エピソード一〇 三十代頭から

 インターネットで知り合った女性と結婚を前提に十年くらいお付き合いした。結婚したかったけど踏み切れなかった。彼女には感謝している。いっときでも夢を見せてもらったし。北海道に旅行へ行ったりしたなあ。噂には聞いていたが、北海道の回転寿司は新鮮で安くて、ネタも大きく、普段は水っぽいウニですら妙にうまかったのを覚えている。うますぎで食べ過ぎで吐きそうになった。旅行先の北海道でうかつにも風邪を引いて熱を出して寝込んだし、猛烈な下痢で苦しんで彼女に情けない姿を晒した。めっちゃ恥ずかしかったが、この件で見限られた訳ではなかったようだ。振られた直接の原因は、無職になった事と彼女の就職先が決まったが、その不一致だったし。いや、よく考えるとこういう情けない姿も幻滅させる一因になったのかもしれない。よりによって彼女の親族の前で風邪っぴきだったしな。

 この辺で順不同で仕事について書こうと思う。守秘義務もあるが書いて駄目そうなのは校正で削る方向で行こう。

 横浜駅西口に事務所がある警備員の事業所だった。イベントの警備はやった記憶がない。訓練は受けたけど。パチンコ屋の常駐警備と工事現場をひと夏横浜市内を縦横に移動しながら警備した。ああそうだ、いわゆるサラ金に襲撃が続いた関係で、関西に派遣された事もあった。サウナかスーパー銭湯で雑魚寝して朝から晩まで立哨りつしよう(兵などが一定の場所に立って警戒・監視する任にあたること。また、その兵)するという、いるだけために横浜からわざわざ派遣されたのには苦笑。実際のところ警備業法の関係でほとんど何もできないのだけど。

 ついでだからと神戸で、ネットの知り合いとお酒飲んで騒いだり「神戸在住こうべざいじゆう」(木村紺作、講談社の漫画本のタイトル。神戸在住の女子大生が主人公という実話風の漫画で阪神・淡路大震災を作中で振り返ったりした。映画にもなっている)の舞台を訪ね、神戸元町や三宮駅下のガードを目的もなくブラブラしてきた。

 阪神・淡路大震災の大火災が起きた神戸の長田地区も散歩ついでにぶらついてきた。妙にきれいな町並みになっていた。それもそのはず、震災後に大規模な再開発が行われたからだ。

 途中にあった喫茶店(神戸は喫茶店がやたら多かったし、令和の今でも多いらしいと聞いている)でコーヒーを飲み、阪神淡路大震災の特集ムックを眺めていたら、不意にものすごい悲しみになってしまい、涙が止まらなくなってしまった。俺には関西の親戚などいないのにも関わらずだ。

 恥ずかしかったが声をかみころしつつ泣いていた。コーヒーは特に苦かった。震災のテレビ中継の現場へ、何年かして復興してからやってきたというのもあって、なんというか映像の中へ入り込んだ不思議な感覚をおぼえたものだった。

 パソコンサポートデスク(パソコンがわからない時に電話をかけるサービス業の事)は派遣会社経由で行った。横浜から都内の現場までがやたら遠かったのと、名前を間違えると烈火のごとく怒り狂うめんどうくさい人が内勤にいて、すぐに辞めてしまった。仕事そのものは楽しかったけど、よく考えるまでもなく守秘義務の関係で内容を一切かけない。

 XコーポレーションはITの人材派遣の会社だ。人足商売は警備業で体験していたので、その延長だったがスキルも特にない俺でも、某銀行に派遣されるとか、関西のドコモショップに派遣されるとか、正直大丈夫か?と思ってしまったが、マニュアルと指揮系統がまともな仕事(ただし関わっている人間がまともかどうかはわからない)なので、スーツさえ着ていれば、どんな人材でも仕事になるという現場を味わった。警備業の時より人間扱いされてない気持ちになったので、辞めてしまったが、IT土方(一見華やかそうな情報技術の現場だけど、実際には人足商売になっており、土建の現場とさして変わらない事を揶揄した業界用語。蔑称なので他者に対しては使えない)という言葉を連想させる仕事ではあった。プログラムの一行も書かなかったけど。

 他にP社の孫受けか下請けでクレジットカード決算の端末を設置する業務を請け負った事もある。社員扱いじゃない、めちゃくちゃ大変な割に、売上は移動交通費で消えていく、ルートは厳しいし、夜の商売相手だしと散々だった。都内のあちこちに行けただけという、プラスの面がまったくなかった仕事だった。楽できる時はとことん楽だった記憶もあるけど。

