1−7 事件の決着
結局の処『学校』と言う空間は『全ての生徒を平等に扱う』基本概念がある為に誰かの味方をする事が許されていない。加害者であろうが被害者であろうが生徒は平等に扱うしか許されていない。だから問題が起きても『子供達を守る』以外に選択肢が無く事件性が低ければ正当性を見極めて片方だけを責める事が出来ない矛盾を抱えている。
例えば頑張った子供が良い成績を残す。褒めて表彰すると表彰されなかった子供の保護者が『優劣を付けるな』と責める。だが頑張った子供は褒めてやらないと報われない。子供が努力して頑張ってもそれを褒めてやれないのならば『教育』は既に破綻している。
その点で見れば竜崎と言う教師は明確な異端者だった。
日本で言う『子供を守る』とは加害者側も含まれる。だから被害者が一方的な損害を受けて終わる。どちらも『子供』であり明確な断罪を遂行する事が学校側に許されていない。
だが竜崎は保護者の機嫌を取ろうとはしないし問題のある生徒は断罪する。切り捨てる事が赦されない日本の教育者としては認められないが明確に生徒を守る為だった。
教師としては間違っているが人間としては正しい――その矛盾する問題をこの学校の校長は決められなかった。その点で見れば実に善良な『教育者』であったと言えよう。
しかしこう言った場合誰が責任を取るのか。要するに『誰が悪い』かを決める場合最も簡単で誰もが納得する理不尽な方法がある。これは警察や自衛隊、医療従事者でも同じだ。
つまり『守る役割を持つ者』に責を負わせる。結果ではなく経緯の責任を取らせるのだ。
安藤少年の父親は俯いたまま黙り込んでいる。既に何も言い返す気力も無いらしく別の父親に殴られた頬を擦るだけで何も言わない。そしてその隣で座る安藤少年もまるで死人の様に顔を真っ青にさせながらボロボロと涙を零している。その様子は最早『イジメ』の問題がどうこう言う話ではない。加害者側が徹底的に罪を自覚させられている。傍らでは真剣な顔で話を聞く保護者達を前に竜崎教諭が要求を突きつけていた。
「――一つ。子供の再教育。これは親であるお前達の失態だ。二つ。今後一切一ノ瀬少年との接触及び虚偽の吹聴を禁ずる。三つ。二度と少年の前に姿を見せるな――以上だ」
その冷徹な要求は保護者達を絶望のどん底へと叩き落とした。しかし声も出せずに黙って聞いていた校長が慌てて竜崎に声を掛ける。
「い、いや、待ちなさい竜崎先生。それは無茶過ぎるでしょう?」
「何がだ? 俺は当然の事を言っているに過ぎん」
「いやいや、同じクラスで過ごすのに顔を合わせるな、だなんて不可能じゃないですか」
だがそこで今度は竜崎の鋭い目が校長へと向かう。
「――何を言っている。要するに俺は家族引っ越すか転校しろと言っている。退学や逮捕が無いだけ遥かに好条件だ。大体加害者と被害者を再び一緒にするなぞ愚の骨頂だぞ?」
「い、いやいやいや! ですがそれは……」
そう言って食い下がろうとする校長。しかしそれを竜崎は真剣な顔で睨みつけた。
「――次に被害があっても今度は完全に隠蔽される。先程教室での彼らの言動をお前も聞いた筈だ。『次に言えば殺す』――そうやって隠蔽され一ノ瀬少年が追い込まれない保証が無い。それで自殺すればこの母親の前でお前はどう責任を取るつもりだ?」
「で、ですが……私達教師や学校側の管理責任でもありますし……」
「俺は赴任してきて今日が初日だ。これまで管理していたお前達の落ち度ではないのか?」
「……うっ……」
校長は呻き声を上げた。そんな姿を竜崎の氷の様な視線が射抜く。更に周囲で顔を蒼白にした保護者達の視線が集まって校長の隣にいた教頭が一層身を小さくさせた。
落とし所が過酷過ぎる。しかし竜崎の言う事は余りにも正論過ぎて誰も言い返せない。
そんな光景を眺めながらマモルは隣で今も必死に自分を抱き寄せる母親の顔を見つめた。今までに見た事が無い位に怒りに歪んだ顔が見える。叱られる事も多いがいつも優しい母親が自分の為にこんな風に誰かを憎んでいる。それで少年の胸をチクリと痛む。
それでふと担任の方を見ると竜崎が穏やかな表情で自分を見ている事に気付いた。
男がこんな穏やかな顔をするのは今日の昼休み以来だ。その目は少年だけでなく必死に守ろうと抱いている母親にも向けられている。それはとても優しげな男の顔だった。
