2−5 ストライク・ケイジの少女
――僕は、本当にバカだ!!
廊下を走りながらマモルはシンシアを通した事を激しく後悔していた。
大人は子供に笑顔で嘘を付く。『大丈夫』だと言う時は絶対に大丈夫じゃない。
初めて竜崎と出会った日、あの時母親は自分を抱いて『大丈夫』と言った。しかしそれは『本当に大丈夫』と言う意味ではなく母親が子供を安心させる為であり、子供を守ろうと自分に言い聞かせる『覚悟』に近い。守る子供を安心させる為の優しい嘘に過ぎない。
勿論それは竜崎も同じで、恐らくシンシアと言うあの娘も同じだろう。そしてシンシアは『ここは危ないから早く逃げろ』と言った。もし本当にただ竜崎阿久斗と話すだけであれば『危険』である筈がない。つまりそれは、そう言う事だったのだ。
そしてマモルが必死の形相で理科実験室の手前まで駆けつけた時、突然教室の扉が激しい音を立てて弾け飛んだ。それと同時に廊下の壁にしたたかに背中を打ち付けたらしい竜崎が教室の中を睨んでいる。少年は驚いて駆け寄ると男の傍にしゃがみ込んだ。
「先生ごめん! 僕がもっと賢かったら、こんな事には……」
「……くっ、マモル……お前、何故戻ってきた……!?」
そんな二人に向かって煙の舞う教室の中から影が近付いてくる。かつん、かつんと靴音を鳴らしながら近付く影――シンシア・ヴェルホルンはマモルを見て驚いた声をあげる。
「――ボーイ、何故来たの……ブレイド――いいえ、ファイ。残念だけど私達、ストライク・ケイジの技術は自由に表に出させる訳にはいかないのよ。だから――」
「――だからステイツの管理下に入れ、か? シンシア――いや、ミュー。お前は俺達の理念を忘れたか。国家に属すると言う事はそれ以外を悪にする。俺には受け入れられん」
竜崎が睨みながら答えるとシンシアの足が不意にその場で止まった。繊細で美しい顔に忌々しい――と言うよりも心苦しそうな苦悩が色濃く浮かんでいる。
「……そんな、事は……無いわ……」
しかしその合間を縫って竜崎はじっとマモルの顔を見た。視線は少年を見てすぐに廊下の先へと向かう。恐らく小さくとも声にすれば聞こえてしまうからだろう。すぐに来た方向へ行け――男の目がそう告げている。それで少年は立ち上がるとそのまま階段の方へ向かって駆け出した。その後ろに竜崎阿久斗も続く。
それで気付いたのかハッとした顔になるとシンシアは辛そうに男の背中を睨んだ。
「――ッ、逃さないわ、ファイ! 連れて行けないなら死んで貰うしか無いのよ!」
悲鳴の様な叫びが廊下に響いた直後、まるで蔦の様な碧色をした触手が凄まじい勢いで娘の背中から伸びた。だがそれはマモルを避ける様に。あくまで竜崎だけを絡め取ろうとする様に次から次へと伸びていく。
その鋭い先端を竜崎が身体を捻って避ける。しかしその先の角から突然人影が現れた。それはマモルを追って来た清川ユイの姿だ。
「ノ……Nooo!」
蔦を伸ばしたシンシアの顔が驚愕と共に恐怖へと染まる。そしてその鋭い鞭の先端があわや清川ユイの身体を貫こうとした時、廊下で男の声が響いた。
「――マテリアル・イグニッション!!」
「え、せ、先生!?」
その声に驚いて振り返るマモル。その眼前で突如黄金の光が爆発した。
それは一瞬の出来事だった。竜崎の身体から黄金に輝く霧が吹き出したかと思うとそのまま男の肉体を包み込む。身につけていた服が即座に分解されて肉体が変貌を開始する。鍛えられた肉体の表面で変質と硬化が一瞬で完了する。それは全身を覆う甲冑の様だ。
そして最後に男の頭を包み込む兜。それは生態的なフォルムを持ったドラゴンの様な頭。まるで戦国武者の様な出で立ちになった瞬間男――否、戦士の手から突如鉈の様な形状をした巨大な剣が生成されていく。それを掴み取るとストライク・ケイジの戦士ブレイド・ラグーンは伸びた蔦が清川に届く寸前、一刀両断にまとめて切り落とした。
断ち切られた蔦はまるで刃に侵食されるかの様に消滅して行く。
勢い余って転倒したマモルは痛みも忘れて呆然と男の真の姿を見上げた。
