第23話 花火の間隙を縫って

「変わってないね、ここからの景色も“駿”も」


 周りから音が聞こえないせいか、やけにはっきりと椎名の声が届いた。

 椎名の言葉に込められた“変わらない”という言葉の意味が、正直良い意味ではないことだけはニュアンスから感じ取れた。


 だけど、それが一体どういう意味の“変わらない”なのか、その言葉からは汲み取ることができなかった。


 ただ、それが椎名のいう俺の楽しんでいないということと繋がっているのははっきりとわかる。


「変わっていない……か、でもそう簡単に変わるものでもないんじゃないか?」

「ううん、そりゃあ変わったよ私も駿も。だけどね、大事な部分が駿は変わっていない」

「それって悪いことなのか?」

「悪いわけじゃない、だけど良いことでもないんだよ……少なくとも私にとっては」


 変わっていない部分。それがなんなのかまだいまいちピンとこない。だけど、それが今日一日椎名が俺に感じていたことの全てなのだろう。


「駿は今日、私と一緒にお祭りを回ることができて楽しかった? 私はね楽しかったよ」

「当たり前だろ、楽しかったよ」

「ありがとう。それはね私もわかってるんだよ」

「うん……?」


 なんだろう。余計に頭の中がごちゃごちゃになってきた。

 楽しいことは伝わっているのに、楽しんでいないように感じる。その矛盾のようなものはなんなのだろう。


「私はさ、今日お祭りにくるまで、どんな浴衣にしようかなとかどんな色だったら駿を驚かすことができるかな……とか今日一日の私を見て欲しくて色々考えてた。でもね、今日駿が見ていたのは私であって私じゃないってことが分かっちゃった」

「いやいや、椎名のことをしっかり見てたよ」

「うん。そうだね、駿は私を見ながらずっと“昔”の私のことを見てた」

「————!?」


 椎名の言葉に否定の言葉を返すことができなかった。


「もちろん駿はさ、それを表に出してたわけじゃない。だけどさ、うっすらと分かっちゃうんだよ」


 椎名がこれから続けて出る言葉はきっと事実なのだろう。そんな確信めいたものが俺にはあった。


「駿は今日、“今”の私とお祭りに来て楽しんでいたんじゃない。六年前に来ることのできなかった“過去”の私と一緒にお祭りを楽しんでいたんだろうなって」


 言いたいことを言えたのか少しだけホッとしたような表情を浮かべる。

 思えば今日一日俺は、過去の椎名と今の椎名を思い浮かべていてばかりだった。


 わたあめのことだってそうだ。あの頃の椎名が好きだったもので、今の椎名のことを思って聞いたわけじゃない。


 どこか椎名がいなくなるかもしれないといった不安も、あの頃の脆さを抱えた椎名も、全部今の椎名に感じていたものというよりあの頃の椎名とどこか重ね合わせて今の椎名のことを見ていた。


 だからなのかもしれない。椎名から見た俺は楽しそうに見えなかったのは。

 椎名から見れば楽しんでいる相手が違うのだから、どこか寂しく感じたのかもしれないし俺が楽しいだけでなく、どこか不安を感じていたのを感じ取っていたのだろう。


 それが椎名にとっては面白くないのも当たり前だろう。

 だってそれは全部過去の椎名に感じているものだ。今の椎名とは全く関係ない。

 俺は椎名を見ているようで椎名を見ていなかったと言われてもしょうがないのだ。


 ようやく俺の中で、すべてのことが繋がった。

 見透かされていたんだな。


「ごめん。今になってようやく椎名の言っていたことが分かったよ」

「……うん。でもねわたしもごめんなんだよ」

「いや、椎名は悪くない」

「ううん。私がさ駿の前から急にいなくなって、急にまた戻って来てさ駿も色々追いついていないんだよね。なのに私が勝手に怒ってさ、ほんと私も勝手だよね」

「そんなことはない!」


 思わず椎名の肩を掴んでしまう。

 それで分かった、あの頃の小さな椎名はそこにはいない。


 あの頃は変わらなかった身長も体格も、今はこんなにも違う。同じように感じていた肩は、今はこんなにも小さい。

 頭では分かっていた。理解はしていた。

 それでも無自覚のうちに俺は昔の椎名と重ね合わせて接していたのかもしれない。


「だからさ、今からは、この瞬間からはさ私のことを昔の私としてじゃなく今の、十七歳の茅原椎名として見てほしい」

「わかった」


 小さく頷いて了承の意を示す。

 それを見て椎名も納得したようにコクンと一つ頷いた。


「改めてよろしくね、駿」

「よろしくな、椎名」


 まるで見計らったかのように、バンッ! と夜空を彩る花火が打ち上がる。

 花火の音とともに体の芯に響くような衝撃のようなものを感じる。


 それ見てか、トントンと骨に響くような衝撃を真横から喰らう。


 犯人は明白で、おおよそ久しぶりに見たこの七夕祭りの花火に感動やら興奮した椎名が俺にその気持ちを共有したくて思わず叩いているのだろう。


「どうした椎名————」


 花火から視線を椎名に移す。

 するとすぐ目の前に椎名の顔があって、視線と視線が重なり合う。


 花火の光で綺麗に映った椎名の頬には少しばかりの赤みを含んでいて、それが花火の明かりのせいなのかわからなかった。

 その次の瞬間、目の前にあったはずの椎名との距離が一気になくなって、花火とは全く別物の衝撃が俺にやって来る。


 遠くから響いて来る花火の音がどこか蚊帳の外のように感じる。


 ————刹那の出来事だった。


 椎名の目は瞑られていて、そしてその椎名の唇は俺の唇と重なり合っている。


 瞬きをしたら元の位置に椎名がいて、まるで夏が見せた一瞬の幻のような出来事で、事態を把握するのに時間がかかる。


「あはは、なかなかに緊張するね」

「おまっ——なにしてっ!」


 先ほどよりも頬を赤らめた椎名の顔を見て、それが幻でもなんでもないことを知る。

 それは現実の出来事、椎名と俺がキスをした。


 それに気づいた瞬間心臓は張り裂けそうなくらいにバクバクと音を鳴らしていて、花火に集中なんてできっこなかった。

 ふと花火の合間を縫って椎名の方へ視線を向けると椎名も同じくこちらを見ていたようで思わず目があう。


「目、合っちゃった」


 椎名から視線を逸らすことができなくなってしまったかのように、視線がそちらに吸い込まれていく。

 なぜか椎名はそんな俺から視線を外すことはしなかった。

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