番外 忘れられない思い出

 たしか俺が小学校一年か二年の頃の話だ。

 昭和五十三年か五十四年、テレビでは国鉄のCMでいい日旅立ちが流れたり、資生堂の燃えろいい女が流れていた、音楽だと千昌夫の北国の春、北島三郎の与作、ジュディオングの魅せられてが流行っていた、ソニーからウォークマンが発売されて音楽を持ち運ぶ事が可能になった、そんな頃の話だ。

 その頃の俺は、関東の神奈川県横須賀市汐入町に住んでいた。汐入町は横須賀市の中心市街地の西側にあり、東京湾に面してる一丁目と、急斜面の住宅地がある二〜五丁目に別れている町だ。他の横須賀市民からは横須賀のチベットと呼ばれていたりもした。急斜面の住宅地は谷間にあり、谷戸と呼ばれていた。

 たしか土曜日の昼過ぎ、季節は春だったと思う。暑くもなく寒くもなく、坂を上がる俺は苦痛よりも快適さがあった事を覚えている。それは帰宅途中のできごとだった。天気は晴れていた。雨ならば傘をさしていたからだ。

 俺は汐入駅のすぐ近所の汐入小学校から、細い上下二車線の道路を横断歩道でわたり、南に一〇〇メートルほど行った先を右へ曲がり、徳田眼科の横を谷戸へ入り一〇〇メートルほど進み坂を上がり、通称「ゴッチャマ」と呼ばれている五丁目公園の横を通り、汐入逸見間の京急の踏切を通過し、さらに奥の牛殺し谷戸(うしごろしやと、古い地名)へ入り、奥の突き当りまで進んで、左手のほそい崖道をあがる。

 そして、急な坂道を登り切って尾根道にさしかかったとたん、ランドセルとしろい尻と尻からぶら下がった細長いうんこがみえたのだ。

 なぜ尻?誰のうんこ?一体何が起きているのだろう?俺は少しパニックになりながらも坂を登るのを止めなかった。声や独り言は出なかった。

 その尻が、近所のなおふみ君の尻だとは気づかなかった。なんと、なおふみ君の尻からうんこが出てたのだった。何故?どうして?

 尻もうんこも答えをくれなかったが、一見して俺は全てを察したのだった。おそらく家に帰るまで便意を我慢できず、野糞をしたなおふみ君。俺はその野糞をしている所を目撃したのだったと。

 下野直史くん。近所に住んでいる。親友かというとそうでもない。仲良しエピソードを思い出せないからだ。

 この大人しい同級生はウチと同じく貧乏一家で、上に兄貴がいるのと歌が下手で音痴、天然パーマの短髪で目じりの下がったふにゃけた顔をしている好少年だ。

 どんな服装をしていたか?記憶が曖昧だ。白い尻と細長いうんこの対比というかその記憶が鮮明で、他のディテールが思い出せないのだ。確か俺の方の服装は体操着かロングTシャツに半ズボンだった。靴はノンブランドの靴底がペラペラのヤツだったと思う。

 道路は舗装され、側溝がコンクリートの蓋がなく設置されており、そこをなおふみくんがまたいで、かたわらに黒いランドセルを置いて、白い尻に茶色いうんこ。少し近づいたら尻からうんこがポトリと落ちた。音がきこえてくるような気がした。

 俺となおふみ君の距離は数メートルも離れていない。俺はなおふみ君の横を通りすぎないと、さらに奥の方にある自宅へ帰れない。立ち止まり、野糞をしているなおふみ君を見たり見なかったりしながら、俺はなんて声をかけるか猛スピードで頭のコンピュータを回転させるのであった。

 ここで何か声をかけた所で野糞をした事実は覆せない。学校でもうんこをするといじめられた、そんな時代だった。誰かになおふみ君の野糞を言いふらす?そんなバカな。俺はそんな卑怯者じゃない。ティッシュでも持っているか?持ってない、ハンカチは持ってた気がするがいまここでは尻を拭く用に出すのは流石にどうかと思った。うんこが臭ってきた、そんな気がしたが当時の俺は親友のうんこが臭かろが臭くなかろうが気にしなかった。そんな事を一瞬のうちに考えていたのであった。そして結論を出した。

 そんな無防備な彼に右手を九十度に曲げ、「よう」と声をかけて、俺はなおふみ君の横をスタスタと何事もなかったように通り過ぎた。からかうでもなく騒ぐでもなく。努めて冷静に。俺は何も見なかった。白い尻も茶色いうんこも。

 通り過ぎつつ心の中で、情けとはこのような感情なのだろう、と思うのであった。

 なおふみ君ははたから見れば滑稽かも知れないが、本人は大まじめだったのだ。うんこが漏れるかも知れなかったしな。

 で、その話を誰かに言うでもなくこの話は終わるのだが、強烈な印象だったので五十才の今になっても覚えている。

 そういえばなおふみ君は野糞をした後、尻を何で拭いたのだろうか?疑問が残る。うんこが肛門についたままパンツを履くのは気持ち悪いからだ。緊急避難でそのままパンツを履いたのだろうかと思っているが。

 大人になってからも、自分が外出時にトイレに行きたくなった時に思い出すのだ、なおふみくんの野ぐそを。自分が緊急事態で野ぐそできるのだろうかと考えるのだ。

 排泄物、うんこを見られても恥ずかしいとかそういうのはない。排泄する無防備な姿は恥ずかしいというか恐怖だ。誰に何をされるかわからないから。

 この文章を書いている五十才の今、病院のデイケアに通っているが、帰宅途中によく便意におそわれる事があり、野外で便意というと、小学生の頃に見たなおふみ君の野糞の事を関連付けて思い出してしまうのであった。なのでこの文章を書いている。あの時の対応対処は適切だったのか?誰にも話さなかった半生は正解だったのだろうか?こうして文章にするのは正しいのだろうか?等を考えてしまうのであった。

 野外露出(やがいろしゅつ)趣味は残念ながらない。だがしかし、急な腹痛や下痢に襲われた時、急な便通になった時に、俺は野ぐそを我慢できるのだろうか?という疑問や妄想はもう何十年も俺の脳裏を離れない。それくらい強烈な体験だったのだ、なおふみ君の野糞は。

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