少年の眼前に立つのはまさしく人の姿をしたドラゴン。甲冑に見える鱗に包まれて黄金に輝く瞳だけが隙間から覗いている。それは歴戦をくぐり抜けてきた戦士の姿だった。
『――大丈夫か、ユイ。怪我は無いか?』
「……ひっ……ヒィ……」
くぐもった声が清川へと掛けられる。だが若い女教師は廊下に尻もちをついたままでまともに答えられない。小さく悲鳴を上げると必死に恐ろしい物から逃げる様に廊下の上で後ずさりしようとする。だが腰が抜けたのか足が震えていてまともに逃げる事が出来ない。
だがストライク・ケイジが誇る無敵の戦闘生物へと変貌した竜崎阿久斗――ブレイド・ラグーンは女の無事を確認すると黄金に輝く瞳を廊下の奥に向けた。
その先では白銀の娘シンシアが床に手を付いて項垂れている。腰の後ろからはまるで茂みの様に植物の蔦が生えている。どうやら竜崎の様に全身を変化させられないらしく娘は両腕を抱えて震えながら嗚咽を漏らした。
「……No……私が、人を……殺し掛けたなんて……」
それを見た異形の戦士は手にした剣を横に薙ぎ払う。それで再び刀身が黄金の霧となって腕の中へ吸い込まれて消える。
『――シンシア。お前のナノマシン・ユニットは本来戦闘向きではないだろう。紛争鎮圧用にナノマシンを特化調整してある俺とは正面から戦えない筈だ。そんな俺の元にお前を寄越した――その愚か者は何処の誰だ?』
男の声がゆっくりと静かに響く。くぐもっている筈の声はやけに明瞭に聞こえて白銀の娘はゆっくりと顔を上げた。だがその眼には涙が薄っすらと浮かんでいる。
「……違う、ブレイド……私は……誰も殺すつもりなんて、無いわ……」
そう言うとシンシアの顔が再び歪み始めて両手で顔を覆ってしまった。その様子に戦士はそれ以上何も言わずにじっと見つめ続ける。そして廊下は再び静けさを取り戻した。
そんな中でマモルは立ち上がるとヨロヨロと変わり果てた男に近付いていく。
黒い甲冑の様な肌には鱗が光っている。頭の兜らしき物には捻れた角の様な突起が生えていてそれこそドラゴンの角の様だ。恐らくその姿を見た者が『ドラグーン』と勘違いしたに違いない。それこそは人に非ざる超人の姿だった。
「……竜崎、先生……」
『――マモル。もうこの姿になる事はないと……俺はそう思っていた……』
苦笑する声と共にがしゃりと言う音を立てながら男の手が上がる。それはいつもの様に少年の頭に軽く乗せられてマモルはくすぐったそうに首を竦めた。
「……え……りゅ、竜崎先生、って……あ、阿久斗さん!?」
そんな二人の後ろから驚いた声が上がる。清川が四つん這いになりながらマモルに向かって腕を伸ばしたまま固まっているのが見える。どうやら健気にも恐怖の中で少年を守ろうと必死に近付いたのだろう。腰が抜けたかの様に膝がガクガクと震えている。そんな今もまだ信じられない顔でいる清川に向かってマモルは興奮した声を上げた。
「そうだよ! 竜崎先生が清川先生を守ってくれたんだよ!」
「え……ま、守った、って……私を……?」
呆然としながら女は立ち上がろうとするが足に力が入らないままでそのまま倒れそうになる。だがそこに篭手に包まれた腕が差し伸べられてそれが人の腕では無い事に気付くと清川は更に驚いた顔を上げた。異形の甲冑を身に纏った男の黄金に輝く瞳が見える。
『――大丈夫か、ユイ?』
「え……え、嘘……その声って……ほ、本当に、阿久斗さん……!?」
『すまん、黙っていた。俺は『ストライク・ケイジ』の戦士――エージェントだ』
「ストライク・ケイジ……それってニュースになってた、あの……?」
女の震える声に男は黙って頷く。それを目の前にしながら未だ信じられない様に清川はイヤイヤと首を小さく横に振っている。
だがそんな時、静けさの中で不意に廊下の向こうから少女の声が発せられた。
「――ブレイド!」
『――うむ』
それまで打ちひしがれていたシンシアが異形の戦士に向かって声を掛ける。それとほぼ同時に男が顔を上げて廊下の先――階段の方に視線を向けた。
理科実験室は特別棟の角にあり袋小路になっている。廊下は一本道で一〇メートル程離れた処に階段へのエントランスが見えるだけだ。
『――マモル、教室に入れ』
