1−幕 竜崎の正体
暗い廊下の中をマモルは竜崎阿久斗と二人で歩いていた。教室に置いたままのカバンを取りに行く為だ。すっかり陽も落ちて廊下は誘導灯の光で薄っすらと見える程度に暗い。
机に置いてあったカバンを取るとマモルはその中からビニル袋を取り出した。中には外履きの靴が入っている。もう毎回持って帰る必要も無い。たったそれだけの事が幸せだ。
そして再び廊下を歩いているとそれまで黙っていた竜崎が不意に足を止めた。
「……先生? どうしたの?」
少年も足を止めて振り返ると男は窓の外に見える夜空を見上げながら小さく呟く。
「――マモル。俺は……心の片隅で人間を見限っていたのかも知れない……」
「え? 先生、何? どうしたの?」
何気なく尋ね返しながら少年は少し驚いていた。竜崎の口調がこれまでと違って何処か優しく聞こえる。それに雰囲気も随分と柔らかく変わっている。それまでは『少年』と呼んでいた筈で直接『マモル』と呼んだ事は無かった筈だ。
少年がじっと見ていると男は再び歩き始める。その隣に続くと静かな声が聞こえてきた。
「――マモル。片方が正しければもう片方が間違っている訳じゃない。彼らには彼らなりの正しさがあった。それを上回っただけだ。だから彼らを悪と見ないでやって欲しい」
「……えっと、それって……どう言う事?」
「――善悪とは正しさの争いだ。強いと正義、弱いと悪になる。親が子を思って庇うのは正しい。例え子が間違えてもな。マモルは――あの親達が間違っていたと思うか?」
「んー……良く分かんないよ、僕……」
そう答えながらマモルは考えていた。あの時自分を守ろうとした母親は悪鬼の様に他人を憎む目をしていた。それだけを見れば正しくは見えない。そして少年達の親も自分の子を守ろうとそれぞれ必死だった筈だ。あの安藤の父親ですら恐らくそう考えていた筈だ。
確かに竜崎が言った通り世の中は理不尽なのかも知れない。お互いに正しさを主張し合うだけで相手の正しさを理解しようとしない。そうなるともう正しさなんて分からない。
そして少年が黙って歩いていると男は不意に小さく笑った。
「――だが俺もマモルに救われた。お前が思い出させてくれた。俺が生きる世界は同じ場所で俺もその一人だと。信じていないのに信じてくれと言っても信じて貰える筈がない」
そんな何処か違う世界を語る様な言葉に少年は男を見上げた。暗闇の中で男の瞳が金色に輝いて見える。それはやはり竜崎が普通の人間では無いと言う証だった。それで少年は勇気を振り絞って小さく呟く。
「――あのさ、竜崎先生。僕は竜崎先生の事、本当に尊敬してるよ?」
その途端男は歩みを止めて少年をじっと見下ろした。
「……いや、俺は尊敬される人間ではない。実際に世界は
だが寂しそうに答える竜崎にマモルは胸を押さえながら思い切ってもう一度言った。
「ううん。僕は尊敬してる。竜崎先生が『ストライク・ケイジ』の人だとしてもさ?」
それで男の顔が僅かに歪んだ。不意打ちを食らったかの様に目元を手で覆うと震える様に息を吐き出す。それは声を押し殺して涙を堪える様な大人の姿だ。そうしてしばらくすると竜崎は今にも泣きそうな顔で歯を食いしばりながら少年に答えた。
「……知っていたのか。シンシアや仲間達にも今の言葉を聞かせてやりたかった……」
「やっぱり。先生、全部思い出したんだね。だってさっきまで先生、僕の事を『マモル』って名前で呼んでなかったもの。本当に記憶喪失だったなんて思ってなかったけど」
そう言って少年ははにかむ様に笑う。それを見て竜崎は穏やかに黄金の瞳で見つめた。
「全くお前は本当に凄いな、マモル――そうだ、俺はストライク・ケイジの実戦担当をしていた。いわば『大幹部』の一人だ。『ブレイド・ラグーン』と呼ばれていた」
「……ブレイド・ラグーン?」
「ああ。『剣の礁湖』と言う意味だ。以前シンシア――仲間が付けた。刀の形をした島国出身で沖縄にある礁湖から『ラグーン』なんだそうだ。俺は沖縄出身ではないんだが」
刃の礁湖、ブレイド・ラグーン。即ち『ドラグーン』とは間違って伝わった名前だったのだ。しかし少年にとってそれは大した事ではない。何故なら彼らストライク・ケイジの人間は『変身』出来るのだ。それは正にヒーローで今朝テレビで見た映像が脳裏をよぎる。
「え、じゃあ先生も、変身……出来るんだよね!?」
「ああ、出来る。俺の身体にはナノ・マシンが組み込まれている。だが負傷で回復の為に処理していたから今は数が足りなくて無理だが。しかし記憶を失って中学校の教師として潜り込むとは俺も中々に悪役らしい……記憶が戻った以上、出ていくべきだろうな……」
そう言うと竜崎は少し寂しそうに笑った。それを聞いてマモルは慌てて男の袖を掴む。
「駄目だよ、先生! 竜崎先生はここにいないと!」
「……マモル?」
「竜崎先生は僕の先生だよ! 大人になるなら先生みたいになりたい! それに……そうだ、『理不尽との戦い方』だって僕、まだちゃんと教えて貰ってないよ!」
必死な様子でしっかりと腕を掴む少年。その様子に男は少し驚いた顔になった。悲しそうに僅かに眉を傾けると言い聞かせる様に答える。
「俺は……世界で言う『悪の組織』の『大幹部』だ。そんな俺が居ると知れればお前達を危険に曝すかも知れない。只でさえ俺は普通じゃない。だからマモルと庇ってくれた清川には申し訳無いが、俺はもうここにいない方が良い……のだと思う……」
