最終話 カラフとエレイン

 元王妃エレインは、王国の西の端にある修道院に身を寄せていた。

 修道女に案内され、中庭へ足を踏み入れたカラフは、そこにいる女がエレインだとすぐに気付くことができなかった。


 いや、本当は一目でわかった。だが、カラフの知るエレインの姿とあまりにかけ離れてしまっていて、理解が追い付かなかったのだ。


 腰まであった豊かな黒髪は、肩口で切り揃えられていた。

 身にまとうのは質素な衣類。それでも、他の者たちよりは遥かに上等なもののようだったが、元王妃にして公爵家の令嬢が着るにはあまりにみすぼらしい。


 なによりも信じられなかったのは、エレインが声を上げて笑っていたことだ。

 大勢の子どもらに囲まれて、エレイン様エレイン様とやかましく話しかけられて、服の裾を泥まみれの手で引っ張られて。

 名も知れぬ野草を手渡され、短くなった髪に挿す。

 ありがとうと礼を言い、小汚い頬に口づける。


 カラフが知るエレインのどんな姿よりも、活き活きと輝いているようだった。


「エレイン……」


 小さくその名をつぶやくと、彼女ははっと目を見開き、勢いよくカラフを見た。二人の視線が、真っ向からぶつかる。

 なんと言葉をかけるべきか迷っていると、みるみるうちにエレインの頬が朱に染まっていく。


「ああ、なんてこと、カラフじゃないの! あなたにこんなはしたない姿を見せてしまうなんて……。あらかじめ手紙でもくれたなら、精一杯着飾ったのに!」


 予期せぬ非難をされ、カラフは面食らった。


「いやだ、私、ろくにお化粧もしてなくて……」


 と、エレインは建物の中に逃げ込んでしまった。そのあとを、数人の子どもが追っていく。

 残った子どもらは、顔いっぱいに好奇心を浮かべて、カラフの足元にわらわらと寄ってきた。挙げ句、一斉にしゃべりかけられて、カラフはたじろぐ。


「お客様にご迷惑でしょう。あちらで遊んでいらっしゃい」


 修道女に厳しくたしなめられ、子どもたちは渋々散っていく。だが、遠巻きにこちらを窺い続けていた。

 ぽつんと残されたカラフへと、修道女が静かに語りかけてくる。


「エレイン様はここへ来たとき、それはむごい有様でした。誰の声にも反応せず、言葉も発せず、心を失われたようになって。

 父君は、定期的な寄付をくださいますが、一度も会いに来られません」


 と、同情を示すように目を伏せた。


「ですが、二月ふたつきほど前のことです。修道院の裏に捨てられていた赤子の泣き声を聞いたとき、エレイン様は激しく反応されました。誰よりも早く駆け出し、たどたどしく抱き上げて、滂沱ぼうだの涙を流されました」


「そう、ですか……」


 万感の思いが込み上げ、カラフはかすれた声でそう絞り出すのが精一杯だった。

 エレインは腹の子を失っている。しかも、自らの手によって。親に捨てられた赤子を目の当たりにしたとき、一体どのような想いを抱いて涙したのだろうか。


「幸い、赤子はすぐに引き取り手が見つかりました。そのとき、エレイン様は自分のことのように喜ばれて。以後、修道院ここに預けられた子どもたちに積極的に関わるようになって、今に至ります」


「それは……ほんとうに……よかった……」


 声を震わせるカラフのことを気にする素振りもなく、修道女はしみじみと続ける。


「きっとあの方は、こういう子ども時代を過ごして来られなかったのですね。同年代の子らと無邪気に笑い合って、泥まみれになって遊んで。

 様々なしがらみから解き放たれた今、失われた時間を取り戻すように楽しんでおられるのでしょう」


 ――楽しんでおられる……。

 修道女の言葉を反芻しながら、カラフは先ほど目の当たりにしたエレインの笑顔を思い出す。

 質素な衣服をまとい、髪は乱れ、化粧なんかしていなくても、十二分に美しく、眩しい笑みを浮かべていた。


 カラフの姿を見ても、怒りや悲しみを見せることは一切なかった。予期せぬ再会に、純朴な少女のように照れて恥じらってくれた。逃げ去る横顔の中には、間違いなく喜びがあった。


