第17話 加護
私は走った。それが今の私にできる全てだった。
クジュ! クジュ! クジュ!
心で叫んだ。ケンタやセブンスのことはもはや頭になかった。
壁だ! 彼女の壁に! 彼女と奴らの間に出られればいい! それでだけでいい! 頼む、神よ!!
次の瞬間、私の中の何かが弾けた。
辺りが突然真っ白になり、私の目の前に、大きな壁状のものが横一列にずらりと並んで現れた。
「な、なんだ? 一体何が?」
右端の壁には、テロリストに銃を向けられているクジュと子供の姿が映し出されていた。よく見るとそれらの壁は、どうやら時間軸に沿って並べられていて、左に行くほど未来のことが反映されているようだった。その位置からは左側の壁の終わりは見えなかった。
「兄貴!」
後ろの方からケンタの声が聞こえて振り向いたとき、私は思わず目を見張った。そこには、体の大きさも毛色も様々な、おそらく少なくとも100は下らない数のヌースたちがいて、その中にケンタとレイがいた。
「このヌースたちは? ケンタ、お前が呼んだのか?」
「いや、俺やない、呼んだのは兄貴や」
「俺が?」
「そうや、ここにいるヌースたちは皆、御木さんを助けたいっていう兄貴の心に共感したんや。兄貴を助けに来てくれたんやで!」
ヌースが私を助けにきた? それは一体……
「兄貴、ぼやぼやしている時間はないで! ここは余剰次元や。俺らは今、普段いる三次元世界とは違う別の次元に入っとる。これは、セブンスの能力の一つ
「マニピュレート?」
「まったく、目覚めるのにえらい時間かかったくせに、目覚めたとたんにこれやからな、成長早過ぎや! マニュピレートはかなり高度な技なんやで」
「高度な技?」
「ああ、これを使えば、人の運命を変えることができるかもしれへんねん」
「何!? まさかクジュの運命を変えられるのか?」
「カットインと同じで絶対やない、うまくいけばや。しかもこれは一発勝負や。この次元に居られる時間はせいぜい5分くらいやから」
「どうすればいい?」
「先ず、御木さんが撃たれるときから、いつものオフィス街の様子に戻るまでの運命を担う、たぶん数十枚くらいの壁を、今から俺とレイで全部ぶっこわす。兄貴は、その壊した壁の代わりに、新しい運命を担う壁をヌースと共に創りあげるんや」
「ヌースと一緒に創る?」
「兄貴は、新しい運命のストーリーを考えるだけでええねん。あとはヌースたちがやってくれる。せやけど、あまりにも突飛で現実味のないストーリーはあかん。マニュピレートの成功の鍵は、元の運命を騙せるかどうかにかかっとる」
「運命を騙す?」
「そうや、おかしなストーリーやとすぐ感づかれて拒否られる。そうならんのは元の運命と同じ確率で起こり得る運命だけ、つまり〈同様に確からしい未来〉だけや! もう時間がない、行くで!」
ケンタとレイが呼ぶと、灰色のヌースが四体やってきて、二体がペアとなって大きなハンマーに変身した。
「よっしゃ、いいかレイ! いくでえ、オラオラオラオラァ!」
ケンタとレイが、それぞれのハンマーを上下左右に大きく振り回して、運命の壁を次々と破壊していった。
「兄貴、意識を集中させてストーリーを強く思い描くんや、そうすればヌースは動き出す!」
「くっ、そんなことを急に言われたって」
同様に確からしい未来だと? そんなもの一体どうやって創ればいい? 今から機動隊員が駆けつける?
いいや、それでは遅すぎる。道が混んでいるこの時間帯じゃ、到着するまでおそらく少なくとも10分はかかる。その間にクジュは殺されてしまう。それなら、地面に急に大きな穴ができて奴らが落ちるとか?
いやだめだ、こんなの飛躍し過ぎていて、下手をすればクジュまで大怪我をしてしまう! ああくそっ! 一体どうすればいい?
「兄貴、迷うな! 迷ったらヌースが動かれへんようになる! 自分をもっと信じるんや!」
自分を信じろだと? 信じるも何もこんなの、チクショウ! 俺がもっと早く覚醒していれば! あいつが何を言おうとクジュの運命に予めカットインして……え? 待てよ、予め?……そうか、その手があった!
私は、右の手のひらを壁の方に向けて右腕をまっすぐに伸ばし、左手を右腕の関節の辺りに添えた。
「やるしかない! 力を貸してくれ、ヌース!」
私は、自分が想定し得る限りの細部を含む、あるストーリーを強くイメージした。すると、ヌースたちが、ケンタたちによって壊された壁の方に一斉に駆けだして、それぞれが一瞬で一つのブロックとなり、ものすごい速さで積み上がっていった。壁は、次々と再構築されていった。
「おおおおお!」
「兄貴、急げ! もうすぐこの次元が閉じるで!」
私はストーリーの創出と推考とをでき得る限りのスピードで交互に繰り返していた。そうすることがそもそも必要なのかどうかも分からなかったが、齟齬や抜けがないかどうかを意識しながら、私は自分の心の赴くままにストーリーを創っていった。そうした私の背後には、常にクジュの笑顔があった。
(あと少しだ、もう少し!)
