アラサーと行き倒れ少女

狐火キュウ

 正義と行き倒れ

 大人が小さな子供に声をかける。 それだけで、犯罪臭がするのは何故だろう。 そんなことを考えながら、目の前で風船が木に引っかかって泣いている5歳ぐらいの少女を見ながら考えてしまった。

 今日は、会社を定時で帰ることができ、久しぶりに話さないかと上司であり幼馴染である人が声をかけてくれた。 だから、会社近くの公園で時間をつぶそうと考えているところでそれに出会った俺――丹内一郎はどうしたものかと、右往左往していた。


「イチロー君、そこにそのまま立ってると不審者みたいだよ」


 肩をたたかれ後ろを振り返ると水色のレディスーツを着た女性が立っていた。 


「あぁ、ユメ。 いや、どう声を掛けたらいいかがわからなくてな」

「ほんと、イチローは……」


 腰に両手を当てて頬を膨らませるユメ――西園ユメはそう言った。  俺は、頭を掻きながら困った顔になる。 いつもなら考えるより体が動くはずだけども、今日の朝見た、女児誘拐事件のニュースを見たからか考えてしまった。

 ユメは、少女に近づくと何かを話しかけた。

 少女は少し警戒したように体を強張らせたが、ユメがやさしく話しかけると泣き止んだようだった。 そして、ユメが話しながらこちらのほうを指さしているから俺がとるという話をしているのだろう。


「お待たせ。 でも、あれとれるの?」


 バスケットゴールほどの高さのある所に引っかかっているから、普通じゃ取れないだろう。


「大丈夫、大丈夫。 ちゃんと取れるから」


 風船が引っかかている木の真下まで来ると俺はその場にしゃがみこんで一気に跳んだ。 

 風船のひもを掴んだ。 風船は割れることなく地面に着地した。


「嬢ちゃんもう離すんじゃないぞ」

「うん!」


 そう頷くと少女は走ってどこかに行ってしまった。


「相変わらずすごいジャンプ力よね」


 後ろで一部始終を見ていたユメがそう言った。

 このジャンプ力が俺の唯一の誇れることだと思う。 ほんとにそれ以上に特筆するものがない。 それが俺だ。


 近くの喫茶店でコーヒーを飲んでいる時のことだ。


「で、話って海のことか?」

「それに関係することだけど違う」


 海とは西園海斗にしぞのかいと、ユメの夫で俺とユメの高校での友達だったやつだ。


「海に何かあったのか?」

「実は、会社を辞めて主婦になろうかなって」

「いいんじゃないか」


 元々、ユメは家で家事をしながら、子供の面倒を見ているからかなり負担があるはずだ。 だから、俺はいいんじゃないかと言った。

 でも、なぜそこまで悩むかわからない。 海はユメと子供を養えるほどの稼ぎがあるはずだから心配はいらないはずなのに。


「でもね、今楽しいんだ。 会社で仕事をすることが」

「そういうことか、楽しいからやめたくないっていうことか。 でもな、ユメ。 ずっと働いているもんだろ今は、だからさ、どこか休む場所がいるんじゃないのか?」


 そう俺はユメを諭すように言った。 そう言うと、ユメは苦笑いして「大丈夫だよ」と言った。 これは、いつもユメが嘘をつく時にする癖だけど、俺は気づかないふりをした。

 今のユメに何を言っても無理だとそう思ってしまった。 ユメは一度倒れるまでとことんやる人間だからそう思った。


「そうか、じゃあもし辞めることになったら一言言ってくれよ」

「そっちもね」


 そう言って俺とユメは別れた。 寂しそうにアイスのコーヒーの氷がカランとなった。



 「もう5月か~」と言ったユメの言葉が耳に残っていた。 明日は俺の誕生日、俺が30歳になる日。 昔、30まで童貞だと魔法使いになれると聞いて本気で信じたことがあった。 今思うと笑えてくる。


「結局、彼女もできなかったしな~」


 5月にしては熱い夕方の気温に汗を少し流しながら俺はそう呟いた。

 ネクタイを緩めながらユメと話したことを忘れようとしていた。 人の辞める、辞めないという話を聞いたときはすぐに忘れたい。

 家に帰るために電車に揺られ、落ちていたハンカチを交番に届けている間に時間は7時前になっていた。 いつも残業で10時前に帰ってくるのに比べると早い。

 久しぶりに自炊してご飯でも食べようかと考える。


♦︎


 家のアパート前のごみ収集場に人が倒れていた。

 ジャージ姿の見た感じ男子高校生だった。 変なことと言えば何故、ここに倒れているのか。 と思っていた。

 それでも、体は自然と動いていた。 少年を抱いて、自分の部屋に入っていった。


「5月とはいえ、あんなとこに倒れてたら風邪ひくだろ」


 こういう風に人助けをするから、『いい子ちゃん』だとか『偽善者』だとか高校と大学の時に陰で散々に言われていた。

 それでも特に何も思うことがなかったのは、あの時の『約束』があったからだと思っている。 あの『約束』がなかったら、こんなお人好しは出来上がっていない。

 あの『約束』がなかったら俺はこの行き倒れを助けることなんてしてない。 さらには、あの木に引っかかった風船を取ろうとなんて思うこともなかったと思う。

 これが、あの人と俺との繋がりだから今もこの『約束』を守り続けている。


「もう一度だけでいいから、あの人に会いたいなぁ」


 もう顔すら思い出すことのできないあの人を思う。

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