エピローグ
泣く資格
日本の櫻ケ丘市にある市立櫻ケ丘中学校であった事件は全国規模のニュースとして大きく取り扱われる事となった。但し校庭にいた米軍関係者が全て巻き込まれて死亡した『ヘリコプター着地失敗による大惨事』として。
男がこの世界から消滅して一ノ瀬マモルが息を吹き返した直後、警察と消防が一斉に現場へと殺到した。その現場は余りにも凄惨過ぎて一切の報道が禁止されるレベルだ。
何しろ一〇〇人余の外国人が全て無残な姿で死亡している。中学校のグラウンドは凄まじい量の血で溢れ返り現場を訪れた警察と消防の職員達の大半が嘔吐してしまう程だった。
しかし『シンシア・ヴェルホルン』と『竜崎阿久斗』の名は犠牲者名簿の中には一切含まれてはいない。その痕跡は既に何処にも残されてはいなかった。
日本国内で起きた初の『ストライク・ケイジ』関連事件だがその全てが隠蔽されている。そして――一ノ瀬マモルは病院に搬送されて今も病院のベッドで生活をしていた。
*
「――いやー参っちゃうよな。学校は閉鎖だって。近所の中学に全生徒振り分けだぜ?」
「ほんとにね。皆バラバラになっちゃうね。でも高校生になったらまた会えるかも?」
見舞いにやって来たクラスメート達が明るい調子でベッドの上の少年に声を掛ける。
しかしあれからマモルは笑ったり泣く事が無くなってしまった。まるで感情が抜け落ちてしまったかの様に落ち着いていてとてもまだ中学一年生には見えない。
第二グラウンドに隔離されていた教師や生徒達は正門を通る事を許されず現場で一体何があったかについて全く知らない。後になって大惨事があった事を知っただけで余りにも酷い事件であった為にマスコミが生徒に接触する事も禁止されている。
夏休み目前に起きた大事件でそのまま学校は夏休みに入っている。被害者も見知らぬ人間ばかりで子供達は比較的明るいままで日常を過ごしていた。
「――だけどさあ。竜崎先生、海外に転勤とかいきなり過ぎるよなあ……」
「でも校長先生の話だと大学の研究室から『是非戻って欲しい』って言われたって」
「うーん、やっぱ一日天下先生、凄い人だったんだねー。私らも一ノ瀬くんみたいにもっと仲良くしとけばよかったなあ」
そんな風に少年少女達は明るい口調で話す。きっとあれだけ懐いていたマモルが悲しまない様にする為だろう。しかしそんなやり取りを聞いてそれまで全く無反応だったマモルは僅かに顔を上げた。
「――そっか。竜崎先生、海外に戻った……のか……」
相変わらず元気が無いままだがそれでもやっと反応を返した少年を見て子供達は安心した顔に変わる。そして今度は笑いながら各々が話し始めた。
「だよな! ユイちゃん振って海外だぜ? ったく、ありえねーよな!」
「でもさあ? やっぱり竜崎先生って海外に彼女、いたんじゃないのかなあ?」
そしてそんな級友達が話す中で一人真面目な顔で黙っていた安藤がマモルに声を掛けた。
「……まあ、だからさ。一ノ瀬も早く治せよな? 俺ら皆、ずっとダチだからさ?」
安藤は今もまだ少し心配そうな顔で少年の顔をじっと見つめている。それでマモルは少しだけ考えると寂しそうに笑った。
「ああ。
それで来ていた子供達はカバンを手に部屋を出る準備を始める。
「オッケー、んじゃ帰るわ。今度は石原が来るって言ってたからさ」
「んじゃあな、一ノ瀬。又今度遊びに行こうぜ。折角夏休みだし、皆で遊ぼうよな」
「うん、皆有難う。気を付けて」
*
少年少女達はマモルに見送られながら部屋を出て行った。だが部屋を出て廊下を少し歩いた処で安藤は足を止めて振り返る。
「――ん? どしたんだよ、安藤?」
一緒に来ていた池田と真田の二人が同じく足を止めると黙って病室の扉を眺める安藤の肩を軽く叩いて尋ねた。その声に安藤は二人に振り返って元気なく呟く。
「……いや、なんて言うかさ……一ノ瀬、竜崎先生に雰囲気が似てた気がしてさ……」
それで池田と真田の二人が顔を見合わせて苦笑した。
「そう言えばそうだなー。なんか一人だけ凄く大人っぽくなったって言うか?」
「……やっぱ、竜崎先生居なくなって寂しいんじゃねーかなあ。あんな事件があった後ですぐ居なくなっちゃったし。それにユイちゃんもなんか元気ねーんだよなあ……」
変にしんみりとした空気になって三人はハァ、と溜息を付いた。
しかしそんな中で安藤は一人『よし』と呟くと二人に向かって告げる。
「――ま、俺らダチだしさ。学校変わるかも知れないけど、時々皆で会おうぜ?」
