第18話 実菜サイド 搾り出した二文字


 それ以降彼とは顔を合わせば少しは言葉を交わすくらいには仲も良くなってきた。


 元々緊張しいな私が男子と一対一で会話できるようになったのだから大きな進歩だと思う。それもこれもあの日の出来事がきっかけになって今がある。


 今でもあの日の駿の姿が思い浮かぶ。


 あの駆け抜けるスピード感、飛び散る砂の輝き、そういったものがまぶたの裏に焼きついている。


 そんな衝撃的な出会いがあったのだから今ではもう駿に対する緊張感のようなものはドキドキで上書きされていた。今日はどんな話をしよう、逆にどんな話をしてくれるのだろうか。それらを考えるたびに恋する乙女の表情を浮かべていたに違いない。


「今週、部活動の大会なんだよね」


 六月に入り最初の週だった。

 最近では日課のようになっていた駿との会話でのことだった。


「見に行きたい。駿もでるの?」

「うん。記録会だから全員出るよ」

「応援に行きたい!」

「本当? 来てくれたら嬉しい」

「行くっ!」


 今では考えられないほどの恋する表情で彼の応援に行きたいと応えた。

 駿も駿でまんざらでもなさそうに頬を掻きつつ「ありがと」と返す。

 そんな調子で今週末の予定が決まる。


「ねえ、駿は何時に出るの?」

「えっと、一応午後の二時からある。だけど番号順での試技になるからその時間から跳ぶわけじゃないから余裕持ってきてもらえれば」

「わかったわ!」

「楽しみにしてる」


 それから大会の日まで駿の練習風景を見に行くことはしなかった。

 なんていうかもったいないって思ったのが一番の理由だろうか。毎日見ていても飽きないけれどそれでも楽しみに取っておきたかったからこの残り二日間はその成長を楽しみに待つことに決めた。




 そして当日、待ちに待った日、運動競技場に向かうべくバスに乗る。


 初めて私服で彼の前に出ることを考えて変じゃないかとかで色々悩んだりという漫画のヒロインのようなことを自分がやる日が来るとは思ってもみなかった。

 それでも、そんな自分が少しだけ輝いているように見えて嫌じゃない。着る服をうんうん言いながら悩んで、これだと決めた服にどういう反応をされるのか。可愛いと思われるのか、意識してもらえるのか。その反応が楽しみでならない。


 競技場に着いたとき、市内の高校だけじゃなく離れたところにある高校からも選手がきていて驚いた。結構大きめな運動公園で多くの人がアップのため、ジョギングをしていた。


「こんな風になっていたのね」


 外から見ることはあったけど実際にここまで入ってきたのは初めてだ。


 トラックはレンガブロックのような色をしていてあんなところで走るのか、と思わされる。

 ……と思っていた時だ、目の前を通り過ぎる集団の中に駿の姿があった。


 ここで声をかけるのはよくないと思い、その集団を追いかけるように観客用の道を進む。


「あっ」


 その時歩いている駿と目があった気がする。すると彼もやっぱり気づいていたのか私の方を見て向かっている先を指差す。

 そこで初めて指差した場所が競技の待機所なんだと理解した。

 私は歩むスピードを上げて、待機所の裏まで歩いていく。


「来てくれてありがとう」

「うん、いいの」

「服、似合ってる」

「……ありがと」


 内心舞い上がっていたことを何とか表に出さずになんとか笑顔だけで済ます。ガッツポーズは心の中だけで挙げることにした。

 彼の試技が始まる前少しだけいつものように会話をし心の中でエールを送る。

 プレッシャーにならないように、心の中だけで……。

 そんな時だった。

 私はもう行っちゃうんだななんて寂しさのようなものを感じていたが突如、去りかけた駿が近くに寄ってきて――。


「行ってくる」


 そう呟いて走っていく。

 顔がぼぅっと熱くなった。


 練習よりも少しだけ遠い場所から駿の跳躍を見る。

 だけど、少し離れているからこそ彼のその動きなどをしっかりと見える。


 彼がピットに立つと私の中での緊張具合がバッと跳ね上がり、自分がやるわけでもないのに心臓がバクバクと脈打つそんな緊張感の中彼の胸が大きく膨らみ、そして溜め込んだ空気を一瞬で吐き出した。