 高校時代の同窓生の花山が電気工事の仕事をしてるから手伝えと誘われたこともあった。電気工事士の免許がないのでいわゆる手元という手伝いの雑人夫としてだ。大型マンションの工事現場は、朝の朝礼から安全衛生教育、上履きを用意して土足厳禁と、学校みたいで楽しかった。やれる事が少なかったけど。

 インターネットで知り合った小高さんの電気工事も、手元として手伝った記憶があるけど、具体的にどうだったかは忘れてしまった。記憶してないので特に印象に残らなかったのだろう。

 結構仕事を転々としてる割には、記憶が曖昧だというか、職歴としても中途半端だなと、書いていて悲しくなってくる。パソコンが使える(エクセル・ワードはよくわかってない)だけのネット弁慶に何ができると言うのだって感じだ。

 仕事関係の話を続ける。井土ヶ谷にある南郵便局は通勤時間がかからない、食費も帰宅して、昼飯を継母の実家で食べられるというとてもいい肉体労働だった。ノルマへのプレッシャーというメンタル方面もそれなりにキツかったけど。結局辞めてしまったが、オバケのような体力を持っていれば、もっと長続きしたのではないかなと思った。配達は南区のハズレ方面の坂道をぐるっと一周するというルートで、インフルエンザで肺に穴が開かなければ、もうちょっと続けてもよかったと思っている。

 肺に穴があいた顛末は以下だ。郵便配達のバイトの最中にインフルエンザになり、くしゃみしたら胸が猛烈に痛い。タバコの吸いすぎで肺が弱くなっていた所へ、くしゃみで肺に穴が空いてしまい、気管支と変に癒着してしまったのを後日レントゲンで確認して、仕事をやめる事にした。そんな感じである。そうそう、この一件でめでたく禁煙できたのだった。タバコの吸いすぎで肺嚢胞はいのうほうからインフルエンザでくしゃみをして、肺気胸はいききようで肺に穴があいた。このコンボが華麗に決まり、無事禁煙への準備ができたのである。それまでニコチンガムで禁煙を試みたが失敗した俺は、今度はニコチンパッチで禁煙に成功したのだ。これはめでたかった。十五年の喫煙生活からお別れだ。

 人足商売へ戻ったのもこの頃だった。横浜は港町なので人足商売には困らないらしい、仕事を選ばなければ。何箇所か派遣で倉庫のピッキングを経て、大黒埠頭にある国際流通センターという巨大な貸し倉庫棟があるのだが、そこで自動車の輸入ガラスを取り扱う砂川商事という会社に派遣されたこともあった。後に派遣からバイトとして砂川商事へ入社するのだけど。体力商売でともかく苦労したのと、倉庫の棚卸し業務が重要だという事を学んだ。

 砂川商事時代の事を今でも思い出すのが、ワゴン車で配達をしている時に他の車と接触をしてしまった件だ。事故にはならずにすんだのだが、何度もその場面がきっかけや理由もなくフラッシュバックして、その度に「死ね」だとか「ばかやろう」と独り言が出て感情になってしまう。もう過去の出来事なのに!俺には運転が向いてないのだと、早く免許返納したいけどどうすれば返納できるのかとか調べる気力がわかないのでどうしようもない。

 その次に移転前の横浜職業安定所で紹介されたのが横浜個人タクシー協同組合だ。どんな仕事をするかとか考えずに近所だからとダメ元で申し込んでみたら合格してしまったのだ。年寄りが多い組合だと知るのは働き始めてからである。

 どうも幼少期に出会った世界救世教布教所の田中のババア以来、俺と年寄りの無意識での相性はとても悪く、無意識に攻撃的になってる事があるようなのだ、性別は問わないらしい。酔っ払った年寄りとトラブったり、いきなり殴られたりもした。なんもしてないのに!

 タクシー組合でもその「何もしてないけどジジイが激高した」がままあった。正直困っていた。攻撃の意図はないのだけど。攻撃というかそもそも興味がないのにどうして攻撃になるのだ?まさか興味がないがぞんざいな態度になっているとかそういうのだろうか?知るか!

 組合での契約社員から社員登用もあったのだが、その辺どうしてたからよく覚えてない。酒量が増えてきたのとか、躁鬱そううつ(気分の下降と上昇が両極端にひどいありさまの病気)が激しくなったとか、意味不明な全身の痛みとかでそれどころではなくなったのだ。この話はもうちょっと書きたい。

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