第二幕 強襲は、悲しみと共に

2−1 平和な日常


 イジメ事件が解決した翌日。一ノ瀬マモルの通う櫻ケ丘中学校で彼のクラスである一年E組ではちょっとした騒ぎになっていた。


 辛かった日々が解消されて朝から機嫌よく登校してきたマモルが教室へとやって来るとそれまで話をしていた安藤少年達がこぞって駆け寄って来る。


「あっ、一ノ瀬、大変だ!」

「え? え、あの……一体どうしたの?」


 流石に昨日の今日で少年の頭はいまいち人間関係に馴染んでいない。曖昧に笑いながら安藤達の順応の早さに内心驚いていると四人の内の一人、池田が興奮気味に声を上げた。


「い、一ノ瀬、清川センセがうちの担任になるらしいぞ!?」

「え……ちょっと待って!? じゃあ……竜崎先生は!?」


 少年は一瞬目の前が真っ暗になった気がした。しかしそれでも何とか尋ねると複雑そうな顔になった少年達の中で石原が気楽そうな顔で答える。


「いやあ、竜崎センセも職員室にいたらしーぜ? だから大丈夫だったんじゃね?」


 それを聞いてマモルは少しだけ安心した顔に変わった。

 昨晩あの後、母親と一緒に帰宅してからマモルは母親に竜崎が退職させられそうだった事をつい話してしまったのだ。少年は母子家庭で父親は既に死んでいない。その日あった事を話す習慣があり『随分遅かった』と言う母親の質問に思わず答えてしまっていたのだ。


 その結果母親は大変激怒した。これまで大人に懐かなかったマモルが初めて懐いたのが竜崎教諭だ。その上イジメを赴任初日で解決した事で母親の信用は絶大な物になっている。

『あの先生、若くて結構男前ね。ちょっと変わってるけど超良い先生ね』だなんて大絶賛していた恩人に対する仕打ちが『責任退職』と聞いて怒らない筈が無い。結局昨晩の内に『お母さんに任せときなさい!』と言われて少年が不安にならない訳が無かった。


 ホームルームが始まってすぐに清川がやって来ると教室の中は大歓声が溢れた。少年達も喜んでいるが特に少女達から見て未だ二五歳の清川は非常に人気がある。趣味や恋愛談義も普通に乗って来るし先生と言うより初々しさの残る元気なお姉さん、と言う感じだ。


 昨日やって来た竜崎がいきなり交代した事よりもクラスメート達はお姉さん先生が担任になった事がよっぽど嬉しいらしいが少年としては納得が行かない。

 だが少し早めにホームルームが終わると憂鬱な顔の少年に突然清川が声を掛けてきた。


「――あ、一ノ瀬くん? ちょっとだけお話、いいかな?」

「え……あ、はい……」


 教室の生徒達が注目する中でマモルは顔を僅かに引きつらせて廊下へ出た。まだチャイムが鳴っていない為に他のクラスの誰も廊下に出ていない。そこで突然清川は少年の肩に手を置くと周囲をキョロキョロ見回してから耳元に唇を寄せて呟いた。


「……あのね、竜崎先生、退職は無くなったよ? でも保護者の人にきつい事言っちゃったから流石に担任は無理になって、あの時居た私が一ノ瀬くんの担任になっちゃったの」

「あ、そう……だったんですか……」

「うん。竜崎先生は理化学の先生だから今は理科準備室にいるよ。今朝もちゃんと職員室にいらっしゃってたし。だから……お昼休み、一緒に様子を見に行ってみよっか?」


 それを聞いてマモルはポカンとした顔に変わった。


「え、別にいいですけど……え、清川先生、なんで一緒に……なんですか?」

「えっ? えと、私、阿久斗さん――じゃなくて先生のクラスを受け持つ訳だし……」

「…………」

「ちょ、どうして一ノ瀬くん、黙るのよ!?」

「……いえ、別に……いいんですけど……清川先生?」

「な、なあに?」

「もしかして先生、竜崎先生の事が好きになっちゃった?」

「え、ええっ!?」


 マモルが直球どストライクな質問をした途端清川の頬が桜色に染まる。両手で顔を覆うとその場にしゃがみこんでしまった。赤くなった清川を眺めながら少年は溜息をつく。


「……そっかあ……清川先生、竜崎先生の事が好きになっちゃったのかあ……」

「ち、違うの……その、ど、どうなのかな!? でも一ノ瀬くんの為にクビになる覚悟で助けようとしたり超格好良いと思うし……え、一ノ瀬くんは格好良いと思わない?」

「……いやあ、まあ格好良いとは思ってますけど……」


 清川の少し慌てた声に苦笑しながらマモルは答えた。

 マモルが『格好良い』と思うのは竜崎の本当の正体を知っている為だ。現実に変身出来るヒーローがいれば憧れて当然だし竜崎は少年を救ってくれたのだからその思いも強い。

 しかし清川は少し呆れた顔のマモルに気付く事無くうっとりとした表情に変わる。


「だよね……昨日『貴女がいなければ大切な事を忘れる処だった』って言われちゃってさ、そんな事言われたら――って私なんで自分の生徒にこんな事相談してるのよぅ!」


 そう言うと一人ジタバタし始める。それを見てマモルもようやく理解し始めていた。

 清川は『お姉さん』と言うよりも『お姉ちゃん』っぽいのだ。歳が近くて下世話な話が出来る『子供っぽい大人』で、だからこそ生徒にも人気がある。年上である事を必要以上に意識しない態度だからこそ学校の教師と言うよりも可愛い先輩と言う感じなのだろう。それにどうやら清川は自分の恋心に無自覚で騒がしい女生徒を前にしている様だ。


 複雑な気分になりながら少年が逃げ出したい気持ちになり始めた時チャイムが鳴った。それで幸いとばかりに早めに話を終わらせようと清川に声を掛ける。


「――あ、先生。それじゃお昼休みって事で……」

「あ、うん! それじゃお昼休み、給食の後で待ち合わせね!」


 そう言うと清川は廊下をパタパタと早足で去って行く。げんなりしてマモルが教室の扉を開くと最後列扉前の自分の席に座る。だが少しして先ほどした約束にハッと気付いた。


「……僕……なんで一緒に行く約束、しちゃったんだろ……まあ別にいいけど……」


 そしてがっくり項垂れるマモル。やがて授業のチャイムが鳴って担当教師がやって来た。

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