罪の意識(2)

「お見通し──というわけね。いや問題は、私たちの目的を理解しているのか、ということだけど」


長い沈黙のあと、アリスははっきりとした口調で言葉を紡いだ。彼女の顔を自信たっぷりに見つめ返して返事をする。


「残念ながら、それは知らない。僕に分かることは事実だけだ。元々の体を失った経緯や、姉がいたという過去。しかし、それが人間をどう動かすのか、それは君たちの口から聞いてみないと分からない」


彼女たちは再び沈黙した。慎重に言葉を選ぶツインテールの少女の姿は、クリスマスプレゼントをねだる子供のようにも見えた。


「私は姉を取り戻したい。それができないのであれば、全ての狼男ルガルーをこの世から消滅させる。私のものにならなければ、他の誰にも与えるわけにはいかない。無論、キミとて例外ではない」

「……私は、よく分からない。取り戻せないから、そのことは考えないようにしてた。ただ、お嬢を守れる今の身体は、それなりに気に入ってるよ」


彼女たちの言葉は、人を説得するための言葉ではなく、己を定義するための言葉であった。


「素敵だ」


僕はその言葉を、無意識のうちに漏らしていた。


「不老と義体──君たちの止まっていた時間ときが動き出すということだ」


彼女たちを見つめる僕の顔は、きっと優しさに満ちあふれていた。


情報子ミームから君の姉を再現すること。彼女の体に関するスキャンデータも、テオナナカトルの記憶媒体ログから既にサルベージ済みだ」


ダイナが生唾を飲む声が聞こえた。バイオロイドの身体は、実際のところ人間と変わりなく恐怖や緊張を感じる。


「当然、ダイナの身体データもある。同じ場所に保管されていたからね。被験者のデータは僕が全て回収した。本当はこれ、よくないんだけど」


身動き一つせず、彼女はその表情を変えることもなく。


「いや、それはおかしい。過程はともかく結果が理解できない。私の姉はキミの恋人で、キミは私と同じ目的で、私より早く手段を手に入れた」

「素晴らしい質問ですね。分かりやすい矛盾だ」

「理由を教えてくれ」


沈黙。答えに詰まったのが自分でも分かった。しかしそれでも、彼女アリスには誠実さを振り絞るべきだ。


「……戦争はもう終わった。彼女が、僕を選ぶ必然がない」


その顔に、初めて分かりやすい侮蔑の表情が浮かんだ。


「──そんなことで、キミは躊躇したのか?」

「そうですね。僕はその程度の人間です。ですから、あまり期待をしない方が良い」


訥々とつとつと僕が言葉を続けると、彼女は「すまない」と小さく漏らした。それはあまりにもむき出しの人間性で、何かよく分からないものが僕の奥底に滲みだすのを感じた。


「結論から言いましょう。君たちは失ったものを取り戻すことができます。よかったですね」


にっこりと、人生で初めて、これ以上ないほどの微笑みを他人に与えることができた。


「──嘘だな。目的はなんだ」


ダイナは腰元から大きめの拳銃を取り出すと、静かに僕へ突き付けた。


「僕の発言が、センサーに反応しましたか?」

「いいや、センサーに反応なんかない。女の勘だ」

「──私も同感。貴方、何か気持ち悪いわ。姉の元恋人だって発言も、正直信用できない」


大きめの溜息を一つ。


「僕って、やっぱりダメですかね」

「……貴方は、何。目的は何?」


じっと見る。彼女の瞳に映る僕は闇をくりぬいたような顔つきで、まだ死んだ魚のほうがマシな目をしている。


「彼女は、みんなに愛されていました。美しく誠実で、誰もが彼女に生きる希望を感じていた」

「いったい、何を言ってるの?」

「彼女を見て──誰も愛されず、誰にも幸福を与えられず、ただ奪うだけの僕の人生がとても恥ずかしく思えた」


天井を仰ぎ見る。いつも通りの色彩と、いつも通りの絶望。見返りを求めたモノマネの誠実さは、媚びる弱者の甘言にも似て、僕の価値を突き付けるピストルのようだった。


「僕は──僕なりに誠実だったんですよホント」


ダイナの指先が恐怖で震えている。彼女が肉体を失った原因は、目の前にいる弱っちい僕だ。


「ただ、才能が足りなかった。愛される才能。誠意が実る才能。幸福を手に入れる才能。そして何より、そんなものに価値を感じたことなんてただの一度もなかった」

「貴方の望みは──何?」


僕の独白を遮るように、彼女の鋭い一声が僕を貫いた。


「自分にとって都合の良い世界。それを手に入れなかった罪を償うこと」


アリスは僕の返事を聞くと、目をつぶってその言葉を反芻しているようだった。


「ずいぶんと、自分勝手ね」

「君の願いは自分勝手だったけど、僕の願いが自分勝手じゃ困るのかい?」