「んだな。折角竜崎先生のお陰で仲良くなった訳だしなー」
「……まあでも、その理由がちょっとあれだけどな?」
気不味そうに言う真田の言葉に安藤と池田の二人も小さく首を竦める。そんな処に前を歩いていたクラスの少女達が声を掛けてきた。
「――ちょっとお、安藤達何やってんの?」
それで少年達は顔を見合わせると少女達の後を急いで追い掛けた。
*
マモルはクラスメート達を見送った後、いつも一人でいる時と同じくじっと窓から見える学校跡地を眺めていた。検査と言うのは嘘で単に一人になりたかっただけだ。最近は一人で考える事が多くなっている。あの事件の事やシンシアの事、そして――竜崎の事を。
櫻ケ丘中学校があった場所は大量死傷者事件があったと言う事で学校自体続ける事が出来なくなってしまった。その事はマモルも母親から教えて貰って知っている。
しかし本当の事を知っているのはマモルと清川ユイだけでそれ以外の誰も知らない。
それは誰にも話す訳にはいかない。シンシア・ヴェルホルンと言う少女と竜崎阿久斗と言う男がこの世界で生きて為した事を誰にも教える訳には行かなかった。
それは清川と二人で相談して決めた事だ。もし言いふらして襲われる事にでもなったらもうどうしようもない。今はもう竜崎もシンシアも居ない。家族や友達を守る為にも絶対に言えない。
それでも少年は病室から見える風景だけを遠くじっと眺め続ける。
そうやっていつもの様にただ静かに時間だけが過ぎていった。
「――マモルくん、調子どーお?」
少年がぼんやりと窓の外を眺めていると明るい調子で病室に女がやってきた。
マモルの担任だった清川ユイだ。彼女は今もガーゼや包帯を頭や腕に巻いたままだがマモル程状態が悪く無い。早々に退院して今では学校の後片付けに精を出している。
丁度少年の母親が仕事の為に帰った後で今は誰もいない。穏やかな日常風景の中で二人はしばらく黙って一緒に窓の外を眺めていたが不意にマモルが口を開いた。
「――ユイ先生。聞いてもいいですか?」
「ん? うん? どうしたの、マモルくん?」
清川はやはり明るい口調で笑いながら尋ねる。もうあの時の様に無闇に怯えたりする事は無い。以前と同じ――いや、以前より思慮深く落ち着いた魅力的な女性になっている。それでマモルは元担任の女性に静かな声で尋ねた。
「――ユイ先生は大丈夫? 悲しくない?」
「え……マモルくん?」
清川は少し驚いた様子で言葉を詰まらせる。それを前に少年は少し俯いたままでじっと何かを考える様に黙ってしまった。
それで清川も目を伏せると小さく笑う。
「……悲しくてもね。私は大人で先生だもん……だから、笑ってないと……」
だがそう言い掛けた処で清川の顔が悲しみに歪んでいく。唇を噛んでポロポロと涙を零しながら。耐えるのが辛くて仕方ない様に。
そんな元担任の方を少しだけ見るとマモルは慰める様に寂しそうに笑った。
「――ユイ先生。俺の前じゃ我慢しなくていいよ。俺も憶えてる。忘れたりしないから」
それを聞いて清川は耐えられなくなったのかベッドの横に腰掛けるとそのまま少年の身体をそっと抱きしめた。震える手と一緒に嗚咽の声が漏れ始める。
「だって……マモ、くん……全然、泣かな……」
しかしそれ以上清川の声は言葉にならなかった。
マモルは自分にしがみつきながら声を押し殺して泣く清川の頭をそっと撫でながら呟く。
「――違うよ。俺は泣かないんじゃない。どう泣けばいいのか、分からないんだ」
淡々と呟く少年を清川は一層強く抱きしめると涙を堪える様に黙ってしまった。
竜崎阿久斗がいた痕跡は既に何も残っていない。丁度六月半ばから七月半ば。たった一ヶ月程度の在校期間で写真も何も残ってはいなかった。
だがそれでも少年は憧れた男とその仲間だった少女の顔をはっきりと憶えている。それは忘れたくても絶対に忘れる事の出来ない大切な思い出だった。
やがて清川は目元を拭うと再び無理に笑顔を作って少年に笑い掛ける。
「……ッ、あ、そうだ……マモルくん、荷物が残ってたから持ってきたの」
「……うん? 何を?」
「理科準備室にね、残ってたの。どうしようかと思ったけど持ってきちゃった。だって校長先生に言えばアメリカの研究室に送られちゃうし。阿久斗さんはもう居ないのにね」
そう言うと清川はベッドの上、丁度少年の膝辺りに黒い二つの物を乗せた。一つはパスケース、そしてもう一つは手帳だ。
