第2話 王妃エレイン
王妃エレインは、窓辺に置かれた肘掛け椅子に腰掛けて、ぼんやりと湖を眺めていた。
「騎士ハンネスに代わりまして、わたくしカラフが王妃様の護衛を務めさせていただきます」
「そう、ご苦労様」
王妃は、カラフにちらりと一瞥をくれただけで、また外へ視線を戻してしまった。物言いは素っ気なく、護衛の顔や名前になんてこれっぽっちも興味がないと言いたげ。
彼女は誰にでもこんな様子だ。その美しい顔で愛想笑いの一つでもすれば、奮起する者も大勢いるだろうに。
豊かな黒髪の王妃は、一年半前に公爵家から嫁いできたばかりで、確か今年で十九歳になる。
同郷のカラフは、幼い頃のエレインを知っている。惜しみない愛を注がれ、太陽のように眩しい笑みを浮かべる娘だった。
エレインから笑顔が失われたのは、婚儀の直後だという。
口さがない侍女たちが広めた噂によれば、初夜がうまくいかなかったことに原因があるらしい。
以後、王の『通い』があるたびに寝込んでしまうとか。
そんなデリケートな事情を、城中の者が知っているなんて……。カラフは、秘かに王妃へと同情の念を抱いていた。
王もひどく気を揉んでおり、たくさんの贈り物をしたり、共に過ごす時間を増やしたりと相当な努力をしたようだが、王妃の氷の仮面が溶けることはなかった。
今回の『静養』に関しても、『王妃が夏負けしたため』ということになっているが、それは表向きの理由に過ぎないと、城の誰もが知っている。仮面夫婦に疲れ切った王が、王妃を遠ざけるために捻出した口実なのだ。
だが、夏の間の短い別居期間は、お互いにとって必要なものなのだろう。彼らもまた、望まぬ公務のために英気を養っているのだ。
「では王妃様。なにかご不安なことがございましたら、すぐさまわたくしにお申し付けください」
もう一言二言声を掛けようか迷ったが、適切なものは見つからなかった。
カラフは静かに一礼し、王妃の部屋を後にした。
***
廊下へ出ると、若い侍女が話しかけてきた。滞在中、二階の客室を寝間として使うようにと。
騎士団の面々に挨拶をしたあと足を運んでみると、思いのほか立派な内装で驚いた。ありがたいような、くすぐったいような気分になりながら室内を見渡す。
ふと、テーブルの上に一輪の花と手紙が置かれていることに気が付いた。
わずかに警戒しながら手紙を確認すると、感嘆するほど流麗な文字で、短い文が綴られていた。
<夜半、扉を五回ノックいたします。どうか温かくお迎えください>
――ああ、とカラフは苦笑した。
よくあることだ。城仕えの女が息抜きに忍んでくることなど。
来るもの拒まずで、ありがたく
城に上がることを許された女というのは、容姿でも選別されているため、顔を背けたくなるような不器量にはお目にかかったことがない。
一度だけ、ふくよかな中年女がやってきたことがあるが、年嵩の女ゆえの手練手管を駆使して楽しませてくれた。
整った文字から察するに、下女のたぐいではないだろう。きっと、王妃と共に王城からやって来た侍女の誰かだ。もしかすると、先ほど話しかけてきた若い侍女かもしれない。
冷めた態度の王妃のご機嫌伺いに飽き飽きしていたところに、『明星の騎士』がやって来たとなれば、この機に一夜の火遊びでもしてみようと思ったのだろう。
幸い、今夜の見回りはカラフの番ではない。王都から駆けてきたカラフに対しては、皆が『今夜はゆるりと休んでください』というような態度だった。この手紙を残した女も、それを知っているのだろう。
さっそく『羽を伸ばす』ことができそうだと、カラフはくちびるの端をきゅっと吊り上げた。
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