少女と過去

 重い瞼を開ける。 自分の身に何があったかを考える。

 私はどこかよくわからない場所に倒れたことを思い出した。


「どこここ」


 少し起き上がる。 そこには、白いテーブルが一つ置いてあり、私の横には何か横長い縦状の板があった。 とても、簡素で必要最低限の家具しか置いていなかった。


『ぐぎゅるるるるる』


 大きなおなかの音が鳴った。 誰も聞いていないか周りを見る。 誰もいない、よかった。


「おっ、今のはデカかったな」

「ぎにゃぁぁ!!?」


 咄嗟にバックステップを踏んで杖を構えようとして杖がないことに気が付いた。 


「杖がない……」


 杖をどこにやったと目の前に立っている男に聞こうとしたところで、男が手に持っているものからいいにおいがすることに気が付いた。

 そのことに気づくともう一度大きくおなかが鳴った。


「ハハッ、いい腹の音じゃないか。 飯ができたぞ、食えよまずは」


 そう言ってテーブルの上に赤い麵のようなものを置いた。


「なにこれ」

「ん? ナポリタンを知らないのか?」


 男はなぜそんなことも知らないのかという顔で聞いてきた。


「この世界のものは大体が見るのも初めてだから」

「この世界?」


 今度は何言ってんだこいつといった表情でこちらを見ていた。


「あぁ、まだ紹介がまだだったね。 私は、マリシア=ノア、気軽にノアって呼んでね」

「俺は、丹内一郎。 サラリーマンだ」


 タナイイチロウ。 難しい発音をするものだと思う。 適当にイチローとでも呼べばいいかな。


「あぁ、もしかしたら勘違いしてるかもしれないけど、私は女だ。 この格好は趣味でやっている」


 ニコッと、イチローにそう言うと「女かよ!!」と叫んでいた。 初見で私を男か女かを見分けられないのは知っていたけど、男かと思われて部屋まで運び込まれたのは初めての出来事だった。


「困惑しているところ悪いけどいいかな、イチロー?」

「なんだよ、こっちは犯罪を犯したことに嘆いているんだよ」

「ふむ、そんなことがあるのか。 面倒だな、この世界は」


 そう考えているとイチローが手を挙げた。


「なぁ、さっきから言っているこの世界ってなんだよ。 まるで、こことは別の世界から来たみたいなこと言いやがって」

「実際そうだぞ、私はこことは別の世界から来た魔法使いだ」


 そう言うと、イチローは憐れむような眼をしてきた。 その目にイラっとして近くにあった棒の二つある一つを手に持った。


「お前に魔法を見せてやる! 『創造水玉ウォーターボール』」


 そう唱えると杖代わりにした棒からは一つの水玉が生まれた。


「は? はぁぁぁ!? 何だよこれ!?」


 これが、私――マリシア=ノアとイチロー出会いであり、イチローの運命を大きく変えてしまう分岐点であった。



 イチローが作ったナポリタンを食べ終えて、一息ついたところで何者かと聞かれた。


「私はこことは別の世界『魔法世界アルトラビリス』から来た異世界人。 私は、アルトラビリスでは『神秘の魔女』と呼ばれていた」


 そう言い始めて、この世界で言語をたまたま声をかけてきた男の記憶から覚えたことやこの服を買ってもらったことやこっちの世界でお金が使えず倒れてしまったことを話した。


「つまり、お前は俺を操ろうと思えば操れるのか?」

「無理。 操るには本人の承諾がいるし、本人が望まないことは本気で拒まれたらできないよ」


 ため息をつきながら基礎中の基礎を言った。


「そうか、それならここに住んでもいいぞ。 行く当てがなければだけどな」

「本当か!?」


 口ではそう言いながらも疑ってしまう。 どうしても、前いた世界が

ロクでもなかったからかつい疑ってしまう。

 一応とイチローの記憶を覗いた。 どうして、こんなにもお人よしなのかを見るために。



 目の前に小さい子供がいる。 一目見てイチローの小さいころだと分かった。

 何となく面影がある。


「ねぇねぇ、見てこれ!」

「すごいね」


 イチローの目の前にはきれいな女性が立っていた。 その女性は前かがみになってイチローが見せている生き物を見ていた。

 これは、イチローの初恋の過去。 そうわかるのは、イチローとのシンクロ率が高かったから、言語を知るために過去を見た男はノイズだらけでギリギリ分かるぐらいだった。


 場面が変わる。 少し大きくなったイチローが女性に何かを手渡しされた。

 それは、手紙だった。 手紙には『誰にでも優しい人でいてね』と丁寧にひらがなで書いてあった。 

 そして、その手紙を受け取った夜、母親からその女性が交通事故で亡くなったという話をイチローは聞いた。


「嘘だ! また明日って言ってくれたもん!」


 現実を認めないイチローを見続けながらイチローの過去は終わった。 つまり、イチローは、あの女性からの手紙に書いてある通りに誰でも優しい人になっているのだと思った。 それは、自らが背負い込んだ戒めであり、もう会えない相手との最後の約束を守るために。

 初めて誰かの過去を見て後悔した。 こんなにも悲しくなるなんて初めてだった。 見ないほうがよかった。

 同時にこいつなら、イチローなら気を許せるし、信頼できると分かってしまった。

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