最初にパスケースを手に取って開くとそこには免許証が入っている。『竜崎阿久斗』の名前と一緒に思い出とは似ても似つかない穏やかで普通の顔をした男が写っている。
少年は苦笑して閉じるとそれを清川に向かって差し出した。
「――ユイ先生、これ。これはユイ先生が持っててよ?」
「え……でもいいの? 多分これ、阿久斗さんの唯一の記録よ?」
「うん、俺はいい。きっとこれはユイ先生が持っているべきだと思う」
差し出されたパスケースを震える手で受け取る。それを大切そうに胸に抱くと再び清川は静かに泣き出してしまった。マモルに先に渡すべきだと思って我慢していたのだろう。
そうして目を赤くして泣いている元担任に向かって穏やかに微笑むともう一つ残っていた手帳に手を伸ばした。それは殆ど何も書かれていない年間予定表が書き込めるタイプの物だ。表紙には金色で『櫻ケ丘中学校』の刻印が記されている。いわゆる記念品の一つで恐らく赴任して学校から渡された物だろう。
マモルは何も書いていないページを一枚一枚めくる。すると六月、竜崎が初めてやって来た日付辺りから僅かに走り書きが書き込まれているのを見つける。いずれも大した事の無い教師らしい予定が書かれているだけだ。几帳面に時間と内容が記されているだけ。
だがそうやってページをめくっていく内に少年はある物を見つけた。
それは忘れもしないクラス全員と清川、竜崎と昼休みに初めて集まった日付のページだ。
几帳面な文字がびっしりと書き込まれている。それは例の乳清飲料のレシピだ。そう言えばあの時竜崎はマモルと清川にレシピを教えておくと生徒達に言っていた。きっとその為にわざわざメモしていたのだろう。そのページを懐かしそうに少年が何度も繰り返して眺めていると隣でパスケースを抱いていた清川が驚いた声を上げた。
「……ま、マモルくん、どうしたの!?」
「え……何が……?」
「だって……マモルくん、泣いてる……」
「そんな、俺――」
だが少年はそれ以上何も言えなかった。何かを言おうとすると嗚咽が漏れてしまう。目からは止めどなく涙が溢れ落ちてきて止めようとしても止まらない。
それは少年にとって一番楽しかった竜崎との思い出だった。今でも鮮明に思い出せる楽しくて笑えて、そして……悲しい幸せ。今はもう何処にもいない男との大切な思い出。
マモルは震える身体を必死に押さえながら涙を堪えて呟く。
「……清川先生……
「……マモルくん……」
「だ、だって……竜崎、先生は……僕の、所為で……」
その告白を聞いて清川はハッとした顔に変わった。
あの時、銀髪の少女シンシア・ヴェルホルンが話していた筈だ。あの襲撃事件は少年がイジメを受けてそれを竜崎が助けた事に端を発していた。マモルを助けた結果、退職となり掛けた竜崎を助けようと保護者は抗議した。それで教育委員会が竜崎に関する詳細を海外の大学に問い合わせた。その連絡から竜崎の所在が特定されてしまった。
少年にとってそれは致命的だっただろう。自分の所為で尊敬する人が命を落としたのだ。
竜崎が命を落としたのはマモルを救う為だったがそれは少年にとって救いにならない。何故なら、どちらにしても自分が引き金となった末の結末になってしまったのだから。
「……ぼ、くは……泣く資格……あるの、かな……」
少年は震えながら必死に涙を堪えようとしている。それを見た清川ユイはマモルの身体を強く抱きしめた。泣きながらその背中を何度も撫でる。
「ごめん、ごめんねマモルくん……私、大人で先生なのに、全然分かってなかった……」
「……僕が……僕の所為で、竜崎先生が……」
そう言ってマモルは声を押し殺している。それはもう子供の泣き方では無い。
ユイは何度も謝りながら少年の背中を撫で続ける。
「気付いてあげられなくて、本当にごめん……阿久斗さん、マモルくんに有難う、って」
「……でも……でも、僕は……」
「マモルくんは何も悪くないよ……だって、マモルくんがいたから、阿久斗さんは幸せだったの……シンシアさんだって……だから消えちゃう時も笑ってたの……だから……」
そこまで言うともう清川の声も言葉にはならなかった。しっかりとマモルの身体を抱いて涙に言葉を詰まらせる。
「お願い……マモルくんも、泣いてくれなきゃ……私だけじゃ、頭が変になっちゃうよ」
そして。元担任とその生徒は二人、病室の中で静かに泣き続けた。
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