2−幕 覚悟と決別

 竜崎阿久斗こと『ストライク・ケイジ』が誇る異形の戦士、ブレイド・ラグーンは襲い来る襲撃者達を呆気なく撃退するとゆっくり息を吐き出した。

 相手は銃を使っていたが竜崎の持つ生体装甲はストライク・ケイジの中でも最強を誇っている。伊達に紛争鎮圧用に調整された物では無かった。


 無論一人も殺していない。それは竜崎の信念に近い。これまでにこの力で一人も命を奪っていないのは阿久斗がまだ『人間』を諦めたくはなかったからだ。

 しかしそれでも彼は憎まれ嫌われた。殺しても居ないのに人殺しと罵られた事もある。


 人間とは厄介な生物だ。紛争や戦場に赴けば負傷や命を落とす事は当たり前なのに外見が人で無く恐ろしい存在だと思えば全てをその所為にする。事実、かつて男は助けた子供に銃口を向けられた。それでも肉体は傷付く事はない。だが確実に心は削られていった。


 それでもまだ阿久斗はこうして立っている事が出来る。こうして今も居続けていられるのはあの少年――『一ノ瀬マモル』と出会う事が出来たからだ。


 ストライク・ケイジの施設があった孤島が連合軍から攻撃を受けた時シンシア・ヴェルホルンの手によって阿久斗は強制転送された。理由は恐らく阿久斗が最も頑丈で実験中だった転送装置の衝撃に耐えられる者が他にいなかったからだろう。そして記憶を失った。


 そこで何とか身分を立て直して訪れた仮の職場で男は少年と出会った。

 最初会った時マモルは世界を信用していない様に見えた。クラスの中で孤立していた少年は自分を取り囲む世界を憎んでいる様にも見えた。記憶が無くても放っておけなかった。


 竜崎阿久斗にとって一ノ瀬マモルと言う少年は自分と似た存在だったのかも知れない。しかしそんな少年が言った一言。


『――なんで誰も信じてないみたいな言い方するんだよ!』


 その衝撃は凝り固まっていた阿久斗の心に風穴を開けた。その余りの衝撃に記憶を取り戻した程だ。ナノマシンの修復でいつか戻っただろうが少年の叫びは阿久斗の中に残った。


 そしてそれからは本当に楽しい一ヶ月だった。これまでの人生でトップクラスの幸せだ。


 だが――それももうすぐ終わる。マモルと共に居られる時間は残り僅かだ。居場所を知られた以上もうここには居られない。必ず少年とその周囲にまで被害が及んでしまう。


 元々竜崎阿久斗と言う人間は一箇所に留まる事のなかった人間だ。しかしそれでも心の何処かで寂しさがよぎる。


『――そう言えば、マモルは……俺を怖がらなかったな……』


 生成した大剣を横薙ぎに振るって消すと阿久斗は自分の手を眺めて呟いた。あの少年はこんな姿の自分を見ても恐れる事無く『ヒーローだ』とまで言ってくれた。そして同僚の清川ユイとも出会えた。マモルの周囲は幸せな空気が常に満ち溢れている。


――そうだ。あの時作ったドリンクのレシピをまだ、教えていなかったな……。


 ふと場違いにそんな事を考える。理科実験室に集まった子供達は大した事の無い事でもとても喜んでくれた。そして男にとってここは掛け替えの無い場所になった。

 そんな時、遠くからパン、パンと言う何かが弾ける音が聞こえてくる。


『――何だ、この音は……マモル達のいる方から聞こえたが……』


 そして戦士は踵を返してマモル達が待つ教室へ向かっていく。その途中で清川ユイの悲鳴じみた震える声と少年が自分を呼ぶ声が聞こえて男は急いで戻って行った。



 竜崎が教室に戻るとそこは酷い有様だった。シンシアが倒れていて血の池に浮かんでいる。周囲にはツンとした血液独特の匂いが立ち込めている。

 そんな中で男の姿を見た途端少年――マモルが酷い顔になって声を上げた。


「――先生! シンシアさんが!」

『……シンシア……マモル、一体何があった?』

「わ、分かんないよ……破裂する音がして、いきなり身体から血が出始めて……」


 それで竜崎が横たわって動かない白銀の娘の脇にしゃがむと胸元に手を当てる。


『大丈夫だ、まだ生きている。だが……修復と損傷がせめぎ合っている』

「え……せめぎ合う、って? 先生、シンシアさん、助かるよね!?」


 だがそんな少年の声に答えずに男は横たわる娘の胸元から服を引き裂いた。びい、と言う布が裂ける音と共に白く美しい裸身が剥き出しになる。しかしその身体に刻み付けられた傷跡を見て竜崎とマモルは黙り込んだ。


