第38話 晋の杜預

杜預(と・よ)

 杜預、字元凱。京兆杜陵の人なり。祖父・杜畿は曹魏の尚書僕射、父・杜恕は幽州刺史にまで至った。


 杜預は博学多識、謀略に通じ、しかし父が司馬懿と不仲で幽閉され死に致したため、長らく重んぜられず。のち司馬昭が政局を取って後、杜預は高陸公主を妻にめとってようやく司馬氏との関係発達、祖父の爵豊楽亭侯を襲名する。景元四年、鐘会が軍を率い蜀を伐つと、杜預はその武将として作戦に参与、平蜀後、鐘会が謀反しその僚佐の大多数が連座して殺されたが、ただ杜預一人は自らの機知に頼って難を免れた。


 晋武帝が魏に代わって以後、杜預は河南尹に任ぜられ、京師の理治を任される。まもなく命を奉じて対官吏進行審査官に命ぜられ、深く責任重大を感じ、啓奏して曰く「古来より官吏の進退昇降は、みなこれ似議(推し量る)の心、しかして成法に拘泥せず。これのちに専求密微の至るべし。これ疑心にして耳目を信じ、耳目を疑って而して文書を信ずる。もって文書は来越煩瑣にして、しかるに官の術は則ち虚偽なり。曹魏の考課は法律条文きわめて周密、しかれどもかえって苛にして細を失す。唐堯の旧制にしかざれば大を取って小を捨て、密から離れて簡に就く、それでこそ政執行しやすし。顕官を持って委ねるべし、彼らはおのず、各自属官に評議し、毎年評議して優劣等第を決めん。六年をもって最優良のものを主管部門の彙総(とりまとめ、総監)となし、六年均しく優れしものは昇遷、六年均しく劣悪なるは罷免、なおわずかに優れるものは現状維持、なおわずかに劣るものは降格」この一答が官吏登用の基本便法となり、晋武帝ははなはだ杜預を賞賛した。ただこれがいったん実行されると変動が余りに大きく、武帝は根本的部分でこのような迫力に押し負けて、自然と令の実行は取りやめとなった。


泰始六年、杜預は彼と不仲の司隷校尉、石鑒の劾奏により、河南尹の職から罷免される。あたかもこのとき、鮮卑の禿発樹機能が涼州で晋に叛乱を起こし、これにより杜預は長安に往って秦州刺史に遷された。これに対して了見の狭い石鑒はこのとき西北に打って出て、安西将軍、杜預の上司となる。彼はこの機を利用して杜預の職権を打破しようと考えており、杜預に冒険的出撃を命じた。杜預は無理に争っても彼我双方の被害が大きくなるだけだと考え、必ず勝てる機を選んで漸く出撃したので、石鑒はこれを大いに怒り、再び杜預を劾奏して囚車に押し込め、罪人として京師に送り返した。このよしに杜預は公主を妻となし、ようやくにして“八議”の法則に依拠被り、あらかじめ罪を免じた。


 杜預はしばしば打撃を被ったが、しかし朝廷の上下皆彼が謀劇に精通する事を知っており、相応の重用を与えた。ゆえに匈奴の主帥・劉猛が泰始七年、晋に叛いたときも、武帝は杜預を宮廷に召し入れて決策に参与させた。まもなく、度支尚書に任命。杜預はいまだなお衆望を負う立場になかったので、武帝に向かい常に倉凛満ちて穀価安定するため、糧運の面から軍国の大計五十余条を建議し、均しく武帝の採納を得た。


 これより杜預の上役に当る人物はいなくなる。また、石鑒が怨み糾糾として当時、軍を率いて東呉征伐に出陣したが、虚偽の戦功を報告したので杜預によって虚偽の殻をはがされた。両人の間には旧仇新怨あり、事ここに至ってさらに火と水の関係、両者の党派は議論騒然となり、武帝は怒って両人をともに免官させた。数年の後、杜預は漸く原職に服す。


 咸寧四年秋、司、冀、兗、豫、揚諸州で連日暴雨。洪水氾濫し、時を同じくして蝗害発生。武帝は大臣たちに向かい百姓賑済の策を諮問し、杜預は上訴して曰く「兗、豫州においては漢代の防波堤を修築し、その余剰の水を決し流して飢民に魚蚌螺菜を与えるべしですが、これは目前危急の法であります。洪水が引いたならば田地に胎土を積み、畝ごとに糧数種を得られるようにすべし、これ明年よりの収益となります。官府には現在種牛四万五千余頭、これをもって農民に給り、種を耕さすれば、秋以後に納められる租税は幾年後かに大いな収益となりましょう」武帝は彼の意見を採納し、第百姓に頼って民は息を吹き返した。杜預が度支尚書であった数年間、このように国家と百姓にとって有益な措置は数えるべからず、朝野の内外みな彼を賛美して「杜武庫」と称した。彼の知嚢は武器庫同然という意味であり、実際軍事に関して彼が知らざる事がなかった。


 この年十一月、羊祜病篤くなる。杜預は数少ない呉伐派の大臣の一人であったから、羊祜病逝後、その任を引き継いで鎮南大将軍、都督荊州諸軍事となり、これより彼が呉伐戦の首謀者となる。


