第28話 今はまだ


「駿くん」


 キッチンに逃げ込んだ俺の元へやってきたのは渦中の人物、美織だった。

 まるでキッチンに逃げ込んだ俺の逃げ場を断つが如く、キッチンの入り口の前までやってくる。


「どうした? 上はいいのか?」

「うん、なんだか樹と悠里と珍しいことに実菜ちゃんが盛り上がってるから抜け出してきちゃった」


 まるで飲み会を抜け出してきちゃったというようなシチュエーションなわけだが、どうにも俺は美織と二人になるとうまく会話の主導権を取れない。

 え、なに俺ってもしかして尻に敷かれるタイプなの?


「珍しい事もあるもんだな」

「それに、駿くんに聞きたい事もあったの」

「聞きたい事?」

「今日、私たち三人がくるまで実菜ちゃんと二人だったわけだけど、どうだったのかなって?」

「どうもこうもなかったっていうのが回答かな」

「じゃあさ、今の駿くんの心の中に実菜ちゃんはもういないの?」


 ……難しいことを聞いてくるもんだ。


 答えあぐねていたものの、それでも美織は答えを急かしたり、何か自分からこちらへ語りかけようとする意思のようなものは感じられない。あくまで俺の答えを真剣に待っている様子だった。


「少なからず今はまだどこかに実菜はいると思う」


 精一杯の答えだった。

 それでも、嘘偽りなく今出せる俺だけの答えだ。


 今日一日を通して歩いた道であの頃を思い出すといった事もあり、まだ自分の中で彼女と歩んできた時間を未だ回顧することがある。

 そして、それによって感情を動かす事も、いつかそれが自分の中で思い出に変わるまで、俺の中に実菜がいるのだと思う。


「そっか、変に駿くんが私にも自分にも嘘をついてなさそうで安心した!」

「そうか、それなら期待に応えられたようでよかったよ」


 周りから見ても、俺の出した答えが嘘に感じられないくらいには実菜に対する何らかの気持ちは残っているように見えていたんだろう。


「でもね、別に駿くんの答えがどうであったとしても私はその答えって正直どうでもいいんだ」

「じゃあ、何で聞いたんだよ」

「それはね、別に駿くんに気持ちがあろうがなかろうが塗り替えちゃえばいいと思ったからだよ」

「——え⁉」

「今は秘密」


 そういって美織は二階へと先に戻っていった。

 本当に嵐のようなやつだ。


 美織自身が何を言わんとしているのかはわかっているつもりだ。そこまで俺も鈍くない。

 

「はぁ、ほんと、難しいな色々……」


 心から漏れ出した呟きだった。


 二階に戻ると案の定悠里と樹は盛りに盛り上がっていて、いつの間にかその輪の中から実菜が外れる形で美織と軽い談笑を行なっていた。


 そこに張り詰めたような緊張感はなくどちらかというと和やかで見ているこちら側も安心するような光景で助かる。


「ごめんね、飲み物とか」

「今日は座っとけよ、主役なんだから」

「あい、ありがと」

「あざす」

「お前は動け」

「厳しい……」


 本当にこいつは……。


 とか言いながらもきっちりと人数分の飲み物を揃えそれぞれに手渡し、各々また先ほどと同じように好きな時間を過ごす。


 つい最近までは崩れかけていたこの世界が、少しずつ戻りかけていることに安心を覚える。

 そう、安心を覚えているはずなのに俺の心の中はどこか落ち着かなかった。


 世の多々ある恋愛作品の主人公は、変わりゆく関係に対し変化を怖がっている様子を見せているが、いまなら彼ら彼女らがどうしてそれに悩んでいたのかしっかりと分かる気がする。


 でも、それはきっと俺だけじゃない俺に気持ちを伝えてくれた悠里や椎名だってそれがわかってて行動をした。なら俺もしっかりと落ち着かない自分を落ち着けるための行動や思考を重ねる必要があるんだろうな。


 自分もしていたはずなのに今になって再度認識させられる。

 本当に恋愛ってものは難しい……。

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