手作業

実作1) 書き出しと印象づけ

これまでの全てを頭の中に格納。

イメージを絶やすことなく気持ちをしっかり持って、

いざ連載第一回目から執筆開始。


この書き出し、最初数行、越えたら後のひと塊がこれまた大事。

読者がこの先、読むか読まないかを決める場所であり、

特に最初の数行は、

そういう意味では一番読まれる場所となるからだ。

(プレッシャーに負けてオイラはド下手くそだけれど)


悲し、悔しいながらもその範囲で判断するのが読者というもので、

これらを承知したなら、

冒頭で「これはどんな物語であり」「これから何が始まるのか」、

示しておかなければならないことはすぐにも分かる。

しくじればつまんなそう、

と結論付けられてしまうアレ、の分かれ目が冒頭である。


だからしてじっくり、ましてや説明口調で書いている場合ではない。

出し惜しみなく入った方がいいとオイラは考える。


なぜじっくりが敗因となるのか。

理由は、せっかく読み始めたというのに物語の中の「リアルタイム」が進まないせいだと、登場人物がまるきり動いていないせいだと気付きたい。

いや、そりゃ退屈だろう。

始まって早々、静止画続く映画なんてあるのか。だいたい冒頭30分はどの映画も色んな意味で「派手」で、観客を一気に物語の世界へ引き込むよう、もったいぶることなくトップスピードの展開で作られている。


そして怒涛のうちにも説明されている物語の基本部分はまさに

「あらすじのミニチュア版」で、

状況を把握できた観客は残りに集中できるようになる、

というわけだ。


ということで書き出しこそ血圧高めのアクセル全開。

ガッと本題へ。

もうみなさん説明せずともご存じの通りのこの人物、この設定、

くらいの強引さで動かして、合間に注釈として地文を挟み込むスタイルくらいがちょうどいいと感じてる。

(そのためには誰より書く自身が、場面を把握できていなければならないのだけれど)


また「あらすじのミニチュア版」ということで、

あらすじよりさらに情報を絞り込んでゆかなければならないわけで、

全てを書けないなら果たしてどの要素をピックするかも勝負所となるだろう。

これはどう見せたいかにも通ずるので、今一度、吟味しなおすことは、

続く物語のポイントをなお鮮明にしてゆくものだと感じている。


同時にオイラはここで掴んだポイントを意識し続けることで、

路頭に迷うことなく物語の一貫性を保っている。

つまり始まりは終わりにも通ずることとなり、

物語を書き切る条件のひとつに、始まった瞬間に終わりが見えていなければならないというものが含まれている、とオイラは感じている。

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