失われた真実(1)

その日、門をくぐった人影は二つあった。


「しばらくの間──お世話になります。よろしく」


畏まった声と同時に少女の金髪が深々と揺れる。大型のスーツケース、金髪少女、戦闘用バイオロイド。旧市街地で起こったミーム汚染事故の調査協力を求められ、僕は彼女アリスに屋敷の一室を貸すことにした。


街外れにあるこの屋敷は旧市街地とほぼ面した場所にある。旧市街地あそこでマシな宿屋を探すくらいなら、確かにこの屋敷を選ぶほうが賢明だ。何より彼女バイオロイド──いくら職務に必要とは言え、あれを旧市街地に駐留させる行為は住民の感情を刺激しかねない。


空き部屋は十分にあるし、設備提供は仕事タスクとして受託された。何より見目麗しい女性2人と同じ屋根を共にするのだ。からの依頼に、俺は二つ返事で応えていた。


「彼女のことは『ダイナ』と呼んでくれ。特に深い意味はないが、何しろ私はアリスだからね」


アリスがにやりと笑うと、それに合わせて侍衛ダイナも一礼した。短冊を接ぎ合わせたようなワンピースドレス。その翡翠めいた深い色合いは、一見、軍の礼服のようにも見えるが、くるぶし丈のスカートには不釣り合いな長いスリットが入っている。


「よろしくダイナさん」

「こちらこそ。お嬢様共々よろしくお願いいたします」


握手はしない。個人の痕跡は残さないようにすることがミーム調査における通例である。当然、こちらもその流儀に則った対応を行うことがマナーとされている。しかし、滞在場所を提供する以上は指紋や毛髪は残ってしまうものであるから、端的に言ってこれは儀礼的な意味合いでしかない。


儀礼的な行為を儀礼的に避けることが何となく可笑しくなって、彼女ダイナの表情を思ったより長く見つめてしまった。


「私に何か──?」

「アリスがダイナを連れてきたら、不思議の国には入れないかもしれません」


ダイナはきょとんとした顔で僕の顔を見つめ、その横でアリスは大笑いしていた。スーツケースのハンドルに手をかけて、体をくの字に折るほど可笑しかったらしい。


「いや、確かにそうね! アリスにあるまじき失態だわ。仲良しの猫は置いてけぼり……」


不思議の国のアリスにおいて、ダイナはアリスの飼い猫を指す名前である。作中、アリスは不思議の国に連れていけなかった猫のことを何度も思い出す。


パチンと両手を行儀よく合わせるとアリスはニコニコとした笑みで僕の顔を見つめた。眼の端の笑い涙を拭って息を一つ吐くと、いつも通りの冷ややかな目をした彼女がそこにいた。


「でも、お気になさらず。ここにいるアリスは不思議の国を目指す少女ではなく、ましてや私はこの調査において端役だ。ただミームに詳しいだけの管理官に過ぎない」


悪戯めいた少女の顔でシニカルに笑うと、隣にいるダイナに目配せをする。


「それに、こっちのダイナもネズミ捕りの腕は一流だよ」


万が一、ミーム汚染が事故ではなかったとしてもね、と一言付け加える彼女はじっと僕の顔を見た。少し含みをもたせたような言い方にも感じられたが、それは僕の考えすぎかもしれない。


「部屋と設備の案内は、こちらのメイドから」


部屋へ案内するために、メイドのウサギが一歩歩み出た。あとは彼女に任せておけば大丈夫だろう。


荷台にまとめられた彼女らの荷物をぼんやりと見送って、僕は厨房で仕込んでいるローストビーフの具合を確かに行くことにした。



その日の夕食は客人を招いての食事となった。花の形に折られたテーブルナプキンが三つ。普段とは違い三人分の席が用意されている。


つまみのチーズを行儀悪く口に入れたタイミングで、彼女たちがひょっこりと食堂に顔を出した。


「悪いね。晩御飯までご馳走してもらって」

「僭越ながらご相伴させていただきます」


メイドに案内されて席に着くと、ダイナはどことなく落ち着かない様子でアリスの顔を見た。


「皆さんと仲良くできる機会を頂けて、こちらとしても嬉しい限りですよ。あと、ねぎらいの言葉は僕ではなく彼女にお願いします。僕は座っていただけですので」

「なるほど、ありがとう」


キッチンへ下がろうとするウサギが、手を振るアリスに気付いて軽く会釈を返した。


「ダイナさんはもしかして『家付き』のボディーガードですか?」

「はい。幼少の頃からお嬢様にお仕えさせていただいております」


この場合、どちらの幼少期なのかは判断に迷うところである。


「お飲み物はいかがいたしますか?」

「私は彼と同じシャンパンで。この子はできればノンアルコールの飲み物を頂きたいのだけれど」

「かしこまりました。ノンアルコールのスパークリングワインもございますが、そちらでよろしいでしょうか?」

「ありがとうございます。それをお願いします」


家付きとは、文字通り家庭で雇われている使用人を指す。由緒ある家系であれば、職場での護衛を兼任することも少なくない。仕事にもよるが、霞が関で働く上級国民の凡そ三割が家付きの護衛を同伴させている。特に管理官ともなれば、お飾りではない護衛が必要となる仕事も多いはずだ。