 シンシアの滑らかな裸身には縫い傷らしい者が複数付いている。それも乱暴に縫い合わせた後もそのままでその傷口全てが開いている。


「……ひ、酷い……」

『……なんだ、これは……シンシア、お前は一体何をされた?』


 呻き声を上げる竜崎。しかし娘は瞼を薄く開くと掠れる声で辿々しく答えた。


「……セーフティ、よ……」


 それは最早人を人と思わぬ所業だった。シンシアの身体には主要動脈部に小型の爆薬が仕込まれていてそれを遠隔で破壊されたのだ。普通の人間であればそれだけでショック死してもおかしくない。しかし彼女も竜崎と同じく肉体にナノマシンをインプラントしてある為に即死は免れた。だが出血でナノマシンが減少して細胞死と回復が拮抗しているのだ。


 ナノマシンとは血流中に極めて微小な機械を注入する技術だ。血液は全身に酸素やエネルギーを循環させるがそれを機械で補い強化する。赤血球や白血球と言った細胞の代用としても機能するから負傷時には傷口を迅速に塞ぐし毒が入ってもすぐに中和してしまう。


『――俺達を殺す為……いや、利用する為の保険と言う訳か……』


 竜崎の一際低い声が響いた。それは初めて男が見せる怒りの感情だ。だがマモルはそんな男に怯える事無く心配そうな顔で尋ねる。


「先生、シンシアさん助かるよね? だって、ナノマシンって時間で増えるんでしょ?」

『あ、ああ……時間と処置が必要だが、安静にしていればしばらくは大丈夫、だ……』


 安静にしていれば――だがここは彼らにとっての戦場であり安全な場所は存在しない。

 このまま押し切られてしまえば恐らくシンシアは回収されて実験動物の様に便利に利用される。死ねばストライク・ケイジの技術は消えてしまう為に辛うじて生かされる事になるだろう。そしてそれがこれまで少女が受けた扱いだと容易く推測出来た。


『――シンシア……お前は……』


 竜崎の声が怒りと後悔に震える。しかしシンシアは血に濡れた白銀の髪を揺らしながら疲れた様に男に笑い掛けた。


「……逃げ、なさい……ブレイド……二人を、連れて……」

『――喋るな、シンシア。俺が必ず三人を守って見せる』

「……駄目よ……この子はきっと、私達の、希望よ……生かさなければ……」


 そう呟くと少女は息を静かに吐き出して再び目を閉じる。気を失ったのかそれ以上は何も言おうとしない。それでマモルは心配そうな顔で男に尋ねた。


「……先生、シンシアさん大丈夫なの?」

『…………』


 だが男は何も答えず動こうとすらしない。まるで何かを堪える様に固まったまま微動だにしない。それで少年は男の腕に手を触れて一際大きな声で名を呼んだ。


「――竜崎先生! 竜崎先生ってば!」


 その声でやっと男の首がビクリと反応する。


『――あ、ああ……大丈夫、だ……』


 しかしその返事に少年は心配そうに男の顔を覗き込んだ。


「……先生?」

『なんだ、マモル?』

「もし大丈夫じゃないなら、ちゃんと『大丈夫じゃない』って言ってね?」

『………!』

「だって大人はいつもそう言うから。僕は役に立たないかも知れないけど大丈夫じゃないなら言ってくれなきゃ分かんないよ。僕に出来る事があれば何でもするから、どうすれば良いか教えて? あんまり難しい事は出来ないかもだけど……」


 それで男の黄金の瞳が甲冑の隙間からじっと少年を見つめた。その目は予想すらしていなかった言葉を掛けられたかの様に驚きに大きく見開かれている。


『……そうか。そうだな。俺はすっかり忘れていた……』

「うん、何? 竜崎先生?」

『――俺は今まで誰にも頼ろうとしなかった。それはマモルが言った様に世界を……誰も信じていなかったのかも知れん。そんな当たり前の事を俺は何も分かっていなかった』

「え? えっと……先生?」


 男の呟きの意味が分からなかったらしくマモルは首を傾げる。そんな少年を見ると竜崎の声がいつもと同じ様に戻る。


『――いや、何でも無い……正直な処シンシアはこのままでは危険だ。怪我は自然に塞がるが出血が酷い。教壇の中にガムテームがあった筈だ。すまんがそれで怪我を塞いでやってくれ。ナノマシンが有害な物を除去してくれるから消毒も何もいらん。頼めるか?』

