罪の意識(1)
「──軍役の話ですか。正直に言えば、思い出したくない話題も多いのですが」
沈黙。さきほどとは打って変わった静かな食卓だった。少なくとも、誰も彼もが何かを失った争いだ。明るい食卓に上る話題ではない。
「それはすまない。しかしだ、キミなら私の言っている意味が分かるはずだ」
「分からないですよ。確かに名前を聞いたことくらいはありますが、当時の僕は雑用係の少年兵ですよ?」
苦虫を噛み潰したような表情で、手元のワインをゆっくりと飲み干した
「しかし、テオナナカトルでは──」
「死んでも良い人間が、金持ちの
ダイナが冷たく殺意を
「僕の言い方が気に入らないかもしれませんが、これは相当に良識のない話題ですよ」
教養のある富裕層を煙に巻く方法は簡単だ。相手が経験したことのない悲惨なエピソードをペラペラとあげつらえば良い。どう言い返されたとしても「恵まれていた貴方に、僕の気持ちが分かるわけないだろ」の一点張りで終わる。
しなくて良い苦労で勝手に犠牲者ぶっている痛々しさを、良識のある人間は許容しなければならない。それが大人の社会だ。
さて、相手はどう出るのか?
「……失礼した。気に障ったのであれば謝罪する」
「こちらこそ少し感情的でした。僕としても、できる限りの協力はしたいのですが、結局アリスさんが知りたいことは何でしょう?」
「誤解させたようであれば申し訳ないが、あくまでキミは協力者だ。そして仮に、例え君がこの事件に何らかの関わりがあったとしても、これは既に事故として処理されることが決定された案件だ」
元テオナナカトル所属の
「正直に言うと、キミが当時の情報を何か知っているのではないかと考えている」
「──分かりました。ただ、お話しするにあたって、こちらからいくつかお約束をさせてください。ひとつ、脅迫をする必要はありません。できる限りの協力を行います。ふたつ、僕は末端の構成員です。お伝えした情報が必ずしも事実であるかどうかは分かりません。みっつ、僕は現状に満足しています。ですので、僕の体に関する決定は僕自身の意思を尊重してください」
誠実さを積み上げた結果がどうなるのか、僕は当然知っている。彼らの罪が赦されるように、僕の罪も清めを求めている。
「最後に関しては──正直よくわからない」
「説明はできませんが、貴方に対して迷惑をかけるものではない、とだけ。信用していただくしかないことですが」
アリスとダイナが表情を見合わせる。
「その条件で承知した。しかし、キミは見返りを要求しないのか?」
「分からないですかね。僕はいま命乞いをしているんですよ。生きて帰れたらそれで満足ですよ」
戦闘用バイオロイドであるダイナの双眸が、僕の一挙手一投足を捉えている。そして相手は、テロ事件を事故として処理できる管理官だ。心臓の脈動が、恐怖と欲望でドクドクと五月蠅い音を鳴らす。
「……そうか、キミは賢いな。こちらとしても出来る限りの便宜は図るつもりだ。君の要望はできる限り叶えよう」
「ありがとうございます」
彼女の返事を聞き終えて、最後の一口だけ残ったビーフシチューを口に運ぶ。当然、それはもう既に冷めきっていた。
食事も終わり、話の続きは書斎に移動して続けることになった。取り出した懐中時計を一瞥して、ウサギはアリスたちを書斎へと引き連れていった。青地のスカートがふわりと揺れたかと思うと、僕たちは目的の場所に着く。
「旦那様、お飲み物はお持ちしますか?」
「ああ、紅茶を人数分頼む」
席を追加で二つ用意したが、ダイナはアリスの横脇で静かに佇んでいた。大きなため息をわざとらしく吐いてみたけれど、彼女たちの姿は既に異端審問官のそれだった。
「紅茶が揃うのを待つ余裕くらいはある」
