失われた真実(3)

「屋敷に三人の女性がいて、僕は当然期待する」


朝起きてすぐウサギを呼び止めた。開口一番、ウサギはポカンとしたまま、時がとまった表情で瞬きを繰り返した。


「いかにもモテない男性の発言ですが、旦那様は貞操観念をこじらせていますか?」


辛辣な返事だった。慈悲はない。


「可能性は三倍だよ!?」

「ゼロに何をかけてもゼロです」


ウサギはしっしと僕を払う動作をすると、朝食の準備のために厨房へきびすを返した。僕は体をほぐしながら日当たりの良い客間へ向かう。そこにあった食事はウサギと僕の二人分──そういえば、客人たちの朝食は不要だと伺っている。


客間の隅の席で食事をとっていると、アリスがひょこりと顔を出した。その手にはボソボソとしたレーションの最後の一口が握られていた。


「失敗だ。あんなに美味しい食事がいただけるなら、朝もお願いすればよかった」


どよーん、としか言いようのない表情で僕たちの朝食風景を見つめている。


「お嬢様、行儀がたいへん悪いです。あと、こぼさないでくださいね」

「おっと、失礼。昨日の絶品ローストビーフを意地汚くみつめていたダイナに助け舟を出すつもりが、どうやら私の方が無作法者だったようだ。たいへん失礼した」


彼女が指摘した通り、ウサギが配膳したサンドイッチの間にはローストビーフが挟まっている。歯ごたえのあるバケットの間に挟まれた肉は、我こそが主役であるという存在感を醸し出していた。


朝からバチバチとやりあっている二人の様子をみて、笑いながら彼女たちに答えた。


「残念ですがちょうど売り切れです。諦めてください」


パクっと一口、手元のサンドイッチを食べる。無表情を装っているダイナの口元が若干動いたことを、タイミングよく戻ってきたウサギは見逃さなかった。


「お客様──」

「ああ、そういうのはダメダメ。こっちの分は君の食事だから。メイドの食事をお客様に渡すのはまた色々とややこしくなる話だ。屋敷の食事を気に入って頂けたようで何よりです。またご用意させていただくので、のんびりこの屋敷にお泊りいただければと」

「のんびり使うほど、調査が長引くのは困りものだけどね」

「どうします? 流石にレーションよりは文明的な食事が出せますが」

「すまないがお願いするよ。ダイナもそうだろ?」


コクリ──と恥ずかしそうにダイナは頷いた。黒いスーツにフォーマルな手袋。後ろひとつ結びになった三つ編みが目に入らなければ、男装の麗人のようにも見える出で立ちだ。対照的にアリスのほうは緩くパーカーを着こなしており、朝が弱いツインテールの少女そのままに気だるそうな表情が張り付いていた。


