第二章③


 この日、ぼう中傷にさらされ、ローズに近づくことはかなわず、反対にエドワードからまわっている日々に疲れたミリアは、一カ月ぶりに図書館で本を読んでいた。

 最高だった……。

 読み終えた本をぱたりと閉じ、ハンカチを目に当てる。

 しばらくいんひたった後、ミリアは本を手に立ち上がった。

 すると、視界のはしに、アルフォンスの姿が映った。

 ミリアの中にいたずら心がわき上がる。

 昨日の仕返しをしてやろう──。

 ミリアはこのひと月、エドワードのお茶会の誘いを断るだけでなく、廊下で呼び止められても聞こえないふりをし続けるという作戦も実行していた。もしやけられているのでは、と察してもらうためだ。

 それを昨日「殿下を無視するのですか」とアルフォンスにとがめられたのだ。おかげで「無視なんてしていませんよ?」と弁解する羽目になり、一カ月かけた作戦が水のあわになった。

 味方に後ろからされたようなものだ。ちょっとした仕返しくらいしてもいいだろう。

 ミリアは気づかれないように後ろからそっと近づいた。驚いた顔を想像してほくそ笑む。

 アルフォンスは閲覧スペースの端の席に座り、テーブルの上に紙を広げていた。蔵書を参照しながら書類仕事をしているようだ。

 うん?

 アルフォンスの横に立ち、目に入った数字に、ミリアはかんを覚えた。並んでいる数の割に合計のけたすうが合っていないように見える。

 無意識にかくにんしてしまうのは、商会の仕事でみついた習慣だった。

 ふとアルフォンスが顔を上げた。ミリアを認めて目がわずかに見開かれる。いつもぶっちょうづらのアルフォンスにしては十分すぎる反応だった。

 やった!

 驚かせてやった。仕返し成功だ。

 いい気分になったミリアは、見ていた書類をとんとんと指でたたいた。

「これ、計算間違ってますよ」

「のぞき見ですか」

 アルフォンスがまゆを寄せた。

「すみません……」

 目の前で広げられているとはいえ、他人ひとの書類を勝手に見るのはよくなかった。

 アルフォンスはミリアを一にらみすると、ミリアがてきした書類を取り上げて目を通した。視線が流れていくのが速い。

「確かに……誤っていますね」

 感情の乗っていないへいたんな声だった。

「ではこれで」

 用は済んだとばかりに、ミリアはアルフォンスからはなれようとした。

 しかし足を踏み出す前に、アルフォンスが別の書類を一枚差し出した。

「こちらはどうですか?」

 いどむように言われ、ミリアは書類を受け取った。立ったままさっと目を通す。

 せいきゅう書か発注書の写しのようだ。こうもくと数字だけ書かれていて、何のための書類なのかはわからないようになっている。布地やらかざひもやら人件費やら。布の厚さやたいきゅう度といった仕様が細かく書いてあった。

「合ってそうですけど……」

 ざっとがいさんしてみた。先ほどのような桁数誤りはない。一の位の合計は正しい。それ以上の精算は暗算ではしたくない。

 それより、この値段……。

「紙とペンがないと正確な数は出せません」

 ミリアにはほんごしを入れて確かめるつもりはなく、それだけ言ってアルフォンスに返した。

「ありがとうございます」

「いいえ。では」

 今度こそ立ち去ろうとアルフォンスに背中を向ける。

 だが、やっぱり言っておこうと思い、足を止めてくるりと振り返った。

「相場よりだいぶ高い布地を使っているようですね。見た感じ、団の制服でしょうか。この条件だと、うちならもっと安くできますよ」

 書かれている内容通りなら、通常価格の二、三倍はしている。

 アルフォンスは厳しい顔で、受け取った書類とミリアをこうに見た。

 うーん、商会うちの売り込みはよくなかったか。

「布地の価格……」

 アルフォンスの呟きは、小言を言われる前に、とさっさと立ち去ったミリアには聞こえていなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る