「……ッ、うん、分かった!」


 一瞬ポカンとした顔になるが男に頼まれた事が余程嬉しかったのだろう。マモルは頷くとすぐに実験室の教壇に向かって駆け寄っていく。

 そして竜崎は壁の傍で全身を小さくして震えている清川の元に近付いていった。清川は子供の様に全身で拒絶するかの様に耳を押さえている。それでも男は静かに話し掛けた。


『……ユイ、聞いてくれ』


 だが男が声を掛けた途端女は怯えた目で見るとブルブル震え始める。余りにも異常な事が起きた為に必死に堪えているのだろう。男が手を伸ばすと避ける様に身体を反らした。

 それで仕方なく竜崎は触れようとした手を下ろすと自分の顔を手で覆う。その手が離れた時、甲冑の顔部分だけが男の素顔になって現れる。


「――ユイ。俺が怖いならそれでもいい。だから聞いてくれ」

「……わ、私……普通の女の子だもん……こんな、こんなの、無理……!」

「ああ、ユイは普通の人間だ。だから……普通の人間として頼まれてくれないか?」

「……え……」


 静かに語る声にやっと清川は強く閉じていた目を開く。そこには良く見知った男の顔が見える。それで少し震えが収まるのを見て竜崎は女に頭を下げた。


「……頼む、ユイ。お前は教師としてマモルを守ってやって欲しい」

「……え……教、師……?」

「ああそうだ。お前は良い先生だ。だから俺達化け物の相手はしなくていい。その代わりさっきの様に……お前は先生として生徒であるマモルを守ってやってくれないか?」


 男がそう言うと清川はぼんやりとした目でじっと見つめ返した。焦点があっていなかった目がはっきりし始める。やがて『私は、先生……』と小さく呟き始める。そうしてハッとした顔に変わると女の目から涙が溢れ始めた。頬を涙に濡らしながら何度も小さく頷く。


「……ごめんなさい……ごめんなさい阿久斗さん……私、先生を怖がって……」


 そして口元を押さえながら清川は声を押し殺す様に泣き出してしまった。

 そんな様子に竜崎は穏やかに頷くと再び立ち上がってマモルの方を見る。

 少年は既にシンシアの傷口をガムテープで止め始めている。学生服が血に汚れるのも構わず一生懸命に。その様子に男の顔が泣き出しそうに歪む。


 しかし何も言わず竜崎は扉まで歩いていくと出ていく直前になって立ち止まった。そこで顔だけ僅かに振り向くと静かな声で少年に尋ねた。


「――なあ、マモル?」

「はい……何、先生?」

「俺は、本当の化け物になるかも知れん。それでもお前は俺を許してくれるか?」


 それで少年はにっこり笑う。


「竜崎先生は間違ってないよ! だって、こんな酷い事をする奴らが悪いよ! それに竜崎先生の事、僕は凄く尊敬してる。だから……先生は先生だよ! そうでしょ!?」

「……そうか……」


 少年の言葉を噛みしめる様に男は目を閉じて天を仰いだ。そして再び正面を見ると今度は振り返らずに少年に声を掛ける。


「――有難うマモル。そうか、俺は人間で――お前の先生、か」

「そうだよ! それに、その……先生は……だよ」


 だがそう言い掛けて少年の声はごにょごにょと小さく変わる。頬が僅かに赤い。男は振り返らず片手を上げて応えるとそのまま扉を出ていく。


『――そうか。では行ってくる。マモル、ユイとシンシアを頼んだぞ』

「うん、任せといて!」


 そして少年の声を背にしながら男は顔を歪めていた。しかしそれは苦しみや悲しみとは縁遠い。泣き出しそうな顔になって男は笑っていた。


――化け物の俺が『正義の味方』か……ならば俺はもうマモルだけのヒーローで良い……。


 こうして――男は大事な物を守る為に本当の『化け物』になる覚悟を決めた。

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