1−4 暴露

 昼休みが終わって教室に生徒達が戻って来た。本来なら授業の筈だが今日は新任担任が来た事もあってホームルームに変更されている。


 中学生にとって若い竜崎教諭は先生と言うよりも『お兄さん』と言う方が近い。その上顔立ちも整っていているからこの年頃の少女達には好奇心の対象だし少年達には『頼れる兄貴分』かどうか見極める良い機会だ。

 ここでもし『教師』の立場を見せれば子供達はもう『只の教師』としてしか見なくなる。ある意味大きな分岐点だが残念な事に竜崎阿久斗はそのどちらにも該当しなかった。


 朝の短いホームルーム程度ではまだ何も分かっていないも同然だ。一年E組の生徒達は好奇心を満たせる時を今か今かと待ち侘びていた。

 しかしその待ち侘びた相手、新担任である竜崎阿久斗が教壇の前に立った時クラスの生徒達の顔には疑問符が浮かんでいた。片手には紙コップの束、もう片方の手には一リットル程入るドリンクボトルがある。教壇の上に紙コップを広げるとボトルから液体を注ぎながら竜崎は黙り込んで様子を見守る子供達に向かって話をし始める。


「さて、俺は理化学担当だ。少し話をしようか。諸君は『フグ毒』を知っているな?」


 それでやっとクラスの中がザワザワとし始める。だが竜崎が手を上げて再び静かになる。


「――フグ毒とはテトロドトキシンと言う神経毒だが実はフグと言う魚自身が生成した毒ではない。ビブリオ、アルテロモナスと言う毒を生成する海洋細菌を吸収した結果毒を持つ魚と認識された。つまりフグ自体は本来毒を持っていない無害な魚だと言える」


 そこで竜崎は言葉を区切ると教室の中を歩いて一人一人の前に紙コップを置いて回った。紙コップには琥珀色の液体――どう見ても麦茶だ――が液面を揺らしている。そしてそれを全員に配り終えた後に男は再び教壇の前に立つと生徒の一人がおずおずと手を上げた。


「……あの、先生、これ、何ですか?」

「うむ。これはある人から頂いた物だ。どうせだしクラス全員で頂こうと思ってな?」


 そして竜崎は教壇の紙コップを掴むと一息で呷った。それを見て生徒の何人かが同じく紙コップに口を付ける。しかし一口含んだ途端に慌てて口元を押さえ始めた。


「……え、何これ……酸っぱい……っていうか、生臭い?」

「これ……腐ってるんじゃないの……?」


 そんな声が教室のあちこちから上がる。だが竜崎はゆっくりと机の間を歩きながら再び先程の話の続きを語り始める。


「――フグの場合は環境に拠る物だ。毒で死者が出れば調理者に責任が及ぶ。ではそれが故意に混入されれば? 当然混入した者に殺意有りとなる。それが毒性の無い物であっても人が口にする物への異物混入はれっきとした犯罪だ。因みににこれは一ノ瀬少年の母親が準備した麦茶だ。無理を言って譲って貰った――安藤少年、君は何故飲んでいない?」


 生徒達がざわざわと騒ぎ始める中で男の足が一人の生徒を前に立ち止まったかと思うと穿つ様な鋭い視線がじっと見下ろした。


「……え……だって、他にも飲んで無い奴、いるじゃん……?」


 安藤と呼ばれた少年は薄ら笑いを返した。だが口元が僅かに引きつっている。紙コップを手に持つと中身をグルグルと回して誤魔化す様に愛想笑いを続けた。

 それで竜崎が少年の首筋をポンポンと叩くと安藤は嫌そうな顔で紙コップから手を離す。


「ふむ。ではお前は先程呟いたな? こんな物飲める筈ねぇよ、と。それは何故だ?」

「……え……いやぁ、俺、ンな事言って無いッスよ?」

「どうも俺の耳は犬の様に特別製で一五ヘルツから一三万ヘルツを聞き分ける事が出来るらしい――ならば別の質問だ。何故お前の指紋が一ノ瀬少年のボトルに付着している?」


 そう言うと男はヒョイと安藤少年の紙コップを取り上げた。いつの間に着けたのか手に白い手袋を着けている。そしてその瞬間教室の中がザワッとした気配に包まれた。だがそれは驚きと言うより安藤少年を非難する視線と溜息。それは即ち出された麦茶の中身を知っていた者がそれなりにいたと言う事になる。

 何故竜崎が『フグ毒』の話をわざわざしたのか事情を知る者なら理解出来る。クラスの男子一二人、女子一三人の合計二五人。その中でかなりの人数が知っていた証明だった。


 竜崎は紙コップを手に教壇に戻ると白い粉を取り出して安藤少年が掴んだ紙コップに振り掛けて見せる。その上からセロハンテープを貼り付けると生徒達に顔を向けた。


「――指紋採取は案外簡単でな? 化学鑑定ではアルミパウダーを使うが百均店のアイシャドウでも代用出来る。それでここにボトル側の指紋があるが――完全に一致した」


 子供達は一斉に黙り込んだ。まさか『指紋』を実際に採取して照合までするとは思っていなかったのだ。それに実際どうやって指紋を調べるのか方法までは知らない。

 静まり返った教室の中で竜崎阿久斗は全員を見回すと静かに口を開いた。


「――指紋は意図的に隠さない限り大抵残る。子供らしく扱って欲しければ子供らしくしておけ。大人の様に小賢しく薄汚い真似はするな。二度目は無い――そう思え」


 そう言うと男の視線が特定の生徒の上を移動していく。安藤少年の他に男子三人。彼らは目が合った途端俯いてしまう。それは男が犯人全てを既に特定している様にも見えた。


 そんな様子を見て教室最後尾扉前にある席に座ったままマモルは絶句していた。少年は何も言っていないし誰が犯人かすら知らない。なのに竜崎教諭は犯人を全て把握している。

 一体どうやったのか分からない。それ自体がとても信じられなかった。


 いや、それよりも――丁度男が紙コップを取り上げた時。生徒達の非難じみた視線が安藤少年に向いた瞬間竜崎の瞳が金色に輝いているのを見てしまった。昼下がりの教室で照明が明るい中だ。それに追求の最中で他の生徒達は俯くか安藤少年を見ていたから恐らくマモル以外には誰も気付いていない。二度目の目撃で少年の中に確信が生まれていた。


――凄い! やっぱり先生は……普通の人じゃ、ない――!


 そう考えた瞬間一ノ瀬マモルの背筋に震えが走った。今朝のニュースが脳裏をよぎる。

 人を超えた秘密結社、その名を『ストライク・ケイジ』。竜崎阿久斗はもしかしたらその一人、唯一の日本人構成員にして幹部と目されている『ドラグーン』かも知れない。そんな男が今この瞬間ここに居て自分を助けようとしてくれている――と。


 それは折れそうになっていた少年の心に奮い立つ炎と熱を灯した。

 だがそんな事は露知らず彼の担任は教室の空気をかき混ぜる様に声の調子を変える。


「――さて、俺が述べるべきは以上だ。ここからは諸君らの質問に答えるとしようか」


 その途端固まった教室の空気がフッと緩む。どうやらそれ以上犯人を責める気は無いらしく生徒達がそれぞれ息を吐き出す声が重なって聞こえてくる。

 クラスでも特に空気を読める少女達が気を取り直した様に明るく手を上げ始めた。色々と尋ねられて答える男の声を聞きながらマモル少年は感動に顔を歪めてずっと俯いていた。

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