3−幕 静かな別れ
特別棟校舎から少し離れた処でガンシップは墜落、爆散した。最早校庭で動く物は何一つとして存在しない。そんな中を竜崎は特別棟の階段を昇っていた。
既に維持出来ず生体装甲は分解してしまっている。左腕は肘から先が無く左目も血が入った為か塞がっている。満身創痍どころか瀕死の状態で辛うじて生きている状態だった。
しかしそれでも竜崎は壁にもたれながら必死で階段を昇る。壁に擦り付いた血がしばらくすると綺麗に消滅していく。それはまるで男がこの世界にいた事を否定するかの様に。
生体外装が剥がれ落ちた後も男の肌は漆黒のままだ。唯一顔だけが元の色を残している。そうやって何とか四階に上がった処で女が男の名をか細い声で呼んでいるのが聞こえた。
「――ユイ……まさか……」
男は険しい顔のまま一歩、また一歩と廊下を進んで行った。
*
理科実験室の周辺は酷い有様だった。ガンシップのガトリング掃射を受けた為に校舎の一部が破損している。周囲のガラスも吹き飛んで廊下はガラスの破片だらけだ。そしてやっと教室まで辿り着くと更に破損が酷い。廊下と教室を区切る壁に無数の穴が空いている。
そして中からはっきりと女――清川ユイの消え入りそうな声が聞こえてきた。
「……助けて……阿久斗さん、助けて……もう、いや……」
その声には絶望が滲んでいる。それで必死に扉の前まで行くと男は愕然と立ち尽くした。
マモルが横たわっている。それを清川がまるで乳飲み子を抱きかかえる様に抱いている。少年の身体は血に汚れ真っ青な顔で目を開かない。呼吸も浅く死の間際だった。
「――マモル……」
よろよろと部屋に入った処で男の身体が傾いた。そのままドサリと床の上に倒れてしまう。その音で気付いた清川ユイが虚ろな顔をゆっくりと上げる。
「……阿久斗さん……マモルくんが……え……」
しかし男の名を口にするが竜崎の酷い状態を目にした途端黙って俯いてしまった。それでも構わずに床を這いずって蹲ったままの女と抱かれている少年の元へ近付いていく。そしてやっと少年の元に辿り着くと今にも消えそうな命に顔を歪めた。
「……俺は……また、守れなかったのか……?」
男の頬を雫が流れ落ちる。しかしそこで一人の姿が見当たらない事に気がついた。
「……ユイ。シンシアは、何処だ……?」
訝しげな顔になって尋ねると途端に清川は泣き出してしまう。それは先程までとは違う、恐怖や怯えによる物ではない。ただ純粋に人の死を悲しんで咽び泣いている。それでも涙まじりに喉を震わせながら女は何とか男に答えた。
「……あの子……シンシアさん……マモルくんを助ける、って……」
「助ける……シンシアが……そう、言ったのか……」
そして男は女の足元に細かく積もった塵を見つけた。それはまるでその場所だけ踏み荒らされた事のない新雪の様に。崩れた壁から吹き込んだ風でその残り香は空中を舞った。
「――そうか。彼女は逝ったか……ならば――」
そう言うと竜崎は俯いて泣き続けるユイの前に右掌を差し出した。それは既に人間の手に戻っているが灼けたかの様に真っ黒に染まっている。
「……何を……」
「すまんが……ユイ。そこのガラスの破片で、俺の掌を刺してくれ」
「…………」
「頼む。ミュー――シンシアのナノマシンがまだマモルを繋ぎ止めてくれている。彼女のナノマシンは『協調』の力だ。ならば俺の『分断』も繋いでくれる筈だ。だから――」
ユイは感情が麻痺した様に涙を流しながら何も言わずガラス片を拾い上げた。その尖った先で突付く様に男の手をなぞる。当然その程度では薄皮一枚しか切る事が出来ない。それで竜崎は再び、今度は優しい顔になって言った。
「……ユイ。もっと深くだ。穴が空く位に突き刺してくれ」
だが男がそう言うとユイは無言でイヤイヤと小さく首を横に振る。その仕草は小さな少女の様であどけない。それでも男は横たわった少年を優しい目で見つめると静かに告げた。
「……頼む。マモルを……ユイ達が生きるこの世界へ返す為に……」
清川は袖で目元を拭うと今度は目を瞑って強くガラス片を男の手に叩き付けた。肉が抉れ赤い血がポタポタと溢れ始める。満足そうに笑うと男は少年の傷口に手を押し当てた。
どくん――脈動を始めた男の血が少しずつ大きな流れとなって少年の傷ついた身体へと吸い込まれていく。それは僅かに黄金の光を宿した不思議な血だ。その様子を黙ってじっと見つめる女に男は笑みを浮かべて言った。
「――ユイ。有難う。済まなかった。最後に……マモルに伝えてくれないか?」
「……何を、ですか……」
そこでやっとユイが小さく口を開く。それで竜崎は静かに息を吐き出すとこれまでに見せた事が無い様に微笑んだ。
「――マモル、有難う。お前は俺達を救ってくれた。だが俺の様には絶対なるな――と」
そして静かな中であの白銀の髪をした少女と同じく今度は男の身体が黒から白へと変わっていく。それはまるで汚れを落として新しい姿へ生まれ変わっていくかの様に。その姿を見たユイの目から大粒の涙が溢れ出した。
「……阿久斗さん……一つだけ、いいですか……?」
「ああ……なんだ、ユイ?」
「……私、阿久斗さんの事が……好きで――」
しかし『好きだ』と言おうとしてユイはそれ以上言葉には出来なかった。それでも男は晴れやかな顔になって笑うと女の唇へ自分の唇を軽く押し当てた。それはまるで子供同士のキスの様に他愛ない物だが女は涙を流しながらじっと目を閉じる。そうして二人の顔が離れると男は穏やかに言った。
「――ユイ、俺もお前が好きだ。しかし俺は『悪の組織』の『大幹部』だからお前を泣かす事しか出来なかった。でも次は……もっとマシで良い男を捕まえろ――」
そう告げると程なく、男の姿が塵となって消えていく。
まるで最初から『竜崎阿久斗』と言う人間なぞこの世には居なかったと言う様に。
それは出会いの時と同じく――唐突で静かな別れだった。
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