番外編 マルゴと王 前編

【まえがき】

本編の裏側の物語になります。

最終話の展開とサブタイトルからお分かりいただけると思いますが、

この番外編はバッドエンドです。ご了承の上、お読みください。


──────────



 マルゴは、エレインのことが嫌いだった。

 十歳のとき、行儀見習い兼エレインの話し相手として公爵家に出仕したが、初めて顔を合わせたそのときから、同じ年齢の彼女が気に入らないことこの上なかった。内気で、人見知りで、なよなよしていて、ちっとも公爵令嬢らしくない。


 王妃となることが決まってからは、ずうっと嘆いていて、いつまで経っても腹をくくろうとしない。名門貴族の娘として、いずれは政略結婚の道具になることなんてわかりきっていただろうに。

 しかもこのとき、マルゴは既に王──当時はまだ王子だった──と心を通わせていた。ゆえに、よりいっそう憎らしかった。


 けれど……同情の気持ちもあった。

 心優しく繊細な少女に、王妃などという重職が務まるものだろうか、と。いずれ重圧に押しつぶされ、心身ともに病んでしまわないだろうか、と。


 犬や馬が好きで、出産のたびにこっそり見学に行っていたエレイン。死産だと聞けば、涙をこぼした。

 たとえ獣相手でも、小さなものの死を嘆くことができるエレインの優しさは、しばしばマルゴの嫌悪を和らげた。


***


 マルゴは、王妃になろうなんて夢に見たことさえなかった。愛妾めかけの身分だって望んだことはない。


 月に数度、王宮の地下にある秘密の部屋で、王と言葉を交わせるだけでよかった。口づけさえしてこないのも、彼の高潔さの表れだとして、快く思っていた。

 二人の愛は一生涯、プラトニックなもので構わないと思っていた。


 けれどあるとき、逢瀬の場所に王以外の者が現れた。

 それは、近衛騎士団の副団長を務める兄。難しい顔をして肘掛け椅子に座る王とは対照的に、いやに明るい笑顔で、


「こうして声を交わすのも久しぶりだな、妹よ」


 なんて挨拶をしてきた。その上機嫌ぶりはあまりに不自然で、気色悪かった。


 彼らから聞かされたのは、エレインを廃妃とする計画だった。

 マルゴを仲介役として、エレインと、彼女が密かに思いを寄せる騎士カラフを引き合わせる。肉体関係を結ばせた上で、その不義をマルゴが証明する。


「エレイン様を廃したのち、王妃の座に就くのはお前だ、マルゴ」


 兄はねっとりと囁くようにそう言った。さも、『妹のためを思って』というようなつらをして。王妃という甘いエサで釣れば、小娘がなびかないはずがないという慢心が透けて見える。


 しかしマルゴは、そこまで愚かではない。利己的にもなれない。

 子どもの頃から傍に仕えているエレインを陥れるなんてとんでもない、と思った。

 王妃の不倫は到底許されることではない。王族の血統の正当性が根底から崩れる。そんな大罪を犯すように仕向けるなんて、良心が咎める。


 挙句、エレインの後釜に自分が座るなんて。自分はそのような器ではない。

 こんな噴飯物ふんぱんものの計画を立案したのは、兄に違いない。並々ならぬ野心を秘めた男だということは感じていたが、まさかここまで畏れ多いことを考えていたとは。


 しかし、マルゴが王妃になれば、兄だけでなく、一族郎党が莫大な恩恵を享受できる。マルゴの肩には、一族の命運が乗っている。なんと、重い……。


 マルゴは震えながら、兄の背後に座す王を見た。愛しい王は、果たしてなにを思っているのか……。


「マルゴよ」


 王はゆっくりと立ち上がり、マルゴの前へとやって来る。小柄なマルゴは一生懸命に首を伸ばし、王の巨体を見上げた。

 雄々しく精悍な顔立ちの王は、マルゴを見つめるときだけ、鈍色にびいろの瞳の中に、とても優しい色を浮かべてくれる。


「初めて出会った日のことを覚えているか?」


「もちろんでございます。四年前、剣の訓練中に大怪我を負ったあなたが我が家に運ばれてきて……私がお世話を仰せつかって……」


 切々と思い出を語ると、王も懐かしそうに頷いた。


「私が苦痛に呻いている間、お前は片時も離れず傍についてくれたな。休むことなく、私の汗をぬぐってくれた。私の手を握って、励ましてくれた。乾いたくちびるを湿らせてくれた。汚れた寝具を率先して交換してくれた。

