実作8) 読後感の演出と過不足

物語の最後一行は、書き出しの最初一行に匹敵するほど大事だと考える。

長らく読み進めてきた物語がコト切れる瞬間。

遺言のような重さもあり、

それでいて透明な空気そのもの、読後の余韻へつながる文字列だからだ。


だが残念ながらここにおいてこれまで以上、具体的に記すことは難しい。

なぜなら辿って来たはずの物語は多種多様で、

終わり方の法則などあってないようなものだ、と感じるからだ。

なので今回は、オイラの物語の中でのシメ文を例として挙げておくことにする。


その一、呼びかけ。

明日へ向かって。のように、読者へ投げて終わるカタチ。すがすがしいラストが似合いやすいと感じている。


その二。断定形。

○○だった。のように、英文でいう所の過去完了形。語られた時すでに終了している、という完全完結。一ミリも疑う余地なき事実としてバッサリ切り落とす非情のカタチ。


その三。推定。

○○らしい。のように、曖昧さを残す。事実は謎だといわんばかり含みを持たせて終わる、いやらしいカタチ。


その四。否定形。

○○ではない。のように、ある一つの可能性だけを明らかに否定して終わる、後は知らん、な非情のカタチパート2。


その五。描写。

○○は笑った。のように、脳内へ映像を焼き付け終わるカタチ。これが一番、無難でなんにでもあてはまりやりやすいのではないかと感じている。


その六。隠喩的な描写。

○○は笑った。その時、遠くでカモメが鳴いた。のように、かけ離れたものを掛け合わせて脳内映像へ深みを持たせるカタチ。バリエーション豊富で複雑な後味が残せる。


その七。こだわらない。

そこで終わるの? というぐらい唐突、普通に切ってしまうカタチ。どんなことが起きていても、大したことがなかったかのようにおさまる、と感じている。


とりあえず思い出せたのはこのあたり。

ひとつ、ないし合わせ技など、どれを採用するかはそれまでの流れと密接に関係しているので雰囲気で決める、としか言いようがない。

書いていれば自ずと絞られてくる。


ただ、あえてひとつ、辛うじて言うことができるとするなら

最後ほど真面目に全て拾って丁寧にしめるとくどく、蛇足となりやすいことか。

ときおり直面する、さっと終わればキレイなのに、のアレだ。

恐らく結末こそ、読者の脳内で完成、妄想させた方が満足度は高まるのではないか、と考える。妄想のバトンタッチ、作者から読者へ橋渡しをする箇所が最後数行ではないかと感じている。

ゆえに作者としては自己主張控え目で、意識的には淡泊なくらいを目安にしていることは確かだ。


万が一、どこで終わればいいのか分からなくなった、

終わり方が判然としない場合については、

終わりどころを探すよりもおそらく

クライマックスが曖昧、弱い可能性を探った方がいいはずだと考える。

クライマックスからの落差が足りないと、話はまとまりにくいためである。

開いていないので、閉じようもないのである。

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