第60話 スペインの大将軍・ゴンサロ・デ・コルドバ

ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバ

‘エル・グラン・カピタン’すなわち大将軍と言われるスペインの将軍。一四七四~一四七九のカスティーリャ独立戦争、一四八一~一四九二のグラナダ戦争、一四九四~一四九八のキャロライン戦争、一五〇一~一五〇四のナポリタン戦争、一五一一~一五一四のセントリージュ戦争などに参戦、主な戦歴は一四九五年第一次セミナラ、一五〇三年カリグノラ(チェリニョーラ)、一五〇三年ガリグリャーノなど。


 彼は一五四三年、アンダルシアの管理官ペドロ・フェルナンデス・デ・コルドバの息子として生まれた。宮廷に出仕し、やがて一四六六年、国王ヘンリー四世の異母兄弟アルフォンソの城に仕えるようになる。のちアルフォンソの妹イザベラに奉職し、独立戦争における彼自身の見事な働きぶりからのちイザベラの寵愛を受け、彼女が王権を手にするとイザベラのためにポルトガルと戦い、またアルフォンソを助ける(一四七四~一四七九)。グラナダのムーア人の王国と敵対して長い地域紛争を過ごし、その中で彼の担う役割の重みはどんどんと重くなった。一四八一~一四九二の間要塞攻略に端倪すべき技能を発揮する。ボーブディルとともに理事として交渉に派遣され、一四九一年一二月末、最終的にグラナダを開城させた。女王イザベラのもとに勝報を持ち帰ったのち、彼はナポリに派遣され、国王アルフォンソの探検隊の先頭に立って助ける。王の親族アラゴン国王フェルディナンド(女王イザベラの夫)に随行して一九四五年三月二六日、カラブリアに上陸。彼の率いる軍隊は二千百人と少数であったが、局地戦における強さは並外れていた。


 かつて一四九五年六月二八日、フランス元帥ドービヴニーとスイスの第一次セミナラで戦い、敗走させられたとき、彼はフランスの重装騎兵とスイスのパイクマンを同時に二正面作戦してのけることができなかったが、この敗戦を糧に彼は技能と術策を駆使し、他に知られていないような戦闘教義によって、最も成熟した戦闘歩兵集団を作り上げるにいたる。彼らは耐え抜く粘り腰と高い攻撃性を備え、大量のフランス騎兵、あるいはスイス・パイクマンを屠った。ナポリ王国のフランス軍はその後(一四九五~一四九八)彼らのために苦しめられることになる。スペインに帰還。最後にはフランス軍はオスティアの戦場からいなくなった。フランス・スペイン同盟が結ばれた短期間の間に、彼は指揮官としてスペイン軍を率い、一五〇〇年、同盟軍の一部の不穏分子をイオニア諸島のケファロニアで捕らえた。


 その後南イタリアで再度のフランス軍との戦いを待ち、数で勝るネムール公の軍を彼はアプリアのバーレッタで撤退させ、その後も一五〇二年八月から一五〇三年四月まで、彼は最前線指揮官としてフランス軍の攻撃を阻み続けた。のち大軍を拝領、ゴンサロは今や破壊と防衛の決定的手段を手にしてバーレッタの外に進軍し、慎重に近郊に布陣してカリグノラを得た。ネムール公は向こう見ずに重騎兵とスイス・パイクマンの複合兵科で猛攻を仕掛けたが、スペイン軍小銃隊の連射および見澄ましたタイムリーな反撃の前に、一五〇三年四月二六日、フランス軍は壊滅した。ネムールは銃撃に頭を射貫かれて死に、フランス軍は大混乱に陥った。ゴンサロは五月一三日ナポリを再占領したが、しかし彼は近くのガエタを包囲中、北からやってきたフランス・イタリア同盟の大軍の前に潰走させられる。ガリグリャーノ河で追撃を遮断してからゴンサロは指揮を執り、単騎敵を偵察した結果、一〇月から一二月の間両軍は大戦を避けた。理由はフランス軍指揮官ルイ・デ・ラ・トレモアールの病気であり、フランス・イタリア軍は指揮権をマルキウス・ゴンガザ・マントゥアに委譲した。


 スペイン軍はサラッツォのロドゥィーコでマルキウス軍を認め、恐怖心を逆にアドバンテージに替えて、冬空のもと、フランス軍司令官の優柔不断をついてガリグリャーノで奇襲突撃(一二月二八から二九日)、フランス軍は鎧袖一触され、ボートに乗って逃げるしかなかった。一五〇四年一月一日時点でガエタは引き渡しを待っており、ゴンサロは国王フェルディナンドに三月、勝報を知らせた。スペインに召喚されたゴンサロだが功績が高くなりすぎたために一五〇七年以降、フェルディナンドから猜疑と不信の目を向けられ、彼は一五一二年四月指揮権を回復してその直後ラヴェンナからスペインへの大災害を食い止めたが、やはりスペインに召喚され不遇に晩年を過ごした。イタリアで困窮して熱病にかかり、グラナダのロハで死んだと言う。


 疑いなく、一六世紀初頭の戦線を代表する野戦司令官である。彼は一四九六から一五〇三のイタリアでスペイン軍の歩兵隊を小銃隊に変更し、恐るべき軍隊を作ってこの世紀におけるヨーロッパの戦場をスペイン軍で支配した。唯一無二の指揮官としてその能力と銃火器戦術は認められるべきであり、彼は技術の複合によって革新を図り素晴らしい戦略と戦術を打ち立てた。カリグノラとガリグリャーノはともに軍事史に驚きと衝撃を与えた、応用作戦の好例であった。

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