「まさかこうなるとは思いませんでした。ですが、恐らくは僕も──貴方がたの来訪を待ち望んでいたようです」
「それは、どういうことかしら?」
ダイナは会話に混ざることもなく部屋の中を一瞥すると、扉の横の壁に背を預けて静止した。
「お嬢。先に言っておくが、私は回りくどいのが嫌いだ。そしてその男は、恐らく私たちの『待ち人』だ」
「根拠は──?」
「女の勘、ってヤツさ」
「……占い程度に信じておくわ」
目をつぶって天井を仰ぎ見たアリスは、盛大に溜息を吐いた。
書斎のドアが遠慮がちに叩かれ、失礼します──とウサギの声が響いた。3人分のソーサラーと紅茶が書斎の机に並べられる。
「良い匂いだ。キミは紅茶が好きなのかい?」
「メイドに任せきりなので、僕は匂いや味の違いぐらいしか分かりませんよ」
「せっかくのオータムナルだ。キミは彼女に感謝してダージリンを飲むべきだね」
「……いつも美味しい紅茶をありがとう」
ウサギは僕にあきれ顔で一礼すると、配膳用のワゴンを押して静かに部屋を後にした。
「彼女、照れていたな」
「呆れていたようにしか見えませんでしたが?」
「そういうところが、キミの良くないところだな」
その紅茶を口に含むと、まろやかな芳醇さがじっとりと鼻の奥へ抜けていった。しっかり腰を落ち着けて、彼女たちとの話し合いに臨めというメッセージだろうか。
「うん、素敵な味だ。彼女からキミへの思いやりを感じる」
「それはどうも」
ダイナは紅茶に口も付けないまま、壁によりかかって僕らを観察していた。彼女には恐らく「嘘を判定する機能」が搭載されているのだろう。なるほど確かに、これは異端審問と言われるだけのことはある光景だ。
「まず最初に3つだけ質問をさせてくれ」
「どうぞ」
「ひとつ、国益を損ねるつもりはあるか?」
「いいえ」
「ふたつ、私たちに危害を加えるか?」
「いいえ」
「みっつ、キミにとって都合の悪い隠し事はあるか?」
「はい」
ニヤァと口角の歪みが抑えきれない笑みを浮かべたことが自分でも理解できた。アリスはそれをみて、少し考えた顔をすると後ろへ振り返って答える。
「お嬢、彼は嘘をついてないよ」
「どう思う? この状況は罠かしら?」
「それこそ、彼に聞いてみるべき」
彼女の瞳が僕をのぞき込む。それはいしきと同じ、月明かりに揺らめくエメラルドの瞳だった。
「この状況は罠?」
「罠とはなんだ? 先ほども言ったが、君たちに危害を加えるつもりはない」
「つまり、……貴方は『何らかの目的』があってこの状況を操作している」
「そうだ」
「目的は?」
紅茶を一口飲んで、ゆっくりと言葉を選ぶ。アリスは表情一つ変えずにその返答を待ち、ダイナはその後ろでまっすぐに僕を見ていた。
「……美しい女性たちと、一緒にいたかった」
「は?」
アリスは、脳からそのまま感嘆符を垂れ流したようなスピードで返事をした。
「お嬢、そいつはマジだ。──私からも一つ。これは貞操の危機か?」
淡々と、まるで作業のように下世話な確認を行った。
「いいや。女性として魅力的だとは思うが、暴力や犯罪行為をしたいわけじゃない。無論、同意の上で何かが起こるならそれはまた別の話だ」
「たーだのエロ親父じゃねぇか」
「そうだな。彼女の言う通り、ただのエロ親父だ」
残りの紅茶を飲み干すと、カップの中身は空になってしまった。
「……もう一度確認するけど、嘘はついてないのよね」
「国がメンテ代をケチってこれが壊れてなければね。少なくともセンサーの値は正常に見えるけど」
ダイナは目の下あたりを指先で叩きながら、アリスにウインクした。アリスは考え込むように下唇を指先で触る。
「──奇妙、ね」
