スーパーにて

いちはじめ

スーパーにて

「ああ、こんなに遅くなって……。仕方ないわね」

 彼女は精肉作業室で、一人で数本の肉塊から部位ごとに肉片を切り分けているところだった。時間は既に夜中の零時を過ぎている。

「よかったわ、お父さんがたまたま出張で家を空けていて」

 彼女は先月からこのスーパーでパートとして働いていた。子供が大学に進学して自由になる時間ができたので、家計の足しにとパートに出ることにしたのだ。しかし彼女は、学生時代を含め外で働いた経験がなかった。そのため、なかなか仕事を覚えることができず、また職場にも馴染めずにいた。

 今日は閉店後に、その件で店長と面談を行ったばかりであった。

「今日は店長と面談できてよかったわ。言いたいことを言って、胸のつかえも取れてすっきりした。こんなことならもっと早くにしておくべきだったわ。ええ~と、ここはこんな切り方でよかったのかな」

 時折笑みを浮かべながら、不慣れな手つきで彼女は様々な部位を切断していった。切り分けられた肉片は、種類ごとにステンレストレーに入れられ、テーブルに並べられていった。

「これでいいわよね、残りは冷凍すれば。さて次はラッピングね」

 残った肉塊を冷凍庫まで引きずって運んだ彼女は、額の汗と顔についた血を拭い、手際よくラッピングを始めた。

「ラッピング間違ったことないのに、主任ったら雑だの、ラップを使い過ぎるだの、皆の前で私を怒鳴りつけて……」

 幾筋もの悔し涙が彼女の頬を伝い落ちた。

 作業を終えた彼女は、商品をカートに積み店内の精肉コーナーへと運んだ。

「最後はラベル貼り」

 彼女はハンドラベラーでラベル貼りをするのがことのほか不得手であった。ラベラーは取っ手のレバーを握るとラベルを押し出す仕組みになっているのだが、手が小さく握力の弱い彼女は、レバーを握ることと、ラベルを貼ることと、どちらか片方にしか意識が向かず、要領よくラベルを貼ることができなかった。つい先日はラベルの種類を間違え、貼替えやら何やらの後始末で、主任にひどく叱責されていた。

「私はこれが苦手だと知ってて、私に押しつけて……。ラベル間違いも最初から装填されていたんですもの、私のせいじゃないわ。誰がやったかだいたい察しはつくけど……」

 ぶつぶつとつぶやきながら彼女は、先ほど作ったパックに丁寧にラベルを貼り始めた。

「最初は私のロッカーに生ごみをぶちまけた雪さん。あなたの好きだった店長が私をかばうものだから嫉妬して……。ぶくぶく太って脂身だらけだから、ラードコーナーで決まり」

 ――ガチャ

彼女の他、誰もいない店内にラベラーの音が大きく響いた。

「次は和江さん。旦那さんとお子さんの学歴を鼻にかけて、いつも人を見下し馬鹿にして。ホント嫌な人、ガリガリだから鳥ガラだわ」

――ガチャ

「これは主任。ホントは店長に命令されてたのよね。サラリーマンってそんなものだけど、私はたまったもんじゃなかった。お酒飲まない人の肝臓は綺麗ね。ひひひひひ」

 ――ガチャ

「そして最後は店長。私をいつもかばってくれた優しい店長。この店で唯一私の味方だと思っていたのに……。でも私聞いちゃったの、裏の喫煙場所で佐伯さんが話しているのを。店長がいじめをけしかけているって。それは店長が味方のふりをして私に近づいて、私をものにするためだって。そして今日の夜遅くの面談。やっぱりその話は本当だった。何も知らなかったら私はそのまま……。本当に許せなかった。でも解決策を教えてくれたから高くしといて上げる。うふふふ」

 ――ガチャ

「さあ明日が楽しみ。店が開いたら、明るい声でお客さんを迎えるの。――いらっしゃいませ、本日はお肉の特売日です。昨夜解体したばかりの鮮度抜群のお肉をご用意しています――。おほほほほほ、あはははははは」

 けたたましい彼女の笑い声が深夜の店内に響き渡った。その時たまたま店の前を通った車のライトに照らされた彼女は、全身に返り血を浴び、視点の定まらぬ目を大きく見開き、人の口がそんなにも開くのかと思うほど真っ赤な口をあけ、そして手には生首をぶら下げていた。その額には『店長の頭部 \1000』と印字されたラベルが張られていた。

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スーパーにて いちはじめ @sub707inblue

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