「大丈夫だよ。だって先生の正体は誰も知らないもの。僕だって言わない。母さんにだって絶対言わないよ? だからさ……だからずっと一緒にいてよ、先生!」
「……しかし……」
「そ、それに! 先生はずっと見てるって言ったじゃないか! 僕や安藤達の事をこれからもずっと見ててくれるんでしょ!? 先生は約束を破ったりしないよね!?」
「むう……それを言われると辛いな……少し考えてはみよう」
「約束だよ!? 黙って居なくなっちゃったりしたら駄目なんだからね!?」
やっと少年が安心した顔になって笑う。その顔を見て竜崎も穏やかに微笑んだ。
そうして薄暗い廊下を再び歩きながら二人はやがて下駄箱の辺りに到着した。そこで何やら考えていた竜崎はマモルの顔をじっと見つめると左腕を差し出して見せる。
「ん? どうしたの、竜崎先生?」
「――マモル。変身は見せてやれんが、代わりにこれを見せてやる」
「え……?」
そう言うと突然竜崎の左手甲に不思議な記号が浮かび上がった。それは時折竜崎の瞳に浮かぶ色と同じだ。黄金に輝く光で『φ』の記号が鈍く光っている。
「俺は二一番目のメンバーだ。これは『ファイ』と言う文字で直径を表す記号だ。俺は剣を使うから『分断者』と言う意味だと仲間達は言っていた」
「……ファイ……分断者……」
「それと……これは同じ『ストライク・ケイジ』のメンバー以外には見せる事を赦されていない。だからこれを見たマモルは俺の仲間だと認めた事になる」
「え……じゃあ、先生……」
「うむ。居られる間はここに居よう。去る時は必ずマモルに一言言ってからにする」
それは竜崎阿久斗が初めて自分に明かしてくれた事だった。手の甲に光るマークを持つ人間なんて居ない。そして秘密を共有する証を見せて貰えた事が少年を僅かに高揚させる。
そして男は袖を捲くると剥き出しになった左腕を前に小さな声で呟いた。
「――マテリアル・イグニッション」
その瞬間男の左腕を黄金の光が包み込む。皮膚の上に亀裂が入ってそこからゴツゴツとした塊が盛り上がる。それはあっと言う間に竜崎の腕を包み込むと薄い暗闇の中で凶悪なシルエットに変わった。爬虫類の様な鱗が覆っていて武者の鎧の様な形状に変わっている。
「――今はこれが限度だ。流石に剣まではまだ生成出来ない。分かっておいて欲しいんだがこんな事が出来る俺はもう人間ではない。だから出来るだけ近寄らない様に……」
僅かに自虐の籠もる声。しかし少年は目をキラキラさせると男の左腕を見つめた。
「……凄い……先生、これ……触ってもいい?」
「……マモル、お前は俺が怖くは無いのか? 俺は化け物で危険かも知れんのだぞ?」
「先生の事が怖い筈ないじゃん! 凄い、格好いい! 今朝テレビで見たそのままだ!」
そして少年の指が男の左腕――篭手の上を撫でる。それはザラザラと乾いた感触でまるで本当にドラゴンに触れているかの様だ。無論実際にドラゴンに触れた事なぞ無いのだが。
そうやって少年が興奮しながら触っていると男の左手甲から光が消えてみるみる腕は元の姿へと戻っていく。そして残念そうな顔になるマモルに向かって竜崎は苦笑した。
「……お前は怖いもの知らずだな、マモル。俺が知る限りこれを見て触れようとした子供は今まで一人もいない。大抵は怯えるか警戒されるだけだったんだが……」
そんな男の言葉を聞いて少年はキョトンとした顔になるとにっこり笑った。
「そんな筈ないじゃん。先生は僕のヒーローなんだから絶対に格好良いよ。安藤達だって見たら絶対そう言うよ……って、秘密だから見せられないんだっけ。勿体ないなあ……」
そう言うとマモルは本当に残念そうな顔に変わる。それで少し救われた様な顔を見せると竜崎は下駄箱の玄関から既に随分と暗くなった外を見つめた。
「……マモル、今日はもう帰れ。母親が待っているのだろう?」
「あ、うん。それじゃあ……竜崎先生、僕絶対に誰にも言わないから! だから何処かに行っちゃ駄目だからね!? 約束だよ!? 明日も明後日もその後もずっとだからね!」
マモルは下駄箱に上履きを放り込むと元気良く扉に向かって走り出した。あんなに辛かった現実が嘘の様に霞んでその代わりに色鮮やかな夜空が目の前に広がっている。こんな風に夜空を見上げるのは久しぶりだし辛かった時は綺麗だと感じる余裕も無かった。
少し離れた処に母親らしき人影が見える。そこへ向かって駆け寄ろうとした直前に少年はふと立ち止まって後ろを振り返った。そこでは消える事もなく男が今も見送っている。
薄暗い闇の中であの黄金の目が薄っすらと見える。安心して手を振ると男の影も同じく手を振り返してくれるのが見えた。それで少年の顔に満面の笑みが広がる。
そうして少年は再び母親の待つ処へ向かって元気良く駆け出した。
そんな背中を見送りながら男は誰にも聞こえない程小さな声で呟く。
「――有難うマモル。お前は俺を、俺達を……救ってくれたのかも知れないな……」
――そして少年は生涯、竜崎阿久斗と言う男との出会いを忘れる事は無かった。
男が一体何と戦い、何故『悪』と呼ばれる様になったのかを知る事となるのである。
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