第9話 〆切の無い執筆要請
「ごめんね、時間聞いておかなくて。」
「いいですってば。気にしないでください。」
衝撃の事実を伝えられた後は、注文したパスタを食べて、この日はお開きとなった。私たちは今、並んで住宅地の路地を歩いている。
因みに、パスタが思いがけず美味しすぎて、あまりの感動でその後は創作の話は進まなかった。
「やば。え、何これ。」
「凄い。噛みごたえがあってムチムチで味わい深い。」
「わかる。小麦が美味い。ソースの塩気も完璧。」
「それでいてフルーティー。もはや芸術。」
とか言いながら、夢中で食べて、余韻に浸りながらこの店に入った偶然に二人で感謝していた。
ら、私の最終バスが既に無くなってしまっていた。
まぬけか、私。
徒歩で帰ると伝えると、宮本さんは会計を済ませ、わざわざアパートまで送ると言い出した。
「良いですって。遅くなった時は、いつも歩いてますし。」
「いーから。なんかあったらアレだし。あんま明るくないじゃん、この辺。」
と、言って、ずんずんアパートの方面に歩き出すので、仕方なく私はその後を追った。
「なんかさぁ、ごめんね?」
と、暫く歩いた後に言われる。
「何がですか?」
「……なんか、俺あんまり、説明上手じゃないでしょ。」
見上げると、片手で頭をかいていた。
ひょっとして、話始めに不機嫌そうだったのは、自分の不甲斐なさに対してだったのだろうか。
「流石に申し訳ないなぁって。」
……申し訳ないと思うのそこなんだ……。
作家を脅して作品書かせる事には罪悪感は無いのだろうか。
「なに?」
「いや……気にしないで良いですよ。誰でも始めての時は難しいと思いますし。」
「敷島さんも?」
「私も、編集さんと新作の企画を立てる場では、すごく緊張しました。」
「この前の電話のひと?」
「そうです。」
「へぇー……ねぇ小説ってさ、どうやって出すの?」
出版までの段取りについて聞かれ、私はその流れをざっくりと説明した。企画、執筆、校正、印刷、等々。
「なるほどねぇー……。まぁ、当たり前だけど、作家1人の仕事じゃないんだね。なんか、あれだね。アプリとかの開発に似てる?」
「そうかも知れませんね。」
やや得意に感じながら話していたが、この事で、私は大切な事を思い出した。
「宮本さん、お伝えしておきたいのですが。」
「うん?」
一度立ち止まって、彼の方に向き直り、上方を見上げる。彼も立ち止まって、こちらを見下ろした。
「……私は、ゆくゆくは作家として食べて行きたいと思っています。今はまだ無理ですが……それが私の目標です。」
薄暗い中でも、彼の真剣な表情は見て取ることはできた。
「その……宮本さんに迷惑をかけてしまったのは事実なので、ちゃんと、宮本さんのお話を書き上げるつもりではいるのですが……。今後も、新しい作品を出させてもらえるみたいで……そちらは、出版社の都合上、明確な締め切りがあるので……宮本さんの望むペースでは……書けないかも……知れなくて……。」
話しているうちに湧いてきた不安で、私の言葉は尻すぼみになってしまった。
もしこれで、そんな事は知ったこっちゃない、なんて言われたらどうしよう。
立場を分かってるのか、とか。
だって、彼には私を気遣う理由がない。
もし私が彼の思うように書かなかったら?
IDを落とした事を、兼業である事を、それが本業に支障の出るものであると、会社に報告されたら……。
まだ私は、小説だけで生活を立てることはできないのに。
……やっぱり、次作の出版を遅らせてもらえるよう、綾瀬さんに……。
でも私はまだひよっこで、そんな融通が効くわけは……。
もし、そのせいで切られてしまったら……。
せっかく掴んだチャンスなのに。
でも、仕事がなくなったら、生活が……。
「じゃあさ、こうしようよ。」
ぐるぐる考えながら、いつのまにかうつむいてしまっていた私の頭の上から、声がした。
顔を上げると、覗き込んできた彼と視線が合う。
「俺の話を書くのは、俺と会ってる時だけでいいよ。」
「……え?」
会っている、時だけ?
「ええっ……?」
「いやだって、重要な事なんでしょ?そこまで敷島さんの時間取るのもどうかと思うし。他人の目標を邪魔する気もないし。まぁ俺は、最終的にちゃんと書いてくれれば、別にいつまででも良いから。」
いやいやいや。
あんた、小説一本書くのに、どんだけ時間がかかると思ってるん。
「そ、それだと、その、描きあがるのは物凄く先になっちゃいませんか……?」
もちろん彼が書いて欲しい話の長さにもよるが。
それに、そもそも一人きりじゃない時に執筆した経験なんかないぞ。
いやそれ以前に。
私と、そんなに頻繁に会うつもりなのか?
「いーよ別に。急ぐ意味も無いし。まぁ、暇な時に書いてくれれば。仕事が早く終わる日に、こーやって飯食いながらでも続ければ良いんじゃん?」
話は終わったとばかりに、歩き出す彼。呆然としていた私は、慌てて後を追う。
この人は、一体何がしたいのだろう。
人を悪魔みたいに追い詰めて脅してきたと思ったら、別にいつまででも良いなんて。
いやそれよりも。
書いて欲しいのがBLって……。
腐男子でも無いのに、まず書いて欲しいのがそれって……一体どう言う脈絡なんだ?
わからない。
宮本さんと言う人間がわからない。
納得のいかないまま歩き続けて、程なく私たちはアパート前に辿り着いた。
「あ、そうだ。」
パスタの代金、まとめて払ってもらったのだった。忘れなくてよかった。
「あー。いいいい。今日はいいから。」
バッグから財布を探り出し、紙幣を取り出そうとしていた私を、彼は手を振って制した。
「……ほら、この前、ちょっと怯えさせちゃった気がするから……そのお詫びってことで。」
頭をかきながら、ぼそぼそと彼は言った。
わからない。
やっぱりこの人、わからない。
「じゃ、また次の『会議』で。」
身を翻して、彼の姿は夜道に消えていく。
「なんなんだ、いったい……。」
彼の去った暗闇から、思わず、いくつかの星がきらめく夜空を見上げて、
それから私は頭を振って、アパートへと戻ったのだった。
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