「え、先生、えと……」
「あ、阿久斗さ……うきゃっ!?」
少年が答えるより先に男は清川の身体を抱き上げる。それで女は小さな悲鳴を上げた。そして有無を言わせずに男は理科実験室の扉を開くとその中に入って行く。その後に続く白銀の娘シンシアに確認するかの様に竜崎は声を掛けた。
『――シンシア、お前はメッセンジャーだな。俺を襲ったのは連中――ステイツの情報を伝えて逃亡させる為か? お前の力では俺に傷一つ付けられないと分かっていた筈だ』
「そうよ……私は貴方を油断させる為の餌だもの。ブレイド、貴方は私みたいに実験で身体を弄り回されて欲しくない。あんな思いをするのはもう、私だけで充分だわ……」
『――むぅ……それで……他の奴らも生きているのか? それに何をされた? 幾ら戦闘向きでは無いと言ってもお前のユニットなら逃げる事もすぐに出来た筈――』
だがそう言い掛けた処でシンシアは唇の前に人差し指を立てて笑った。それで男は抱きかかえていた清川を教室の端へと下ろすと再び銀髪の少女へと振り返る。
「……銃を装備して連中がやってくるわ。ボーイとレディがまだ此処に残っているとは連中は知らない筈よ? 何とかしないときっと二人にまで危険が及んでしまうわ」
『……む……』
「大丈夫、二人は私が守ってみせるわ。もう襲うなんて懲り懲りよ」
そう言って銀髪の少女が首を竦めると男はマモルと清川の二人を見た。僅かに逡巡するがすぐに頷いて立ち上がる。
『――分かった。俺が迎え撃つ。その間すまんがシンシア、マモルとユイを頼む』
「……Alright、任せて頂戴」
それだけ言うと竜崎は一人教室を出て行く。残されたマモルと清川は事情が全く分からないままで黙り込んでいた。しかし少年と女が不思議そうに白銀の娘を見つめているとその視線に気付いたシンシアは申し訳なさそうな顔に変わる。
「……Sorry……ごめんなさい。巻き込んでしまったわ。貴女、怪我は無かった?」
そう言って尋ねられるが清川は訳が分からないのか無言で首を横に振るだけだ。その隣でマモルは目の前の銀髪の少女を見つめると勇気を出して話し掛けた。
「……あの、シンシアさん?」
「Yes? なあに、少年?」
「あの、竜崎先生がどうして此処に居るって……分かったんですか?」
少年に取って一番分からないのがその理由だった。
竜崎阿久斗が此処に居る事は恐らく知られていなかった。もし分かっていたなら一ヶ月も時間は掛からなかった筈だ。実際竜崎が赴任して既に一ヶ月が経過しているのにその間何も無かった。それは中学一年生のマモルでも簡単に想像出来る事だ。
それが何故突然やってきたのか。その理由を尋ねられてシンシアは静かに話し始めた。
「……この国のBoard of Education――教育委員会からステイツの大学研究室に問い合わせがあったそうよ。アクト・リュウザキの勤務態度や学業成績なんかをね」
「……え……」
「それが分かったのが四日前。ライセンスを持っているのは知っていたけれど、まさかジュニア・ハイスクールに居るとは思わなかったわ。ステイツでも大騒ぎだった筈よ?」
「そ、そんな……」
少女の言葉を聞いてマモルは愕然とした。
つまり少年をイジメから救った事が間接的に居場所を伝え、竜崎を窮地に立たせる結果へと繋がってしまったのだ。少年のイジメに対する行動と親達による抗議の電話。それで教育委員会は身元の確認を行おうとしたのだろう。その結果竜崎は担任を外されただけでなく、彼の『敵』にその存在と所在を伝えてしまった。
一人の少年を窮地から救った事が巡り巡って男を更なる窮地に陥れた。それはマモルにとって『自分の存在が竜崎を追い詰めた』と言う事に他ならない。
その残酷な現実に少年は顔を激しく歪めて俯いてしまう。だがそんな少年の事情を知らないシンシアは更に話を続けた。
「私達のナノテックをステイツは欲しがっている。その中でもブレイド――アクトは歴戦の戦士よ。でも生命活動が停止すれば機密保持の為にナノマシンが肉体を分解して何も残らない。だから捕獲された後で私はこうして――え、ボーイ? 何故泣いているの?」