 お前の献身に触れたときから、私の心はお前のものだ。だから──」


「陛下、私はこのままでも構いません。あなたのお心だけを頂ければ、その逞しい腕にいだかれたいなんて、ましてや隣に立ちたいなどと、決して望みません。ですから──」


 首を横に振るマルゴの肩に、王の大きな手が乗せられた。衣類越しに伝わる、愛しい男の体温は、どんな酒精よりもマルゴを激しく酔わせた。


「マルゴよ、私は夢を見てしまった。お前との子を抱く夢だ。その子を、次の王とする夢だ」


「陛下……」


「今のまま、お前との間に子を成したところで、その子は継承権を持たない庶子に過ぎない。私は、愛するお前の子を、そのような不遇な立場に追いやりたくはないのだ」


 優しく、強い言葉だった。本心からそう思ってくれているのだと、痛いほど伝わってきた。

 マルゴはそっと目を伏せ、しばし思索に耽った。


 侍女が王妃になる、というのは、決して荒唐無稽こうとうむけいな話ではない。

 王の祖母──つまり、先々代王妃は、もとは侍女だった。

 先々代国王は、他国から嫁いできた最初の妃と離婚している。子宝に恵まれない、という理由で。そして、その侍女を妃に迎えているのだった。

 ゆえに、マルゴが身分を理由に王妃の座を拒絶すれば、現王の血筋まで拒絶することになってしまう。


 半ば腹を決めたマルゴは、部屋の隅で退屈そうに腕組みしている兄を見た。王と妹のロマンスになど、これっぽっちも興味がないのだろう。


「お兄様。もしカラフ殿がエレイン様の誘惑になびかなかったら、どうするのです?」


 すると、兄だけでなく、王まで笑った。口元に嘲笑を刻んだまま、兄が答える。


「いいや、あの放埓ほうらつ極まりない男ならば、据え膳を食わずにいられるはずがない。奴の性格は、よぉく理解している。

 反対に、お前に尋ねよう。お前は、エレイン様をうまくそそのかすことができるか?」


 できるだろう、とマルゴは思った。エレインは、叶わぬ思いに身を焦がし、未だ王妃の自覚を持てずにいる。

 なによりエレインは、マルゴのことを深く信頼している。依存といってもいいほどに。

 ゆえに、マルゴが『今が思いを遂げる好機です』とでも囁けば、エレインは容易に誘惑に乗るだろう。


 しかし、すぐに首肯しゅこうすることはできない。まだ、納得できないことだらけだ。


「計画が上手くいったあと、あの二人はどうなるのです? どうされるおつもりですか?」


 正直、カラフのことはどうでもよかった。

 ただ美しいだけが取り柄の、軽薄で軟派な男。明星の騎士だなんてたいそうな名で呼ばれてはいるが、そのじつ、中身は空っぽなことはマルゴにはお見通しだった。

 そんな奴、車裂きの刑にでもなってしまえばいい。


 けれどエレインは……。


 不安げに王を見上げると、心配するな、とばかりに柔らかい笑みを返してくれた。


「今回のこと、おおやけにするつもりはない。ただ、エレインとの正当な離婚事由ができればいいのだ。彼女の生家である公爵家や、廷臣を納得させられる理由ができればいい。

 カラフも、『明星の騎士』として、今後も大いに役に立ってもらわねばならない。不倫の罪を帳消しにする代わりに、騎士団のマスコットとして、生涯飼い殺しにするつもりだ」


 ならば、とマルゴは、すべてに同意した。

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