最後の壁が見えたとき、私は渾身の創造力と願いをヌースたちに込めた。壁の中央部分の空間に最後のヌースが飛び込み、全ての壁が完成した。
「これで、どうだ!」
「すごいで兄貴! こんなに緻密で正確なマニュピレートを見たことない! まさに完璧や! あとは委ねるしかない、運命に!」
そのとき、元の景色が私たちを取り囲み、時は再び動き出した。
クジュに銃口を向けたテロリストの一人が、薄ら笑いを浮かべて言った。
「おやおやお嬢さん、子供を助けに来たの? 母親かい?」
「やめてぇ! お願い、子供を撃たないで!」
歩道で泣き叫ぶ中年女性の姿があった。
「あっちが母親か。ふーん、じゃ、あんたは他人? 偉いねえ、勇気があるねえ。だけど俺は、そんな風にいかにも私は正しいことをしていますって顔をした奴が大嫌いなんだよ!」
クジュは男を睨みつけながら、子供を背後に隠した。
「それそれ、そういう行為よ。自分はどうなっても子供だけは守るってか? ははは、そんなことしなくてもいいんだよ、だって今ここで二人とも死ぬんだから!」
男がクジュにねらいをつけて引き金を引こうとしたとき、
ブゥーーーン、ガン!
黒い陰が男の銃を襲い、銃口がクジュから逸れた。
「なんだ?」
男が視線を上げると、ブンブンとうなりを上げる一機のドローンがいた。ドローンは急上昇した後、急降下して男の顔めがけて突っ込んできた。
「う、うわ!」
男はなんとかそのドローンをかわしたが、ゴンッと鈍い音がした。男が後頭部を手でおさえながら振り向くと、そこにもう一機のドローンがいた。
「な、なんなんだこいつら?」
男はいつのまにか5、6機のドローンに囲まれていて、もう一人の男も同じように複数のドローンに囲まれていた。
「なるほど、AI制御による高速ドローンか! 考えたな兄貴!」
AIを活用した犯罪予測システムが実用化されつつあり、その成果は着実に上がっていること。またドローンについても、今ではAIによる自動制御で時速百キロを優に超えるスピードで飛行することができるようになっていることを、私はネットやテレビ、新聞等で知っていた。私が創出したストーリーとは、AIによる犯罪予測システムと高速飛行型のドローンとを組み合わせてテロ行為を妨害するというものだった。
(人間の力だけでこのテロを防ぐことは難しい。だがもし、このテロ行為が、AIによってすでに予測されていたものだとしたら、奴らが犯行におよんだ直後に、それを阻止することもできるはずだ!)
テロリストたちは、犯行後に自爆でもするつもりだったのか、顔を隠そうともしていない。さらに、銃社会がまだ浸透していないこの国では、銃の入手ルートはある程度絞られることになるだろうし、大型のライフル銃は結構大きな荷物となり、持ち歩こうとするとどうしても目立つ。
こうした条件がそろっていれば、例えば、過去の犯罪者や、銃の流通経路などに関するデータべースにアクセスしつつ、監視カメラの画像を照合することによって、犯人と犯行の種類をリアルタイムで予測することが可能となる。そしてさらに、その予測結果に合わせて、自動制御の高速ドローンを予め待機させておくことも。つまり、これらの事実に基づいて考えれば、私の創ったストーリーは、〈同様に確からしい未来〉と言えなくはない。
「く、くそっ! こいつらどこまでも追ってきやがる!」
テロリストたちの容姿の特徴は、監視カメラの映像を介してAIによってすでに細部まで記憶されており、しかも監視カメラは街中のいたる所に配備されているため、どこに逃げても犯人たちの位置を特定することができた。
テロリストたちがドローンに気を取られている隙に、私はクジュの元にたどり着いた。
「クジュ! こっちだ、さ、早く!」
「あっ? リョ、リョータ!」
私は、子供を抱えたクジュの後ろをかばうようにして、クジュたちを歩道の方に向かわせ、テロリストからは見え難い植え込みの裏に隠れさせた。
「リョータ!」
クジュと私は、言葉よりも先に強く抱き合った。
「あのテロリストたちは?」
「大丈夫、あいつらはもう、あの運命からは逃れられない」
「え?」
8機のドローンが、テロリストたちの前でブンブンと飛び回りながら、みごとな連携でヒットアンドアウェーを繰り返していた。そして、前方にのみ注意が向いているテロリストの後ろから、二機のドローンがものすごい勢いで飛んできた。
ガンッ! ガガン!
2機のドローンのそれぞれが、テロリストの背中に激突した。テロリストたちは前のめりになって道路に倒れると、その痛みでしばらく立ち上がれない状態になった。
「銃から手を放せ! お前たちは我々によって完全に包囲されている!」
犯人たちがドローンとやり合っている間に、20人ほどの機動隊員が到着し、犯人たちの周りをすでに取り囲んでいた。
「くそっ! くそっ! くそっ! こんなはずじゃ、こんなはずじゃ」
テロリストたちは、道路に這いつくばったまま、銃からゆっくりと手を放して頭の上に乗せた。
そのとき、オフィス街に歓喜の渦が巻き起こった。惜しみない拍手と歓声が機動隊員たちに送られた。
「ワオオウ! イエエエイ! やってくれたぜ機動隊! よっしゃあ! 俺たちも、この熱気に乗ってライブ再開だぜ!」
さきほど路上ライブをしていた若者たちが、再び奇声を上げて人々を煽りだした。
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