「ありがとうございます」

「手間をかけるね。ああ、そうだ。手間をかけるついでに、せっかくだから、食事の時は彼女も同伴して欲しいな。なんたって綺麗な女の子と食べる食事は美味しいからね」

「全くですね──というわけで、諸々頼んだよ」

「承知いたしました。僭越ながら、ご相伴にあずからせて頂きます」


ウサギが一礼すると、ひらひらと手を振りながらアリス達は外へ出ていった。


「なんとなく、このサンドイッチを食べるのに罪悪感が」

「気にせず食べてくれ。欲しいときに欲しいと臆面なくいえるのが貴族だ。それをあしらうのは僕の仕事で、君が気にすることじゃない」

「ありがとうございます……」

「いや、僕がふがいなくて面倒くさい仕事が増えただけだから、君はむしろ怒っていいよ」


たしかに、と漏らしたその顔は既にサンドイッチをしっかりと咥えていた。



夕方ごろ、朝早く出かけた彼女らが屋敷に戻ってきた。ウサギは夕食の下準備をしているため、僕が代わりに出迎えることにした。


「いやぁ、一気にきな臭くなってきたねぇホント」


玄関先でコート脱いだアリスは、屋敷に入るなり僕のことを一瞬睨め付けるような視線でとらえたが、すぐにいつもの飄々とした姿に戻る。


「そういえば、そちらの仕事はどうだい?」

「ええ、順調ですよ。最終調整の前にお試しいただきたいので、来週にはお時間いただけるとありがたいです」

「流石、仕事タスクAAAエースリーは伊達じゃないってことだね」

「褒めるのは成果をみてからにしてください」


軽口をたたきながら彼女のコートを受け取ると、クロークルームの端に方に吊り下げた。少し血の匂いがするということは、そういうことなのだろう。


「そういえば彼女ダイナは?」

「いや、案件が長引きそうでね。彼女には資材調達を頼んでいる。夕飯前には戻るよ」

「なるほど。お怪我なかったようで何よりです」

「荒事も多少はね。それでは部屋に戻らせてもらう。少し疲れた」


クロークルームのコートに消臭剤を振りかけて仕事部屋に戻る。部屋に着く前に通知が一件端末に届いたが、前回の依頼主クライアントはたいへん満足してくれたようだった。



夕食。食事の準備が整ったらしく、ウサギが部屋へ呼びに来た。仕事道具を一端整理して食卓へ足を延ばすと、いつの間にか戻ってきたダイナと、食事の支度を終えたウサギがお喋りに花を咲かせている。


メイドが盛り上がる話題といえば、主人に対する悪口であるという偏見が僕にはある。


「どうした?」


ぼーと立ち尽くしていると、背後から来たアリスに呼び止められた。衝撃に備えて心の準備をしてから、アリスと共にえいやと部屋へ入った。


「旦那様、アリス様、こちらの席へ」


僕たちの姿に気付いたウサギが立ち上がると、それぞれの椅子を引いて着席を促す。アリスは、ほぅ!と一息漏らしながら、椅子に座るなり何やらニヤニヤとした様子で僕の顔を見てきた。


「求めるサービスが過剰すぎると、メイドに悪口を言われて廊下に突っ立ってる羽目になるぞ」


うっ……と言わずとも表情に出ていたが、すかさずウサギがフォローする。


「アリス様それは勘違いですよ。ダイナ様と化粧品に関してお話していただけです」

「いや、メイドが主人の悪口以外の話題で盛り上がることがあるのか」

「お嬢様、その認識は直ちに改めてください」


どうやら、ダイナが使っているアイシャドウが最近流行りの一品だったらしく、それに気づいたウサギが話しかけたらしい。悪口ではなく安心したが、どちらにせよ踏み込まなくて正解だったようだ。先ほどから何やら解説されているが何も理解できない。


「お化粧の話題って久しぶりで」

「私が使う化粧品は、実のところ彼女ダイナに選んでもらっているからな。そういう意味でいうと、話題についていけてないのは私も同じだ。……よかったな」


所在なく沈黙していると、急に話を振られた。何も良くはなかった。


「お嬢様はもう少し身なりに気を使ってください」

「……それじゃ、冷めてしまう前に食事を頂こう」

「話題そらしましたね?」


4人分の食卓はいつもより賑やかだった。「女三人寄ればかしましい」とはよく言ったもので、彼女たちの話題はふらふらとしながらも表情豊かに進んでいく。


一言でいえば、彼女たちは楽しそうだった。


しかしだ、アリスの口調は昨日の友愛的なそれではない。彼女は管理官としてこの場に同席していることは明らかで、つまり──。


「ところで、今日の現場からは実におかしなものが見つかった。恐らく君なら聞いたことがあるだろう。ミストレスコードというやつだ」


ミストレスコード。それは、とある研究で使われていた特殊なミーム専用の判別標識マーカーだ。


「病院の関係者からミームの分離に失敗した報告を受けてね。詳しく話を聞いてみると、どうやらまさかの大当たりだ。キミは戦時中、『テオナナカトル』に所属していたね?」


楽しい時間は終わった。過去が暴かれる。欲望が明らかになる。それは──僕自身ですら例外ではない。


環太平洋連合軍情報子ミーム臨時防疫部。特に、その中で「人類の超個体化に関する研究」を行っていたチームの名を「神ノ肉テオナナカトル」という。

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