ハンプティダンプティ転んだ(3)
その友人と会うのは5年ぶりだった。
アリス──彼女はいわゆるキャリア組で、統一政府への出向から半年前に戻ってきた人員らしい。ミーム管理局安全管理課に配属されたものの、元々人のつながりがあった人事ではないらしく、当初は内部でも扱いに困っていたようだ。大多数の職員からは変人という扱いを受けているようだが、コミュニケーション能力はそこそこで職場には馴染んでいるとのことだ。
「お前を指定したのは、彼女だ」
ゆっくりと舐めるように焼酎を飲みながら、
後者に関していえば、どうも僕が何かを知っていると睨んでいるらしい。
寄せ集めの少年兵にすぎなかった僕たちが、運よく成果を上げ後方部隊の配属となり、知識階級に教育の機会を与えられ社会復帰ができた。それ以上何を──と言いたいところではあるが、実のところ僕はその研究成果を持ち出している。
理由……と聞かれても困るが、それはお土産みたいなものだ。彼らにとっては捨てる対象であり、僕にとっては拾う対象だった。
「旦那様、お帰りなさいませ」
考え事をしながら玄関をくぐると、夜遅くにもかかわらずウサギが立っていた。
息を少し切らしていた。既に仕事着から寝間着へ着替えていたようだが、車庫に車が入る音で気付いて玄関まで駆け付けてきたようだ。
「どうやら起こしてしまったようだ。帰宅が遅くなってすまない」
「こちらこそ、お見苦しい恰好で申し訳ございません。旦那様」
彼女はなぜか、ほっとした顔でその場に立ち尽くしていた。ゆったりとした生地の厚い薄緑色のネグリジェが、彼女の動作に合わせて落ち着きなく揺れている。
「気を使ったつもりだったが、むしろ逆効果だったか。業務時間外に飛び起こさせてしまってすまない」
頭を深く下げた。業務時間外のサービスも、寝間着の恰好で人前に出ることも、彼女としては本意でなかったはずだ。次からは出迎える必要はないよ、と断りを入れておいた。
「いえ、なんというか、その……私が旦那様を出迎えたい気分だったのです」
もじもじと落ち着きのない動作で、薄暗く照らされた彼女は目を合わせようとしなかった。顔を赤らめているようにも見えたが、間接照明の明かりではよく分からなかった。
「ありがとう。今夜は好意に甘えさせてもらうよ。柄にもないことを言うけれど、君に出迎えてもらえて僕も幸せな気分だ」
「お、お荷物お預かりいたします」
少し食い気味に返事した彼女に鞄を渡すと、その背中に「おやすみ」と一声かけた。書斎に鞄を運ぶ彼女の足は、いつもより少し早かった。
湯浴みを手早く済ませると、ベッドの上に寝ころんで端末を開く。今日のニュースを確認したところ、旧市街地で
未読のメッセージが残っていたが、僕は携帯を充電スタンドに置くとすぐ瞼を閉じた。何故だかよく分からなかったが、今日は「すみのいしき」にすぐ会えそうな気がしたのだ。
「ハロハロ旦那さま~」
彼女だ。いつも通りの軽い態度。彼女が何者であるのかは正直どうでも良い。問題は彼女が何を演じるためにこの場所へ来たか、だ。
「前回のことって気にしてますか?」
「ああ、気にしている。だけど問題はない」
夢か現実かもよく分からない世界で、僕は固くなった上体をのろのろと起こした。
「えー、私は旦那さまに嫌われたらイヤですよ!? 旦那さまはイヤじゃないんですか?」
口を突き出して、いじけたような顔で指先をツンツンと合わせている。彼女に嫌われたら僕はどうなってしまうのだろうか。泣き叫ぶのだろうか、縋りつくのだろうか、力尽くで奪い取ろうとするのだろうか──それとも、興味を失うのだろうか。
「正直に言うと君が好きだ。嫌われたくない。会えなくなるととても寂しい」
心の底から言葉を、素直な感情をそのままに彼女へぶつけた。旦那さま……と漏れる言葉が聞こえたが、僕はそれを遮るように言葉をぶつけた。
「けれど──それは僕の人生にどんな意味がある?」
絞りだした声だった。
「旦那さまは寂しくないのですか? 寂しいと、人間は、正気を保てなくなるんですよ?」
「分かっているさ。あぁ僕だって分かっている。寂しさを克服して誰かと肩を組んで、ああ最高の人生だったぁ!って泣きながら微笑んで──ふ、アハハハ何が楽しいんだ? 心が常に満たされていて、誰も彼もが僕の味方で、何も奪う必要なく与えられて、誰からも何も奪われることもない」
それで──良いじゃないですか。彼女の声は頼りなく、その小さな体はいつもより弱々しく見えた。
彼女はたじろいでいる。そうだ、僕は彼女と闘わなくてはならない。彼女の望みと僕の望みは違う。だからこそ、その全てを全力で否定しなければならない。
「僕の幸福は、お前の舌先三寸だ。苦しい、救ってほしい、愛して欲しい。ただそれだけのことを、ただがむしゃらに望んで、『最後に選ばれることを他人へ祈れ』とお前はそういっているのか? お前は僕を受け入れた。何故だ? お前はただ何となく僕を好ましいと思ったのか? 美味しいお菓子にでもみえたのか? 落としてしまったお菓子の運命を僕に説明させるか? 『お前の幸福を追求しろ』と書かれた看板は確かにあった。誰も見向きもしなかった!! 僕を見向きもしなかった。だから、自分、自分、自分、自分が!!! だから僕も、自分の殻に閉じこもった。だけど、だけどなぁ……」
幸福は不思議だ。僕は生きているだけで幸せだった。誰もが不幸そうな顔で僕をみた。だから僕も不幸そうに振る舞うしかなかった。邪魔な人間が消えるだけで幸せだった。僕は幸せそうに振る舞った。それが彼らには耐えがたい恐怖だった。
「自分の殻に閉じこもったのは痛みに耐えるためじゃない。未来永劫、お前が僕を選び続けるようにするためだ」
いつの間にか、僕の指先は血にまみれていた。僕は幸福にも、理由があればいくらでも命を奪える
「違うだろ、
自分だけでは手に入れることのできない理想を、ヒトはどうやって叶えるべきか。必要であれば奪え、必要であれば戦え、必要であれば泣き叫べ、必要であれば頭を下げて何度でも何度でも縋り付け。それだけで手に入る。それだけで何もかもが上手く行く。
甘い味を知りたければ、自分で飴玉を拾って舐めろ。それは口を開けて餌を待つよりよほど有意義な時間だ。
つまりは、こういうこと。
命をちゃんとすり減らせ。死ぬまでやって死ね。
「いしき。僕が君に教えて欲しいことは、この殻の破り方だ。この命の燃やし方だ。犯すでも殺すでも、なんでも好きに僕を
終わることのない闘争と、飽きることのない世界に、僕を導いてくれ。
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