ムッとした少女の顔は、そのまま切り落としたいほどに魅力的だった。


「お嬢、彼に悪意を向けないでくれ。それさえ守れば私たちは安全だ」

「何を言ってるの?」

「お嬢、私の言葉に従ってくれ──ここは戦場だ」


僕は、その言葉を聞いて僅かに失笑した。


「最初から、遠足気分でここに来たわけじゃないだろ?」

「そうだったな。私はキミを尊重したい。私の言動がキミの気分を害したなら謝罪しよう。あくまで望むのは話し合いだ」


ダイナは拳銃を下ろさない。これが彼女たちのいう話し合いのスタイルらしい。


「銃を下ろせよ」

「それはできない。私にはお嬢を守る義務がある」

「考えすぎだ──遠足気分じゃないにせよ、彼女の言う通りここは戦場じゃなく話し合いの場だ。戦争は終わった。ヒトの殺し方じゃなくて、日々の幸せについて頭を悩ませるべきだ」

「……分かった」

「僕はそんなこと、微塵も思ってないけどね」


半分ホルスターに戻ったダイナの銃が、再び強く握り込まれた。


「挑発するのはやめて」


アリスの言葉が場を支配する。その言葉は、僕とダイナの両方に向けられていた。僕はその表情を見て静止すると、要求を一つだけ端的に述べた。


「拳銃はその机の上に置いてくれ」

「……ダイナ、従いなさい」

「お嬢ッ!?」

「従いなさい」


アリスは自分の拳銃を胸元から取り出すと、机の上にコトリと置いた。それを見た僕は安心した思いで表情を崩す。


「昔──君の姉を捕まえたのは僕だよ。だから彼女は僕を警戒してる」


彼女が置いた拳銃に再び触れるより先に、その手首をつかんで静止した。


「よかった。殺されずに済んで」

「……そういうこと。だから貴方を、警戒しているってワケね」

「戦ったら僕が死ぬだけでしょ今は。一応言っておくけど、僕は彼女ダイナを普通に倒しただけ。ダイナが肉体を失った直接の原因は、彼女自身の脱走未遂で僕は全く関係ない」


淡々と告げると、掴んだその手を振り払うように彼女は僕から距離をとった。


「よかったです。彼を殺さなくて」

「どのみち殺してないわ。痛い思いをしてもらう程度よ」

「見てれば分かるけど、君の下手くそな射撃じゃ加減なんてできないよ」


僕が呟くと、革製のブーツの底が思いきり机の側面を蹴りあげた。


「──悪かった。許してくれ」

「死ね」


端的なその言葉を、ダイナはほっとした表情で見つめていた。


「君たちの目的は分かった。ついでにいうと、最後に僕を殺せば大団円という感じかな」

「そうね。こんなにも人を殺したくなるのは久しぶりかしら。ねぇ?」


腕を組んで傍に立つダイナへ、アリスは同意を求めた。


「お嬢、彼を挑発するのはやめてくれ。確かに因縁のある仲ではあるが、貴方が貴方なりに誠実だったことは私自身が良く理解している。貴方が彼女の恋人であったこともだ。できれば貴方も、隣人にできる最大限の配慮を、私の主人に与えてあげて欲しい」


目の奥にある隠しきれない恐怖と、その身を守る圧倒的な暴力。しかし彼女は、それでも僕と対等に話すことを望んだのだ。この話し合いに、最も必要とされるのは誠実さだ。


「素晴らしいな。君は僕が知るどの人間よりも人間らしい」


出会った当時、ダイナは愛玩用の人造人種テクネニウスだった。いわゆるというヤツであったが、ある程度の護身術は身に着けていたことを覚えている。カートリッジ化された脳神経系を戦闘用のバイオロイドに載せ替えたのは彼女なりのケジメだったのかもしれない。


「どうかお嬢も、目的を忘れないで」

「いや、確かに……そうね。これは私なりの誠実さだけれど、貴方に復讐をするかどうかは、正直まだ分からない。きっと賢い答えもできる気はするけれど、貴方がそんな言葉を望んでないことは、この短い時間でもよくわかったわ」


彼女の目は、怒りを携えながらも、静かに僕を射抜いていた。


「本音が聞けてよかったよ。何より貴方が欲深で、僕はとても興奮している」


僕も混じりけのない本音を、彼女に突き返した。生理的な嫌悪か、はたまた本能的な恐怖かは分からないが、彼女が一瞬強く口を結んだのが分かった。


「結局──私たちは貴方に何ができるかしら?」


僕は彼女たちに何を望むべきだろうか。僕自身が僕を否定したことの罪。それを償うに足るを、僕はじっと考える。


「アリスには、君の姉がなぜ僕を好きになったのか。それを考えて欲しいんだ──」


思考が終えるよりも先に漏れ出た言葉は、あまりに強烈で純粋な──自分でも驚くほどの凶悪さの発露であった。

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