 杜預は着任すると羊祜が遂に果たせなかった事業を引き継ぎ、大いに軍隊の整理に力を注ぎ、士気向上を奨励し、また精鋭な士卒を選抜し、騙し討ちを以て大いに呉国の西陵督・張政を破った。張政は東呉の名将の一人であったが、その彼が防備を布く前に敗れてしまい、これを深く恥辱と感じて呉主・孫晧に失敗の真相を隠蔽した。杜預はそれを放置せず、離間の計を用いて呉の君臣間に亀裂を入れる。故意に表を奉じ、大量の戦利品を張政が着服したと言わせた。孫晧は果然、計に中り、令を下して張政を召し帰し、留憲にこれを代えた。杜預は東呉辺疆の将帥に変動を招いただけでなく、呉軍の運動そのものをも造成した。


 咸寧五年、益州刺史・王濬が上訴して武帝に呉攻めの許可を求めた。武帝は呉伐に賛同の意を示しながらも、かえってまた大挙出兵の決心がつかなかった。結局武帝に早々に呉伐すべしとの決心をつけさせたのは杜預の上表陳述した意見であり、曰く「この幾ヶ月来、東呉は戒備に厳重を加え、江上に兵を有して行軍しないのを見ることがありません。ここから推断するに、東呉はすでに計窮まり、双方に心配るに無力、只よく夏口以東を保つのみであり、敵を縦にさせるは生の患、実に大いに惜しむべしであります。呉伐に出兵して首尾よくこれに成功すれば、すぐにでも天下太平の基となりましょう。もし成功ならずとしても、耗費はいささかの時間を失うに過ぎず、試さざるより一試あるべきでは?」表章を呈上して以降、武帝は一ヶ月間の間これに批准しなかったが、杜預は安穏とせず再び上表して「およそ事の成否利害において、今呉伐を行うの利は十中八、九。その害なるは十中一、二にすぎません。それを計るに功なくして還るはあらざるべし。かならず朝臣全員に呉伐の利を説き、不可能なれば自己嚢中から計謀を出し、功労あれば自己のものとせず、すべて自己の以前の過ちを認めまするが、自己元来の立場としてこの意見は堅持させていただきます。この秋が過ぎてしまえば孫晧は対策を取るでしょう。来年になってしまえば、再び計謀をなしても及ばざるが如しであります」杜預が表章したそのとき、武帝はまさに中書令・張華と囲碁を打っていたが、張華は棋盤を押し開いて天下の形勢を説き、武帝に曰く「陛下は聖武であられ、国は富み兵は強く、呉主は淫虐にして賢能を誅殺しております。今呉伐を行うなら、大力を費やすことなく一挙平定することができましょう。もとより陛下に猶予の必要はございません」武帝はこれによってようやく呉伐の心づもりを固めた。


 この十一月、杜預は司馬伷、王渾、王戎、王濬らの諸将を率い、分路大挙して呉を伐った。一路関門を攻め隘路を奪い、向かうところ敵なし。翌年二月武昌で会合。このとき、ある人が提言して「百年の寇、完全に消滅させるは難。今まさに春、江の水は膨張し、駐留は難事。いったん班師し、冬、再び大挙侵攻するが宜しいかと」杜預はこれを認めながらも却って「かつて楽毅は一役のもとに強大国・斉を併呑した。今我らの兵は威、振い、その勢い破竹の如し。数節の刃を入れれば自ずとバラける。すべすらく力を用いる必要なし」彼の籌劇のもと、晋軍は一鼓建業に逼った。果たして呉軍が出戦しないのを測り、晋軍は武昌から流れに乗って下り、只の一月もかけずに東呉を滅ぼし、勝利した。


 呉国平定後、杜預の戦功は極めて高く、爵を進められて当陽県侯とされ、再び襄陽に鎮した。このときを以て天下統一なったといえど、杜預は「天下安らぐといえど、戦いを忘れては必ず危うし」といって依然軍隊に厳重な訓練を課し、また兵力を分かって要害の地に布いた。これと同時に彼はまた水利組織を興し、田地一万頃を灌漑して、国家と百姓の利益に尽くした。統治の百姓は彼を敬慕して、“杜父”と尊称した。


 杜預は馬に乗るのが下手で、矢を射れば必ず外したが、しかし将帥の行列の中に彼があるだけで士卒は安心し、その謀劇の優れることを讃えざるはなかったという。東呉平定後、杜預は書籍研究に没頭し、《釈礼》《明会図》《春秋長歴》《女記賛》などを撰した。ことに特別なのは《春秋左氏経伝集解》で、これは一門の学派を成した。当時、王済は名馬を非常にかわいがり、和嶠は財貨を愉しんだ。杜預はこれを揶揄して「王済に馬癖あり、和嶠に銭癖あり」といったが、武帝がそれを伝え聞いて「では卿は何癖なのだ?」と問うと「わたくしは《左伝》癖でございます」と答えた。


 太康五年、杜預、病死。彼の臨終の際の遺言に従って、子孫たちは衣食を倹約したという。

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