それまで外の様子を伺いながら話していたシンシアがマモルを見て驚いた顔に変わった。少女が心配そうな顔でマモルを見つめる。しかし少年は涙を止められなかった。
「……全部、僕の所為だ……僕なんかを助けたから、竜崎先生は……」
そんな様子に黙り込んでいた清川が顔を上げて少年をじっと見つめる。それでやっと少年が泣いている理由が理解出来たのか慰める様に少年の頭を撫でて言った。
「……そんな事ないでしょ? マモルくんはイジメられてただけで、阿久斗さんもそれを助けようとしただけじゃない。こんなの、マモルくんの所為でも何でもないよ……」
だが少年はボロボロと涙を流しながら清川に向かって顔を歪める。
「僕が! 僕が居なきゃ良かったんだよ! ぼ、僕が、死んでいれば――」
怪訝な顔をしていたシンシアは二人のやり取りを聞いて事情を察したらしい。みるみるその表情が曇って行く。やがて歯噛みしながら悔しそうに呟いた。
「……私は伝えてはいけない事を伝えたのね。本当にごめんなさい……本当に私は駄目ね、いつも人を傷付けてしまう。だけどそう、アクトは少年を……マモルを救ったのね……」
それでマモルは歯を食いしばりながら小さく頷いた。そんな少年の頭を抱き寄せるとシンシアは髪を優しく撫でる。それはまるで小さい子供を励ますかの様に。
そうしていると静かな中で遠くから銃撃の音が聞こえてくる。そしてそれに続いて打撃音も。恐らく今、竜崎が戦っている。それで少年が目元を拭うとシンシアが小さく囁いた。
「――マモルはね。名前の通り、ブレイド――アクトを守ってくれたのよ」
「……え……僕が、先生を……?」
「ええ。アクトはあの時のままだった。きっとマモルがいたからアクトは心の剣を折られずに済んだのね。アクトはいつも辛そうだったわ。何をしても報われなかったから……」
そしてシンシアはマモルの前髪を指先で撫でる様に分けるとにっこり微笑んで額に口付ける。いきなりの事に驚いて少年が額を押さえるとシンシアは楽しそうに笑った。
「私にも貴方位の妹がいるの。お陰で最後に思い出せたわ……有難うマモル。貴方は私も救ってくれたの。貴方の所為で失われた物なんて無いの。だから胸を張って生きて――」
しかしそう言い掛けた処でシンシアの身体があり得ない程大きく跳ねた。パン、パンと言う破裂音が連続して鳴り響く。それは少女自身の身体からだ。そして唖然とするマモルと清川の前で床に転がると少女が着ていたワンピースの上であちこちから赤い染みが広がり始める。横たわった身体がびくびくと痙攣するのを前にマモルも清川も反応が出来ない。
「……え……し、シンシアさん……?」
余りにも異常な出来事に少年は触れる事も出来ずに少女の名を呼んだ。しかし白銀の娘の口が何か言おうと動いた瞬間に血の泡を吐き出す。身体から流れる少女の血が床の上を浸していく。震える手で何とかしようとするがこんな時どうすれば良いのかが分からない。
それで助けを求める様にマモルは清川を見た。だが清川は怯えた様に全身を小さくしながら頭を抱え、必死に首を横に振るばかりでまともに反応しようとしない。
「せ、先生! 清川先生! シンシアさんを、助けないと!」
「わ、わか、分かんない……何これ、何、私、これ……え、何……」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら清川はパニックを起こした様に怯えている。突然目の前で少女が倒れて血溜まりの中動かなくなったのだ。悲鳴こそ上げていないが理解の範疇を超え過ぎていて頭が正常に働かないのだろう。
勿論それはマモルも同様だが竜崎の正体を前もって知っていた事が彼にとって幸いした。
「そ、そうだ……竜崎先生なら……先生! 竜崎先生! 助けて、シンシアさんが!」
そして少年は顔を上げると男が出ていった扉へ視線を向ける。竜崎の耳は特別製だから叫ばなくても聞こえる筈だ。それで少年は囁く様に掠れた声で唯一信じられる名を呼んだ。
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