うさぎはねる(2)
眠ったウサギの身体をお姫様だっこで持ち上げると、ずっしりとその重さが腕にかかる。意識を失った人間のこの重さは、久しぶりの感覚だった。
書斎の隣にある工房のソファーで彼女を休ませて部屋に戻る。強烈な違和感。部屋そのものに変化はないが、突き刺すような圧迫感が肌を
「ダイナか」
彼女の生首がにゅっと空中に現れた。半球面の光学迷彩シートの横から頭だけが出ている様子は軽いホラーだ。
「どうして分かったの。サーモグラフィでも実はついてる?」
彼女が目のあたりを指さすジェスチャーをしたので、僕はそれをみて気だるげに首を振った。
「勘だよ。体毛がざわついたような気がしたから、人がいると思った」
「そういうイカれた感度の
彼女は、手に持っている光学迷彩シートの電源を切り素早く折りたたむと、ヒップバッグの中に仕舞いこんだ。
野外作業用のワークズボンに、ぴっちりとした光沢のある上着。一見キャミソールのようなカーボンナノチューブ素材のタンクトップは、恐らくスマートウェアだろう。
女性が使用する型番では、自衛を目的としたスタン機能の搭載が推奨されている。
無論、その通電経路は対象の無力化をスマートに達成する──心臓に電気を流されたくなければ、
「せっかく準備してきたのに。結構高いのよ、これもこれも」
「準備を無駄にしてすまなかった。君も部屋に入るならノックくらいはしてくれ」
「あら、ごめんなさい」
書斎にあるデスクへ戻ると、彼女は壁に背を預けてこちらの様子を伺っている。
「やっぱり、カメラには気づいちゃったかしら?」
一瞬、僕の視線がダイナが仕掛けたであろうカメラを捉えたが、それに目ざとく気付かれたようだ。僕は溜息を吐くと、大げさな仕草をしながら彼女の疑問に答えた。
「人に見られて困るようなことはしてないから大丈夫だよ」
「女の子を薬で眠らせるのは十分やましいことじゃない?」
「……確かに、言われてみるとその通りだ」
彼女の顔を見る。僕は、彼女の憤りの正体がマナーの悪さによるものだと推察して少し考えた。素直に謝るかどうか悩むが、この機会に彼女たちの心を揺さぶってみるのも悪くはない。
「君の主人もやってたことだから、普通のコミュニケーションだと思っていたよ」
「その理屈は通らないわ。だって貴方、戦争で人を殺したでしょう?」
「違いない。僕の負けだ」
言い争いはそこで終わった。ダイナの網膜を通じて、この様子をアリスもどうせ見ているはずだ。昔、
「貴方、性格悪いわね?」
「見ての通り、女性にはあまり好かれなかった。そのせいで性格が歪んでしまったのかもしれない」
「それは因果が逆。性格が歪んでいるから、モテなかったんでしょ?」
「なるほど。その理屈でいうと、黙っていてもモテないときは?」
「容姿がダメで、性格が悪い」
「……それは救いがないな」
軽口を言い合いながら、僕らは互いの間合いを伺い続けている。敗北条件は彼女に殺されてしまうことだが、そういう意味では、この状態は比較的安全だといえる。
話し合いは──聞きたいことが聞けるまでは殺されない。
「さぁて、貴方のモテモテ王国建国の野望は、今どれくらい進んでいるのかしら?」
「雇っているメイドには好かれていたようだが」
「それで?」
「あとは手段について、再現性があるかどうかの確認だな」
「再現性?」
「君にも愛されたいってことさ。彼女と同じくらいに」
沈黙。ぶつかり合う視線は虫同士のそれに近い。感情ではなく、技術としての暴力を身に着けたモノ同士の必然だった。
「それで、彼女はどうするのかしら?」
「何も。せっかくだから……体くらいは触っておくか?」
「どうして私に聞くのかしら」
