさっそく書類に目を移した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る