「修道女殿。あの方を、連れ出してもかまいませんか?」


「それはいけません。子どもたちが寂しがってしまいます」


 ぴしゃりと返されて、カラフは思わず苦笑する。そしてはたと気付いた。口元に作り物ではない笑みが浮かんだのは、本当に久しぶりのことだと。


「では、ただちにあの方の元へ行って……抱き締めてもよろしいか?」


「それはかまいませんが……。子どもたちの前だということを忘れてはなりませんよ、カラフ・・・


 妙に凄みのある声と共にじろりと睨まれ、カラフは戸惑い――そして唐突に閃いた。


「ああ、アマーリア先生! アマーリア先生ではありませんか!」


「ようやく気付きましたか。お前の認識力は、若い娘にしか働かないことはわかっていましたよ」


 初老の修道女は、眉間にたっぷり皺を寄せて苦々しく吐き捨てる。

 アマーリアはかつて、カラフの郷里で子どもらに読み書きを教えていた。身分の貴賤を問わず非常に厳しい『教育』を施すことで有名で、カラフもしょっちゅう折檻を受けたものだ。


「まったく、お前はいつか女性関係でとんでもないことを仕出かすだろうと懸念していましたが、まさか王妃殿下とねんごろになるなんて」


「それは……耳が痛いです」


 気まずさを誤魔化すように笑うと、おもむろに頬を張られた。


「お前は、己の仕出かしたことの畏れ多さを、重大さを、理解しているのですか」


「……もちろんです」


 痛む頬を押さえることなく、カラフはただアマーリアの目を真っ直ぐ見据えた。


「わたくしは、一人の女性の人生を狂わせました。そのひとの腹に宿った命を失わせました」


 己の罪を告白すると、きりりと胸が締め付けられた。自責の念にくずおれてしまいそうになったが、嘆くだけではなにも変わらない。


「……ですから、生涯を彼女に捧げ、天に昇った子を想いながら生きていく所存です」


「では、行きなさい。再会の抱擁を交わして、同じことを彼女の前でも誓いなさい」


 カラフはアマーリアへと静かに一礼する。

 そのとき、幼い少女がカラフの外套の裾を引っ張った。何事かと視線を落とせば、彼女は一輪の赤い花を掲げていた。

 そのあたりで手折たおってきたであろう、名も知れぬ花。だがそれは、湖畔の街ガーシュでの最初の夜、エレインがしたためた手紙に添えられていたものと同じものだった。


「エレインさまの、すきなおはなです」


 舌足らずの声で言われ、カラフはその花をしっかりと受け取った。


「ありがとう、お嬢さん」


 甘く微笑むと、周囲の女児らが「きゃあ!」と黄色い歓声を上げ、アマーリアが嘆息した。


 それから、子どもたちに導かれ、エレインの部屋へと向かう。

 固く閉ざされたドアへのノックは、五回。


 そろそろと出迎えたエレインの顔は、未だかつて見たことがないくらい真っ赤っか。涙さえ浮かべているものだから、子どもたちに「泣かせたー」と責められた。

 小うるさい彼らを追い払おうか迷ったが、ちょうど良い証人になるだろう。


 カラフはエレインの前に跪き、花を差し出し、「生涯、あなただけの明星になる」と誓った。


***


 かくして、王国の西の端にある小さな村に、とても美しい男が住み付いたという噂が立った。

 しかしその噂が、王都にまで届くことはなかった。


 一方、長きに渡る恋を成就させ、めでたく夫婦となった国王とマルゴだが、その結婚生活はわずか数か月で終わりを告げた。


 もとより彼らの婚姻は祝福されたものではなく、


「前王妃の在位中から王と関係があったに違いない。エレイン様は、それを気に病んで自殺を図ったのだ」


 と、周囲から冷眼視されていた。

 すべてを覚悟した上での結婚だったようだが、マルゴには悪評に耐える精神力が足りなかった。


 やがてマルゴは、「どこかから赤ん坊の泣き声が聞こえる。前王妃の腹の子の霊に違いない」といって引きこもるようになってしまった。


 それは侍女たちのいたずらに過ぎなかったと判明したのは、マルゴが自死してからのことである。

 

 遺書には、前王妃の自殺未遂に関するおぞましい事実が記されていたが、それも侍女の悪質な捏造だとされ、多くの者が厳罰に処された。

 



<了>




【後書き】

ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました。

このあと、物語の裏エピソードとなる番外編へと続きます。

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