「お嬢は深く考えすぎだと思うけど。人間の欲望って、そういう薄っぺらいありきたりなものよ」
アリスはツインテールの髪先を指で触りながら、
「貴方、実はもう嘘をついてるでしょ?」
「ああ、そうだよ」
うっすらと笑いながら彼女に返答した。
「……どうせ、センサーは異常なしでしょ。この結果を真に受けるなら、彼は既に嘘をついていたってことになるけど、どういうことなのかしら。お得意の女の勘ってヤツで分からない?」
「さぁ?」
「……仕方ないわね。いや、少なくともキミが信用ならないってことが分かっただけ良しとしよう」
「そいつは残念だ」
はー、と深くため息を吐くと、ダイナが歩み寄ってきて冷めた紅茶を一気に煽った。
「時間の無駄だったな。それじゃ、テオナナカトルの話を聞こうか」
「ああ、そうだ。君たちに伝えなければならないこと──。アリスたちが探しているのは、
アリスとダイナが見開いた目で僕の顔をのぞき込んでいる。
「だから、ここ──僕の脳内には
「『終わりのルガルー』……ッ!!?」
アリスは椅子から立ち上がると、懐にしまっていた小型の拳銃を取り出して僕に突き付ける。それは何の面白みもない、目の前の脅威を排除する旧時代の化石だ。
「落ち着いて聞いてくれ。症状が出なければ感染はしない。今回の事件でミストレスコードが検出されたとしても、それはだ、きっと他の生き残りが僕を探しているんじゃないかな」
「……それが、貴方の願い?」
「察しが良くて助かる。放っておいてくれ。それが僕から君たちへの唯一のお願いだ。健康被害もなければ誰かに感染するわけでもない。特段、助けも必要ない。彼らはただ寂しくて、僕を訪ねに来ただけだ。相手がどのようなモノになっているかは知らないが、旧友との再会は喜ぶべきことだろう」
アリスは拳銃を僕の方向に向けながら、僕とダイナの顔を交互に見合わせた。
「お嬢は慣れてないんだから、そろそろ危ないヤツ仕舞いなよ」
歩み寄ってきたダイナが、アリスを左手で制しながら僕の前に立ちふさがった。彼女の目は間違いなく獲物を見つけた肉食獣のそれだ。
「やっと思い出した……アンタのその目。全然雰囲気が違うじゃないか。似合ってるよ人間ごっこ。体が肥えたのは、慢心ってヤツかい?」
どうやら、相手のことを思い出したのは僕だけではなかったようだ。姿かたちが変わっても、消えない過去がこびり付いている。
ダイナを指さして一言。
「元の体を失った戦闘狂」
指先をずらして、後ろのアリスに向ける。
「姉を失った妹。ついでにいうと、君の姉は僕の元恋人だった」
椅子から立ち上がると、「ああそうだ」と一言添えながら、自分の胸のあたりをコンコンと指で叩いた。
「実はこれも、問題ありだ。夫婦生活が上手くいかなかった。……君たちに比べれば、ありきたりにありきたり過ぎる喪失かもしれない。メイドを雇って現実逃避の毎日さ」
呆気にとられる彼女たちを尻目に、机の中からラムネ菓子の瓶を取り出してバリバリとかみ砕いた。記号。僕が求めているものは歪な空白を上手く埋めることができるピースだ。彼女たちは過去の亡霊ではあるが、その資格は十分すぎるほどにある。
「私の姉がどうなったか……貴方は知っているの?」
「彼女は死んだ。そして
「この状況が、偶然だって貴方は本当に──そう言っているの?」
「本当だよ。ただの偶然。必然ではあるかもしれないけれど、僕が君たちの素性に確信を持ったのは、本当についさっきだよ」
人生ってものは、思った通りにいかないものだよね──と、せせら笑う悪魔のような声だけが、下唇を噛む少女たちの横脇を通り過ぎた。
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