第25話 想定外

 色とりどりの花々が咲き乱れる大地。深い緑色を帯びる悠久の大河がその大地を分断し、岸辺には様々な動物たちの姿が見える。水を飲み、草をはむ。その様子がナチュラルで美しい。


 遙かな高みにある空からの視点。


 長いブロンドの髪を携える一人の裸婦が、いつの間にかそばにいる。


 誰?


 裸婦は、透き通る青い瞳をわずかに細めて微笑むと、小さなくしゃみをした。


 ちょっと可笑しかった。


 裸婦の肩を引き寄せようとした瞬間、その顔がクジュの顔に変わった。


 えっ?


 クジュの顔がみるみる曇っていく。


 違う! 今のは違う! クジュ! クジュ!


「う、うう……はっ!」


 目が覚めた瞬間、何も見えなかった。暗闇という不安に飲み込まれそうになったとき、全身を覆う馴染みのある柔らかな感触と匂いとが、かろうじて私を引き留めた。


 んん、ベッド……?


 視覚が暗さに慣れ始め、月が見えた。その月明かりで窓の輪郭を認識できるようになると、そこを起点とする部屋の全体像がぼんやりと頭の中で再現された。


 ここは、俺の、部屋か……


 意識が少し混濁しているようだった。


 うう……何なんだ?


 目を閉じて、ゆっくりと何度か深呼吸をしてみた。


 なんとか落ち着いたと思い、とりあえず体を起こそうとすると、頭痛が走った。右手でこめかみを押さえながら、ベッド脇の小テーブルにおいてある目覚まし時計を探り掴んだ。時計には20:17と表示されていた。


 普段ならまず寝ていることのないその時刻が、私の記憶を急速に呼び覚ました。

 そうだ、遺跡だ、ピラミッドだ! 俺はピラミッドにいたはず!


 すぐさま起き上がろうとしたが、体が重くて思うように動けない。しかしそれでもあきらめずに手と足を動かそうとしていると、体の感覚が徐々に戻ってきた。


 私は、掛けられていた毛布を脇にどかし、両足をずらしてベッドからできるだけはみ出させて、身体をベッドからずり落とした。ベッドの側面に背中をもたれながら床に座り、よっ! というかけ声と共に、左手をベッドの上につきながらなんとか立ち上がった。


 私は、部屋のドアの方に歩き出し、ドアを開けてリビングの方に向かった。リビングの方は明るく、なにやらガヤガヤとしていた。


 何だろう?


 リビングには、ケンタの他に見知らぬ数人の若者がいて、ソファにクジュが座っていた。テーブルの上には、3台の黒いラップトップと、いくつかのポータブル型ハードディスク、そして他にも、よく分からない何かの機器が乱雑に置いてあった。


「あっ、兄貴!」


 私に気づいたケンタが、開口一番でやってきた。


「大丈夫か、兄貴!」


「ああ、大丈夫だ。それより……」


 私は、クジュのもとに急いだ。若者たちの間をぬうようにして、彼女の正面にまわって腰を降ろした。


「クジュ!」


 呼びかけても反応がなかった。というか、静か過ぎる。なんだ? 瞬きすらしていないような……


「兄貴、それは御木さんやない。御木さんに似せたロボット、いわゆるアンドロイドや」


「なんだって?」


「御木さんは今、〈シルティ〉の本部にいる。レイも一緒や」


 シルティ? また初めて聞く単語だ。だが、そんなことは今はどうでもいい!


「クジュは、彼女は大丈夫なのか!?」


「……分からへん。まだ意識が戻らんらしい」


 トーンダウンしたケンタの言葉が、その重い衝撃が、私を突き貫いた。


「意識が戻らないって……そんな……」


「脳波以外はすべて正常みたいやけど、とにかく今は待つしかないそうや」


「待つだけ? くっ、ケンタ、あの出来事は、あれは一体何なんだ?」


「今は何も言われへん。あそこにあんな仕掛けがあるなんて、今回初めて分かったことなんや」


「俺たちは、どうなったんだ?」


「兄貴が球状体に閉じこめられて打ち上げられた後、レイが自らの力で強引に御木さんによる拘束を解いたんや。そしたら、御木さんがその場に倒れてもうて。たぶんそのときに球状体も崩壊したんやろな、兄が落ちてきたのをレイが気づいて、ほんで俺とレイの二人で兄貴を助けたんや」


「崩壊して落下!? そうか、そんなことが……また助けてもらったな、ケンタ」


「いや、当然のことをしただけや。でも、こうして無事でほんまによかったわ」


「それでその後は? クジュはどうなったんだ?」


「ピラミッドの方は元通りや」


「元通り?」


「ああ、巨人たちは柱を元の位置に戻して、ノーマルたちもピラミッドを作り直して、それが終わったら白いブロックに分解されて、またふわふわと浮びだして、球状体もいつのまにか再構築されとった」


 すべてが元に戻った? あれだけのことが起きた後で? それが一体何を意味するのかは、私には全く分からなかった。


「俺とレイはその間、気を失っている御木さんと兄貴をとりあえずピュレの宇宙船に運んだんや。ほんで二人の身体をスキャンしてもろて、兄貴には特に異常は見当たらなかったんやけど、御木さんは……」


「クジュがどうした?」


「どうやら、ブレインドライブをかけられとるみたいなんや。御木さんの眉間に張り付いている、あの白い玉に」


「ブレインドライブ?」


「なんらかの情報が、白い玉から御木さんの脳に直接伝達されとるんや」


「そんなもの、すぐに止めさせればいいだろ?」


「あかんねん。触手みたいなもんが白い玉から伸びてて、御木さんの脳とすでに一体化しとるんや。分離させようとして下手に触ると、御木さんの脳に大きなダメージを与えかねない。ピュレの宇宙船ではこれ以上は手に負えんというわけで、御木さんをシルティの本部に移すことになったんや」


「そ、そんな……」


 何か悪い夢でも見ているような気持ちだった。すぐ脇にいるクジュのアンドロイドの精巧さが不気味に思えた。


「すまん兄貴、こんなことになってしもうて、全部俺のせいや……」


 これまでほとんど見せたことのない意気消沈としたケンタの表情が、クジュにとって重大な事態が発生したことを物語っていた。


「御木さんは、少なくとも意識が戻るまでは家に戻られへん。いや、たとえ意識が戻ったとしても、しばらくの間は普通の生活には戻られへんかもしれん……」


「普通の生活には戻れない? それはどういう意味だ?」


「特例が適用されて、御木さんは急遽〈シルティ〉のメンバーにされたんや、レイが保証人になって」


「シルティ? メンバー?」


 さっきから何度も出てくるそのシルティという単語が、ようやく気になり始めた。


「あぁ、こんな形で話をせんなんとは……」


 ケンタはため息をもらしながら、私をキッチンの方に行くように促すと、三人の若者たちに作業を続けるように言った。

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