第4話 本番前の楽しさ
夏の暑さが少しずつ翳りのようなものを見せはじめた七月下旬、その金曜に俺らは最後の練習をこなす。
最初こそ忘れていた地面を走るという感覚も、現役の頃とまではいかないものの八割は取り戻せたんじゃないだろうか。
「よーし! これで最後!」
悠里の号令で最後のバトンを繋ぐ。
各々その後に部活動が控えているので、本当にこれがラスイチ。それだけにそれぞれ真剣な表情を見せる。
別に高校の体育祭だ、二位でも三位でも実際のところ何かが変わるわけじゃない。だけど、そんな行事でも、こうも負けることが嫌いなメンバーが揃うとなかなかに面白い。
こういうのは、一人でもなあなあでやろうとするとチーム全体の士気のようなものが下がる。だからこそ今回のこのメンバーはある意味ベストだった。
最後のコーナーを抜けた亘理くんはそのままスピードを落とすことなくゴールのラインを越えた。悠里が測っていたストップウォッチには俺らのここ数回の練習でのベストタイムが刻まれていた。
「ベストタイムだよ!! みんな!!」
ぴょんぴょんとその場を飛び跳ね歓喜の舞を見せる。その姿にウサギを重ねてしまったことは悠里には秘密だ。
「おーおーなんだかすげえな」
悠里とは対照的にあまり感情に起伏のない正樹。
口と表情こそ冷静さを保っているものの、それらとは裏腹に彼の右手には力が入っているのか強く握られている。こういう時の正樹は大体感極まっている。
これは長年の付き合いだからこそわかるが、他の二人にとっては少しクールに映っているのかもしれない。
「おい正樹——」
「とかいっちゃって〜〜! 正樹も感極まってるんでしょ!! 態度に出てるよ!!」
俺の茶化しよりも悠里の茶化しの方が少しばかり早かった。
「(なんだ、こいつらもわかってくれてるんだ……)」
ふと、亘理くんを見てみても悠里と似たように、隠しきれない笑みを浮かべていて、やっぱり俺らは相性がいいのかもしれないと思った。
イベント事は、準備の時間が一番楽しいと誰かが言った。
すごく淡白にも聞こえる言葉で、「じゃあ本番は楽しくないのか?」と疑問符をつけてしまいたくなるけれど、実際にその立場になってみればよくわかる。
今回の体育祭でいうのであれば悩みを共有する時間、それに向かって試行錯誤する時間。そのどれもがやはりかけがえのない時間なのだと言えるし、それが本番、結果として繋がるのであればやはりその過程に意味があったのだと言える。
夕方、みんなが部活を終えた後、グループ通話をしながら練習の時のことや、本番に向かう前の不安を語り合う。だけど最後には「なんとかなるさっ!」と悠里が言う。その言葉には何の根拠もないのに「確かに!」と思えてしまう祭りの前の盛り上がり。何気ないことがとても楽しく感じてしまう。
本番前の心安らぐ時間だからこそ、本番というのはさらに緊張する。
ただ本番を迎えるということは、それと同時に終わりも迎えてしまうことになる。
つまるところ、本番というのはそれだけ終わりを考えてしまうからこそ、余裕のある準備の時間を楽しく感じてしまうのではないかとか考えてしまう。
「はぁ〜〜〜〜」
浴槽に浸かりながら、明日の本番について思いを馳せる。
それと同時に、先日決めた自分の答えを思い浮かべる。
悠里に対する回答は体育祭後にしようと決めていた。それは体育祭というイベントに今は集中して欲しいから。彼女にとっても俺にとってもこの二年の体育祭は二度はやってこないイベントだ。だからこそ雑念のようなものを持って欲しくなかった。
胸がドクンドクンと緊張を訴える。
これが体育祭に対してのものなのか、悠里に気持ちを告げることに対するものなのかハッキリと断言することができない。
それともその両方に対するものなのか……。
「わっかんね」
だけどハッキリ言えることは、心の中の靄が晴れたかのようにスッキリとしているということ。
「みんなこんな風に付き合ったり別れたり、振られたり振ったりしてきたんだな」
今更ながら自分がこんな状況にいるということがとんでもないことに思えてくる。
「青春……してるんだな」
そうして、体育祭前日の夜は更けていく。
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