「実は彼女と私はほぼ同年代でね。ああ……心配しなくて大丈夫。私はこんな成りだが、そこまで年は取ってない。たぶん君と同じくらいかな?」

「そうだったのですね。そういえば、事前にお伺いはさせていただきましたが、ダイナさんは苦手な食材などありますか?」

「今となってはこんな体ですが、栄養補給は生身の頃とほぼ同じやり方で問題ありません。最初の頃は自由に食事ができなくて悲しかったですが、技術の進歩は素晴らしいですね」


図らずして疑問が解けた。バイオロイド、同年代、上級国民のペット、となればほぼ確実に文字通りの戦争経験者だ。もしかすると、当時の標的一覧チャレンジリストに入っていた可能性すらある。いつから戦闘用の素体だったのかは判別し難いが、少なくとも現在の素体は相当な高級品だ。


「そうね。むしろ、私の方が好き嫌いで困ることがあるくらいかしら」

「お心遣いありがとうございます」

「苦手な食材がないようでしたら何よりです。そういえばアリスさんが嫌いな食材は?」

「生のトマトがちょっと苦手なの。まぁ、食べられないってほどじゃないけど、青臭いトマトだとたまに遠慮するときもありますわ」

「確かに青臭いトマトは風味が気になりますね」

「ええ、子供っぽくて恥ずかしいのだけれど。私からも一つ。管理官としての口調よりも、こちらの方が馴染みやすいかしら? 貴方との会話はついつい仕事を忘れて素に戻ってしまうのだけれど」

「お話しやすいほうで大丈夫です。プライベートの口調も非常に親しみやすいですよ」

「あら、嬉しい」


ディナー用のコース料理をウサギが順に運んでくる中、アリスが機嫌よくダイナとお喋りする姿が目に映った。こうみると、アリスとダイナは仲の良い姉妹のようにも見える。お喋りな妹とそれに振り回される姉といった具合だ。


「私たちばかり話してごめんなさい。こういう機会でもないと、彼女がいつも遠慮してしまって」

「お嬢様と一緒に食事を頂くのはどうにも落ち着きません……」

「あら、反抗期かしら」


確かに反抗期かもしれませんね、と口をとがらして返すダイナの姿は見た目よりも子供っぽく見えた。着席したばかりのときに落ち着かなかった様子はそういうことらしい。身分差にこだわる環境であれば、むしろ別々に食事を取る方が普通だろう。


「姉妹みたいに仲が良くてうらやましい限りですよ」

「姉妹みたいだなんて、そういってもらえると嬉しいわ。もしかして……」


すーっと細めた目で、いぶかしむような視線が投げかけられたので慌てて訂正する。


「いえいえ、我が家も使用人との仲は良い方ですよ。むしろ、独りが寂しくて普段は一緒に食事をしてくれるようお願いしているくらいですから」

「旦那様、誤解を与えるような発言はおやめください」


あら、お邪魔だったかしらというアリスの呟きに「お気遣い感謝します。本日は先にお食事を頂いておりますので、お気持ちだけありがたく頂いておきます。今晩は是非旦那様とのご親交を深めていただければと思います」と、食い気味の返事が棒読みで返ってきて、アリスと一緒に笑ってしまった。


ウサギが運んできたカモのコンフィを口に運ぶ最中、「──そういえば」とアリスが話を切り出した。


「そういえば、『不思議の国のアリス』がお好きなのですか?」


彼女が投げかけてきたセリフに、ふと思考が止まった。アリス、ダイナ、ウサギ──ただの記号を寄せ集めた模造品。それどころか、最初の一歩が既に間違っている。不思議な国なんてありはしないし、僕がルイス・キャロルなわけでもない。


手慰み程度のトレースは不完全で、描きやすいところだけを書き込んだ似顔絵のようだ。素人が書いた不躾な贋作もどきであることは火を見るよりも明らかだ。


「えぇ……誰もが認める名作であることは間違いないと思いますよ」


当たり障りのない返事をしたつもりで、歯にモノが挟まった言い方になってしまった。僕はきっと彼女の問答から逃げているのだろう。


一口、どうも喉が渇いてアルコールを流し込んだ。彼女アリスはそれをじっくりと嬲るように見た後、ゆっくりと諭すような口調で独白する。


「私はとても好きです。『ラブレター』って感じがして。だから、あんなにも彼女アリスは物語を色彩豊かに踊るんですよ」

「ラブレター、ですか」


阿呆のように言葉を繰り返した。アリスの指先が触れたその下唇は、まるで恋話にときめく少女のように艶めいて見えた。

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