そして昼休みに男から言われた事を思い出した。覚悟を決めなければ何も変えられない。マモルは自分がまだ何も覚悟をしていない事に気付くと勇気を振り絞って顔を上げた。
「――あの、僕……ちょっといいですか?」
少年がか細い声で頼りなく口を開いた途端に周囲の大人達の視線が一斉に向いた。それで思わず怯んでしまう。だが中でも一番立つ瀬の無かった校長は必死の形相で尋ねて来た。
「ど、どうしたんだい一ノ瀬くん? 何か言いたい事でもあるのかな?」
そう言って近付いて来る校長。それを牽制する様に母親がキッとした顔で睨み付ける。
「マモル、大丈夫よ。心配しなくていいよ。お母さんが絶対あんたを守って上げるから」
けれど少年はそんな母親の頬に手を触れると少し困った顔で笑った。
「……僕、母さんがそんな顔になるの、やだな」
「え……マモル……?」
呆然とする母親を見つめると少年は勇気を振り絞って顔を上げる。その先では竜崎がじっと少年を見つめている。それは昼休みに覚悟出来るかと尋ねた時と同じだ。それでマモルは唾を飲み込むと緊張でカラカラになった喉に鞭打って自分を虐げた子供達を見た。彼らは今、身体を小さくしながらまるで処刑を待つ様に顔を青くして俯いている。
「――悪い事をしたら謝れって母さんは僕にそう教えてくれた……安藤達は違うの?」
「……え……?」
マモルの一言に少年達は身体を震わせると恐る恐る顔を上げる。ぼんやりとしていた目が少年に集まる。そしてしばらくするとそれぞれが泣きながら口々に謝罪を始めた。
「ご、ごめん……俺、酷い事、してた……」
「ほんとにごめん……今まで、本当にごめんなさい……」
「俺ら、全然分かってなかった……ごめん、一ノ瀬……」
そして子供達が口々に言う中、最後に安藤少年がボロボロと涙を零しながら。
「……俺、自分が何やってたか、全然分かって無かった……」
それでマモルは静かに安藤少年に尋ねる。
「もう、あんな事はしない?」
「うん……絶対しない。一ノ瀬が嫌なら、俺、学校やめる……本当に、ごめん……」
流石に『犯罪者』とまで断定された上に父親が吐き出したのを見て余程堪えたのだろう。
元々少年達はそれ程悪い人間ではない。クラスの中でもそれなりに中心になっていたし普段は明るくそれなりに正義感も持っている。結局イジメをしている自覚が無かったのだ。
そんな同級生達を見るとマモルはふう、と息を吐き出して目を伏せた。確かに許せない事も多いがそれでもやっと苦しかった日々が終わった――そんな疲れた顔を上げて再び竜崎教諭を見て少年は強張った表情のままで笑う。
「……竜崎先生、もういいよ。本当に有難う。二度としないなら転校しなくていいよ」
「――ふむ? これまでと同じく共に居ても構わないと。少年は自分でそう判断したのか?」
「うん。皆本気で反省してるみたいだし。もう無いなら僕はそれでいいよ」
「それは少年自身の意志に拠る物か? 言わされている、恫喝された結果では無いのか?」
その問いにマモルが頷くとその場の空気がやっとホッとした物へと変わる。母親も驚いた顔で少年の顔を見つめている。だがその中で竜崎だけが不満そうに溜息をついた。
「……ふん、全く困った物だ」
その一言で再び保護者達の顔が激しく強張った。まだ何かあるのか――そんな顔付きだ。しかしそう言うと竜崎は保護者達を一瞥して鼻で笑った。
「――どうやらここに居る誰よりも一ノ瀬少年は『大人』な様だぞ?」
恐ろしい物を見る目で黙って親達が見守る中で校長が尋ねると竜崎は憮然と答える。
「え、それじゃあ竜崎先生……!」
「それが少年の意志ならば俺がどうこう言う筋合いではない。好きにすればよかろう」
それでやっと場の空気が緩み掛けた。が、その中で再び鋭い声が上がる。
「――但し次があると思うな。本気で容赦しない。少年は告げ口なぞしていないし今回の件は全て俺が独自に調査した。俺はずっと見ているぞ――例え教師で無かろうとな?」
その一言に震え上がりながらコクコクと保護者達と子供達が頷く。
こうして一ノ瀬マモル少年の長い一日はようやく終わりを迎える――かに見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます