第14話 王は笑う

「エレインが今どこでどうしているか、本当に聞きたいか?」


 ひどく威圧的な王の態度に、カラフはたじろぐ。その答えが喉から手が出るほどに欲しい反面、知るのが恐ろしかった。

 なんとか気持ちを奮い立たせ、首を縦に振る。


「心を病んだ娘を、父である公爵も見放した。今、彼女は公爵領の端にある修道院で、生ける屍のようになっているそうだ」


 無慈悲極まりない王の口ぶりに、カラフの心はカッと沸き立つ。


「たった数年でも、妻だった女に……よくもそのようなむごい物言いを」


 非難の気持ちを隠さず告げると、王の目に冷たいものが宿った。


「どの口が言うのだ? 王妃であると知りながら、さんざんその身体を貪ったお前が。よもや、誘惑したエレインが悪い、などと言うまいな」


 カラフは王の気迫にゾクリと震える。ごくごくわずかだけ、あの夜に忍んできたエレインを疎む気持ちがあった。彼女がカラフへの思慕を抑圧し続けてくれていたら、こんなことにはならなかった、と。

 その醜悪な気持ちはおくびにも出さず、今度はカラフから咎め立てる。


「あなたこそ……自分はさも清廉潔白であるような顔をしながら、陰で侍女と密通していたのでしょう?」


 罪を犯していたのは、カラフだけではない。皆に敬愛される王だって、所詮は一人の男だった。カラフだけが一方的に責められる謂れはない。

 しかし王は顔色一つ変えることなく、カラフを視線で射ながらきっぱりと言った。


「私は今に至るまでただの一度も、マルゴと肌を合わせたことはない」


「……う」


 嘘だ、と喉元までこみ上げた言葉を、唾と共にごくりと飲み込む。王の相好は真剣そのもので、瞳には強靭な意志が宿っていたからだ。

 正式に夫婦となるまでは決して触れ合わぬと、決して不義は働かぬと決意した、雄の本能を超越した眼差し。

 エレインを寝取った程度で優越感に浸っていたカラフには、到底及ぶことのできない高潔さ。

 この王は、とうの昔に遥かなる高みに座しており、己の望みを叶えるべく着々と行動をしていたのだ。


「もし……もしわたくしが、エレインの誘惑を跳ね除けていたら……どうするおつもりだったのです……?」


 意味のない質問だとわかっていたが、尋ねずにいられなかった。

 王は、口元に冷笑を刻む。


「お前がそこまで意志の強い男だとは、はなから思っていなかった」


 ――ああ、とカラフは己の不甲斐なさを嘆いた。

 少年の頃から、カラフは誘惑に弱かった。ことさら、異性関係においては。

 誇り高い騎士の皮をかぶりながら、内心で己の容姿を鼻にかけ、寄ってくる女たちを好き放題にしていた。そんな男が、美しい王妃の誘惑を拒絶できるはずがなかった。


「カラフよ」


 王からの呼びかけが、不意に優しいものになった。カラフは瞳に涙をにじませながら、横目で王を見遣る。


「もしお前が、今一度エレインと会いたいと望むなら、彼女の居場所を教えてやろう。そこへ行ってみるがいい」


「なん、ですって……?」


 愕然と目を見開くと、王は厳めしい顔にわずかな悲哀を浮かべた。


「彼女を心から愛おしく思うのであれば、二人で生きよ。騎士団を抜けることを許可してやる。

 ……ただし――」


 再度、王は蔑むような目をカラフへ向ける。


市井しせいでの暮らしを知らぬお前たちが、今の立場を捨てて生きて行けるとは到底思えない。ましてやエレインは心を病んでいる。実際にどのような状態なのかは、私にもわからない。そんな女の面倒を、お前は生涯かけてみてやれるのか?」


「わ、わたくしは……」


 カラフはそれ以上言葉を紡ぐことができなかった。頭が混乱して、はっきりとした答えが出ない。


 これは絶好のチャンスだとは思う。

 王から直々に許した出たのだ。これで、決して結ばれぬ運命だったはずの女と共に生きることができる。

 なにより、哀れな境遇の元王妃を支え、傍にいてやりたかった。


 反面、王の言う通り、世間知らずの男女が二人、なにもかもをかなぐり捨てて生きて行けるとは思えなかった。カラフは王城勤めの騎士としての生き方しか知らないし、エレインに至ってはなおさらだ。


 苦悩するカラフの肩に、王の大きな手が置かれた。決して乱暴な所作ではなく、カラフを激励するかのようだった。


「まぁ、遠慮することはない。まずは一目だけでも、見に行ってみればいい」


「陛下……」


 しかし、寛大だった王の声に、冷酷さと傲慢さが宿っていく。


「遠くからそっと眺め、これはおのが手に負えないと思ったら、一目散に私の元へと戻ってこい。

 そして、お互いになにもかも水に流し、主君と騎士の関係に戻ろうではないか。私の御代みよを華やかに彩る明星となり続けよ。

 なあ、カラフよ……」


 ねっとりと絡み付くような呼びかけに、カラフはおぞましさを覚えずにいられなかった。きつく瞼を閉じて煩悶はんもんしたあと、腹を据えて口を開く。


「わたくしは、心のどこかであなたを侮っていました。あなたの寛容さや分け隔てのなさを尊敬しつつ、人の上に立つ者の器量ではないと感じていた。

 エレインの心を開けなかったのも、女の扱いを知らないからだと、さげすみさえ感じました。

 しかし本当のあなたは、とても恐ろしいひとだった。真に愛する女を手に入れるためなら、どんなに残酷なことでも厭わない苛烈な野心家。

 エレインを手に入れて、あなたに勝った気でいた自分が心底情けないと同時に、あなたが心底恐ろしい。

 こんなわたくしに相応しいのは、あなたという、なにもかもを飲み込む闇のそばで、震えながら光り輝くことだけなのかもしれません」


 ですが、とカラフは続ける。


「わたくしが心の底から、『明星でありたい』と願った相手は……誓った御方は…………」


 心の内を余すところなく伝えると、王はにやりとくちびるをつり上げ――静かに去って行った。


***


 新王妃との婚礼を間近に控えたある日、「カラフが王都を発った」という知らせが王の元へ届けられた。

 それっきり、カラフは二度と姿を現すことはなく、行方はようとして知れなかった。


 エレインと生きて行くことを選択したというのだろうか?


 いや、道中、野盗かなにかに襲われて命を散らした可能性もある。なにせ、彼は胃を病んで痩せさらばえていたのだ。格好の餌食だったことだろう。


 神話の通り、明星は地に堕ちた。そういうことにしておこう。

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