「(来るっ!)」


 彼は、ポンポンッとリズムよく助走をつけ始めスピードに乗る。その助走のまま踏み切り板の前までやってきてトントーンとステップを踏んで跳ね上がる。夕陽は差していないけれどあの初めて会った時のあの顔で彼の体が宙をかける。重力に反発して舞い上がった体を引き戻すかのように体は次第に砂へと向かって――ザバッと砂を舞い上げる。


 記録は五メートル三十センチ。正直陸上の知識なんか無いやつが見てもそれがすごいのかどうなのかも分からない。

 だけど、この胸の高まりのようなものだけは確かで、確かに今私は彼のその姿にときめいている。


 やっぱりこの感情は間違いじゃない。

 私は彼に、彼の跳んでいる姿に、恋をしているのだと。

 はっきりと理解した。


「見てた?」


 体中に砂をつけて戻ってくる駿に「すごかったよ!」と声をかける。

 それだけ言うと照れたように顔を少しだけ赤くして「ありがと」とベンチに戻った。

 あとそれを五回ほど繰り返し、駿にとっての記録会が終わる。


「待たせたかな?」

「ううん、待ってないわよ」

「そっか、ごめんね」

「いいの」


 すっかり時間は経ち、もうそろそろ夕方くらいなのだとお知らせする。


「一緒に帰る?」

「え、迎えはいいの?」


 純粋に驚いたけれど彼は頬を掻きながら「うん」と応えた。


「迎えが必要なら連絡するって伝えといたから」

「そうなんだ」


 今日はスニーカーにして置いてよかったと心から思う。


「それなら……うん。帰る……」


 恥ずかしさから俯いてしまう。

 それでもそんな私に対して笑いかけて「行こう!」と手を引いてくれる。だけどそんな彼の行動に報いるように私の方からも少しだけ働きかける。


 ぎゅっと引かれた手に指を絡ませる。


 それに反応を見せないけれど少しだけ頬が赤くなったのを見逃さなかった。それに私の指をしっかりと握り返してくれる。



 こんな時間が永遠に続けばいいのに、なんていったらイタイかな。それでもいい、本当にそう思っているから……。

 だけどそんな幸せな時間も長くは続かない。


「もう、そこだから」


 三十分ほどの時間もあっというま。


「あのさ……」

「ん……?」


 絡ませた指を少しだけ強く握る。


「俺と、付き合ってほしい」


 突然の告白に心臓が飛び跳ねる。



 バクバク、ドクドクン――。

 バクバク、ドクドクン――。



 心臓が落ち着いてくれない。

 だけど、彼の気持ちに対して応えなきゃ。答えなんて決まってる。


「私もす……す……」


 “好き”の二文字が出てこない。

 どれだけ頑張ればそんなにスマートに言えるの?


 だけど、彼だって恥ずかしさや照れ、緊張だってあるだろう。だからこそ彼の気持ちにしっかりと応えないと。

 信号が二回変わる。未だに答えが伝えられない。


 駄目……言わないと……。


「私もす……す……、好き……」


 しぼり出した“好き”の二文字、私の気持ちがしっかり伝わったのか彼も顔を真っ赤にして、「うん」と応えた。

 私は好きな人と晴れて恋人になることができた。





 ――――彼の集中するときの音を聞いて、そんな昔のことを思い出してしまう。

 

 そんな二人の気持ちも今はすれ違って、今の私達にあの頃の絆はない。

 どこで間違えちゃったのだろうか……。

 応えは分かってる。私のせいだ。

 なんでもっとしっかりと話し合わなかったのだろう。


 なんで、私は…………。消えない後悔が私をむしばむ。

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