第15話 カットイン
ロビーの中央に備え付けられているインフォメーションパネルを見ると、時刻は始業開始の2分前を指していた。
「うわっ、やばい。じゃ、俺は行くからな。送ってくれてありがとな」
私は、ちょうどやってきたエレベータに急いで乗り込もうとした。
「待て兄貴、セブンスの力を弱めてからや」
「え?」
「この世界での運命を受け入れる。心の中でそう思うだけでいいんや。強く思えば思うほど、セブンスの力は弱くなる」
運命を受け入れる。それは、なんとなく重みを感じさせる言葉だった。目を閉じて静かにつぶやくと、いつもの朝の喧噪が私を取り囲んだ。
「なるほど、これでほぼ普段の状態に戻ったというわけか。よしっ、それじゃ行ってくる」
ケンタとレイにそう言うと、すでにいっぱいになりつつあったエレベータに急いで飛び乗った。私が所属する部署のある十五階に到着すると、エレベータを出て猛ダッシュした。入り口のカードリーダに自分の社員証であるICカードをかざすと、カードリーダの表示パネルには、出社時刻:09:00と表示された。
ぎりぎり間に合った。私は、ふうっと一息着くと、扉をあけて中に入り、セミクローズドブースにある自分のデスクに向かった。
「よお兄貴、待っとったで」
私のデスクの椅子にケンタが座っていて、そのすぐ脇にレイが立っていた。
「なっ、ケンタ!? お前、ここで何をしてる?」
思わず声をあげると、周りの視線が一斉に私の方に向けられた。
「あっ、いや、皆さん、すみません。なんでもありません」
そう言って周囲に頭を下げたあと、私はケンタに小声で早口で言った。
「どういうことだ? 家に帰ったんじゃなかったのか?」
「初めはそのつもりやったけど、まあせっかく来たんやし、兄貴の仕事でも見ていこうと思て。勿論俺とレイは、こうしてセブンスのままでいるから迷惑はかけへんよ」
「でもどうして俺のデスクがここだとわかった?」
「兄貴のいる部署は、以前兄貴にもらった名詞で知っとったし、席は机の上を見たら一発で分かったわ」
私の机の上は、周りの誰の机よりもきちんと整理されていた。その習性は子供のころからで、ちらかっている雑然とした感じを私は好まなかった。中学生になって自分専用の勉強机が与えられると、私の机の上はいつもきれいに片づけられていたが、同じように中学生になって与えられたケンタの机は、本やゲームやフィギュアやらでいつもごちゃごちゃしていた。
ケンタが席を立ち上がると、レイと一緒にフロアの中をぶらぶらと歩き出した。レイの方は特に興味はないという感じだったが、ケンタは物珍しそうに、他の人の机や、先週末のミーティングで使用したホワイトボードの書き込み、そして様々な書類や書籍が置かれている棚などを見て回っていた。
それはかなり奇妙な光景だった。明らかにこの場の雰囲気から浮いている二人に対して、私以外は誰も注意を向ける様子がなかった。周りがあまりにも普通なので、幾分滑稽ですらあった。
10分ぐらいすると、ケンタとレイは私のブースに戻ってきた。
「なかなかええ感じの職場やな。きれいやし、それなりに活気もあって」
「そうか、ありがとよ。もういいだろ? 早く帰ってくれ」
「まあまあ、そう急かさんと。そうや兄貴、一つおもろいこと試してみいへんか?」
「おもしろいこと?」
「ああ、さっきもちょっと説明したけど、俺らセブンスは人の運命と関わらんようにすることができるだけじゃなくて、逆に、それまで以上に人の運命に関わることもできるんや」
「なんだって?」
「なあ兄貴、兄貴はこの会社でどうなりたいんや?」
「どうって?」
「例えば、もっと出世したいとか、こういう仕事をしてみたいとか」
「出世……か」
出世そのものに興味はなかったが、私は実は以前から、この会社の主力である第一グループの仕事をしてみたいと思っていた。もしそのグループリーダーになれれば、今よりもっと効率良く仕事を回して、さらに高い品質の製品とサービスを生み出せるのにと。今の自分には到底無理な話だと自嘲しながらも、内心では真剣にそう思うことがあった。
「なるほど、分かったわ。そんじゃ兄貴、自分がそのグループリーダーになっているところをイメージしてみ」
「イメージする?」
「そうや、強く、真剣に思うんやで」
一体何のためにそんなことをするのか? しかしそいうい猜疑心はとりあえずどこかにおいて置けば良いと思った。ケンタの意図は不明だが、セブンスに対する私の関心は、もはやあらゆるものに優先していたのである。
普段ならさっさとPCを立ち上げて、メールやスケジュールの確認をするところを、私はケンタの言うとおりに、私が第一グループのチームリーダーとして仕事をしているところを思い浮かべてみた。
(私がリーダー……第一グループの……新しい……リーダー)
そう心の中で念じているうちに私の中に再び、マンションで初めてレイを見たときや、空に浮かぶあの巨大な物体をみたときの感覚が蘇り、いままで経験したことのない力の高まりを感じた。
ビーン、ビーン、ビーン……
何かの警告音にも似た音がどこからともなく聞こえてきたとき、突然時間の流れが止まり、私の周り空間が無数のブロックに分割され始めた。ブロックのそれぞれは、周りの景観の一部を切り出してできたたようなもので、人や物の一部を含んでいた。
そして、周りのすべてがブロックに分割されたとたん、それらのブロックが行及び列ごとに上下左右に移動し始めた。その動きは高速で、ルービックキューブを回転させるときの動きに似ていたが、全体の様子は、ばらばらになっていたジグゾーパズルが、まるでそれぞれが意思をもつように自発的に組み合っていくような感じだった。
ビーン、ビーン、ビーン。
音が鳴り止んだとき、最後のブロックが所定の位置に納められ、周りが元の景観に戻ったように見えた。
「さあ兄貴、終わったみたいやで」
「終わった?」
「そうや、早くセブンスの力を弱めて、さあさあ、仕事仕事!」
「あ、ああ」
なんだったんよ一体? 釈然としない気持ちを抱きながら、デスクのPCに向かったとき異変に気づいた。
「あれ? PCが二台ある。しかも専用のプリンターまで……」
それは、これまでのデスクの状態とはあきらかに違っていた。これまでのブースには、二台のPCとプリンターをおけるスペースなどはなかった。
(もしかして、俺のブース、前より少し広くなってる?)
