1−8 和解

「――ですが一ノ瀬さん、本当に良く出来た息子さんで私らも頭が上がりませんよ」

「――いえ、そんな……私もその、すいません。お恥ずかしい限りで……」


 視聴覚教室の一角では保護者達が集まりながら和気藹々と話している。母親も先程とは違って頬を赤くしながら頭を下げている。それを眺めながらマモルは首を竦めていた。


 全てが終わって気がつけば『全てマモルのお陰』と言う雰囲気になってしまっている。しかし少年は実際に何もしていないし全てが竜崎の手腕による物だ。だが誰も担任教師を褒めたりはしていない。それだけが唯一少年が納得出来ない事だった。


 竜崎阿久斗は今ここには居ない。校長や教頭と一緒に職員室へ引き上げた後だ。しかしそれでも竜崎が最後に言った一言がマモルには気になってしょうがなかった。


 あの時竜崎は確かに言った。『例え教師で無かろうと』と。それが一体どんな意味を持っているのか少年には分からない。これからもずっと担任でいて欲しいと願うばかりだ。

 だが何か気が晴れない。訳も分からずマモルが思い悩んでいると少年達が近寄ってきた。


「……なあ、一ノ瀬……マジでごめんな? あと、本当に有難う」

「え? あ、石原? それに皆も……」


 驚いて振り返るとマモルの前に照れ臭そうな顔をした少年達が立っている。まだ目元が赤く腫れていて真田は頬を痛そうに擦っている。あの昔気質っぽい父親は彼の父親らしい。

 口々に謝罪する中で最後に一番落ち込んだ表情の安藤がマモルに頭を下げた。


「……マジで悪ィ……一ノ瀬、俺……もう絶対、こんな事しない……」

「……安藤……」

「……俺、自分が怖くなった。父さんが飲んだ時、本気で殺されるんじゃないか、って」


 そう言うと再び鼻をグズグズと鳴らし始める。考えてみれば中学一年生が本気の大人を相手に普通でいられる筈がない。特に竜崎は子供相手でも言葉に容赦が無いし実際に必要なら平気で殺しそうだ。その矛先が自分に向いていれば恐ろしいに決まっている。


 逆にもし自分が問い詰められる立場ならやはり怖い。言い訳も何も出来ずに素直に謝ってしまうに違いない。しかしマモルはそれ以上何とも言えなくなってしまった。


 ここに居るのはイジメをした者とされた者。解決したとは言え流石にまだ顔を突き合わせていても何とも言えない気不味い空気が漂っている。

 しかし黙り込む少年達の中で安藤は静かにポツリと呟いた。


「……竜崎先生って怖いけど、俺は居てくれて本当に良かった、って思ってる」

「……うん」


 複雑そうな顔でマモルが曖昧に答えると他の少年達も堰を切った様にぼやき始める。


「俺もだ……イジメだせえって思ってた筈なのにな……自分が一番だせえよ……」

「でも竜崎センセって熱血に見えないのにマジ怖ェよな……」

「……うちの母さん、マジで泣いてた……」

「てか俺、帰ったら親父にまた、絶対に殴られる……」

「う……俺も……まあ、仕方ねーんだけど……」


 そして再び憂鬱そうな顔になって少年達はため息をついた。

 あれ程嫌な思いをさせられた後なのにこうして普通に話をしている。それにマモルは何とも奇妙な感覚を憶えていた。少年達からは既に毒気が綺麗になくなっている。さっきまで絶対に赦さないと思っていたのに激しい緊張を経験した所為か不思議と心は穏やかだ。

 もしかしたら少年達が本気で青くなって泣いているのを見たからかも知れない。それにきっともう二度と以前みたいな事にはならないだろう。本来は被害者であるマモルですら竜崎の解決方法を体験した後では絶対に同じ場面に立ち会いたくない。

 そんな事を思っていると不意に安藤少年は憂鬱そうな顔のままで小さく呟いた。


「……でも……竜崎先生、多分先生辞めさせられちゃうんだろうな……」

「え!? 安藤、それどういう事!?」


 驚いてマモルが声を上げると安藤は言い難そうに答える。


「その……父さ――親父が言ってた。保護者巻き込んであんな事言ったら、もし俺らや親父達がどんなに擁護しても、校長とかが教育委員会に報告するだろうな、って……」

「え……なんで!?」

「だって学校の先生って立場弱いだろ? どんなに良い先生で幾ら正しくても大人ってすぐに責任とか言って辞めさせるじゃん。だから竜崎先生もその覚悟だったんだと思う」

「……そんな……」


 それを聞いてマモルは激しい衝撃を受けていた。

 竜崎は初めてマモルを助けようとしてくれた大人だ。誰も手を差し伸べようとしなかった中で唯一実際に行動してくれた。少なくともマモルが知る『正しい大人』の理想だった。

 それがどうして教師を辞めなくてはならないのかが分からない。

 必死にマモルが考えていると一人、また一人と少年達は親に呼ばれて帰って行く。そして最後に一人残ったマモルに母親は近寄ってくるとホッとした顔で声を掛けてきた。


「――マモル? それじゃあ帰ろっか?」

「え……あ、母さん?」


 疲れ果てた顔だが母親は安心した様に笑顔だ。しかし少年はそれ処では無かった。

 視聴覚教室には既にマモルと母親の二人しかいない。部屋は普段鍵が掛かっているし机の上にも見当たらないから後で鍵を掛けに来るんだろう。竜崎阿久斗は校長達と一緒に真っ先に教室を出て行った――と言う事はまだ職員室にいるのかも知れない。


「――母さん、僕……」

「うん? どうしたの、マモル?」


 迷いながら顔を上げると母親の笑顔がある。母親は必死に自分を守ろうとしてくれたしあの竜崎も。今日初めて出会った担任は初めて会った見知らぬ自分の為に覚悟を決めて。

 自分を助けてくれる人を自分も絶対に助けたい――そんな覚悟が少年の中で生まれる。少年は顔を上げるとこれまでとは違う決意の表情で母親に言った。


「母さん、僕――竜崎先生にお礼言ってくるよ!」

「えっ……ああ、ならお母さんも一緒に――」

「いいよ! 先生と、男同士の話があるから!」


 今にも部屋を飛び出しそうになる少年を見て母親はついてこようとする。しかし少年は扉の前で一旦立ち止まるとそう言って再び暗い廊下へ飛び出した。


「んじゃあお母さん、下駄箱の前で待ってるからね!」


 背中からそんな声が追い掛けてくる。マモルは職員室に向かって駆け出していた。

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