「だって君の主人には、『僕の良いところ』をたくさん探してもらわないといけない。行動力のない男は嫌われるんじゃいのか?」
「私の主人は、薬で眠らせて女を
「薬で眠らせてその女を放置する男は?」
「……クズって呼ぶと思うわ」
「分類としては同じじゃないか」
僕は困った顔で苦笑すると、匙を投げる真似をしてダイナを見た。
「君は今、僕に対して
「つまんない男に目をつけられた、くらいにしか思ってないわ」
「ははっ、違いない」
彼女は警戒を解くと、腑に落ちないといった様子で頭を掻いた。おおよそ理解はできる。いま彼女がここに存在する理由は、アリスの正義感によるものだ。歪んだ欲望と真っ当な正義感。彼女の認知的不協和は幼さゆえの──しかし、あまりに理想的な「歪み」の記号にみえる。
むしろ、これは僕の本質に迫るための──それは考えすぎだ。彼女が僕に個人的な興味を持つ理由がない。
「私たちは、貴方が何をしたいのか全然理解できないわ。交友関係も、この屋敷も、メイドも、そして私たちをも巻き込んで」
「──戦争は終わった。仲間は死んだ。僕は現実の中で、平和になった世界で、ただ命の危険がない毎日が、幸せでたまらないんだ」
「私のセンサーが、『嘘』って言ってるけど」
「……太陽が眩しかった」
「どういうこと?」
「人間はね、自分を偽れば偽るほど軽薄になっていく。君たちは納得できる論理的な動機が欲しいんだろうけどさ、そんなものはないよ。ただ、魅力的な女性に好かれて幸せに暮らしたい」
「俗っぽいわね」
「──だから僕は、邪魔するやつを皆殺しにすることに抵抗がないんだ」
沈黙。彼女のセンサーは嘘を見逃さない。
「ほんと?」
「嘘に決まってるだろ。抵抗しかない。僕は必然性がなければ人を殺せない。動物を狩るときと一緒さ。お腹が減ったとか、そういうちゃんとした理由が必要だよ」
「
「そっちのセンサーの感度も大体わかった。僕は嘘が下手だから、そもそも意味はないと思うけど、あまり頼らないほうが賢明かもね」
「そのときは、そのときよ。敵の助言で武器を捨てるほどバカじゃないわ」
「たしかに。それもそうだ」
彼女は溜息をひとつ吐くと、用事は終わったとばかりに踵を返そうとした。
「いや、ちょっと待ってくれ。僕は君たちに用事がある──」
「何?」
彼女のぶっきらぼうな声は、面倒な用事を頼まれる雰囲気を感じ取っていたようだ。
「女性の触り方を学びたいんだけど、教えてくれないか?」
「は?」
「だから、モテモテ王国の話さ。ダイナとアリスという教師がいて、勉強に使えそうな体も丁度ある。君たちを撫でまわすのは不快かもしれないけれど、僕が指導を頼むと君たちは困ったりするのかい?」
「そういうのは、
「それはダメだ。情報源の信頼性が低い」
「んー、そうね。貴方のいう信頼性が高い言葉が欲しいならそのまま伝えるけど、『正直、あなた気持ち悪いわ』」
「残念だ。諦めよう」
「じゃ、この話は終わりね」
すかさずここで言葉を紡ぐ。アリスの真意を掴むには、まずここに彼女を連れてくるべきだろう。
「ああ、そういえば報酬になるかは分からないけれど、君のお姉さんが最後になんて言ったのか、知りたくない?」
「……お嬢、どうする?」
間延びした居心地の悪さに、僕はむずむずと腰を動かした。
「僕から一つアドバイスだけど、犯罪者と取引をする人間はロクな人間じゃないよ」
「それは、言われなくても分かってるから」
少し怒った顔でダイナはそっぽを向いた。どうやら
カレイド・オブ・ヒューマニティ ふらすか @frasca
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