そのとき、一人の女性社員が私のブースの中に入ってきた。
「失礼します。おはようございます、久保リーダー。この書類の検印をお願い致します」
「は? リーダー?」
その女性は、きょとんとした顔で私を見ていた。
「……あの、久保リーダー、どうかなさったんですか?」
「リーダーって、私が?」
「他に誰がいるんです?」
女性が首を少し傾げたとき、女性に差し出された書類に私の目が止まった。そこには、書類の初めに太字で記載された「第一グループリーダー」の文字が、私の名前の横にあった。
「ま、まさか!」
私はその書類を女性から半ば奪うようにして取ると、睨みつけるようにして書類に目を走らせた。
「? あの、久保リーダー、それではお願いしますね。済みましたらまたお呼び下さい」
女性社員はそう言うと、いぶかしげな気持ちを笑顔で無理矢理取り繕うようにしてブースを出て行った。
「おっ! 兄貴おめでとう! たった数分でグループリーダーに昇格か。こりゃ社長も夢やないな、マジで」
ケンタがうれしそうに拍手をしながら言った。
「な、何が起きたんだ?」
「何って、兄貴が望んだとおりになったんや。よかったやないか」
「望んだとおりって、まさか本当に俺が第一グループのリーダーになったっていうのか?」
「そうや。さっきの女の人もそう言うとったやないか」
「そ、そんな?」
まさかという言葉が私の中で止めどなく反響していた。ほんの数分前までの私は、会社の中でもほとんど目立つことのない第二グループに所属するサブリーダーの一人に過ぎなかった。その私がいきなり、会社の花形部署である第一グループで、しかもそのリーダーになることなど、普通ならまずあり得ないことだった。
「ちょっとまて……じゃ、渡辺さんはどうなったんだ?」
「渡辺さん? 誰やそれ?」
「これまで第一グループのリーダーだった人だよ」
「前のリーダーか。兄貴が昇進しとるなら、その人も昇進しとるんやないかな、知らんけど」
私は、武田部長のブースを見た。しかしそこには、以前と変わらない武田部長の姿があった。
「まだ部長にはなっていない」
次にすぐさま私はPCを操作して、リーダー以上の者が記載される社員名簿のデータを呼び出し、渡辺氏の名前を探した。しかし、その名簿には渡辺氏の名前はどこにもなかった。
どこだ、どこにいる? 支社の幹部の名簿が入ったホルダを開こうとしたとき、後ろから聞き覚えのある野太い声がした。
「失礼しまーす。久保リーダー、郵便です。ここにおいておきますね」
「えっ?」
振り向くとそこに、清掃作業員と同じ作業服を着た一人の男性がいた。その男性は……渡辺さん、だった。これまでとあまりにも違うその格好と雰囲気で少しだけ戸惑ったが、その声と顔つきは、間違いなく渡辺さんのものだった。渡辺さんは、たくさんの郵便物を載せた手押し運搬台車を押して行こうとしていた。
「あっ、ちょっと待って! あの、渡辺さん、ですよね?」
「は? ええ、そうですけど、どうかしましたか?」
「いやその、渡辺さん、そこで一体何を?」
「何って、郵便物の集配じゃないですか。また午後に来ますけど、今何か出しておくものとかありますか?」
「集配って、なぜそんなことをしてるんです?」
「そんなことって、そういう言い方はないでしょう」
「え? あっ、す、すみません」
「まあいいですけど。私、この会社に入ってからずっとやってますからね」
「ずっとですって?」
「ええ、もう七年目です。郵便物がなければ失礼しますよ。これでも結構忙しいんですからね、へへへ」
にこやかにそう言うと、渡辺さんは、運搬台車を押して他のブースへ行ってしまった。
ケンタが渡辺さんの後姿を見送りながら言った。
「あの人が前のリーダー? あーあ、かわいそうに。兄貴の運命にはじき出されて、なんとかぎりぎり会社に残ったっていう感じやな」
「俺の運命にはじき出された?」
「ああ、これがセブンスの能力の一つ〈カットイン〉や。日本語で割り込みいう意味やな。兄貴は、あの人の運命に割り込んでその地位を横取りしたんや」
「横取りだと!?」
「そうや。これからは兄貴が、あの人に代わって、リーダーとしての運命を背負って行くんやで!」
「馬鹿な! ケンタ、よくもそんな無責任なことをお前は平気で、くそっ!」
私は再び意識を集中し始めた。
「兄貴、もしかして元に戻そうとしてるんか? やめとき、おそらくそれはもうでけへんで」
「なにっ、なぜだ?」
「兄貴の今の運命が、周りの運命に容認されてるからや。それと、その渡辺さんていう人の運命もな」
「容認?」
「ああ、〈カットイン〉は、やれば必ずできるっていうもんやないねん。例えば、総理大臣とか大統領とか、あまりにも分不相応な立場に割り込もうとすると、逆に、その立場にいる人間の運命やその周りにいる人達の運命に弾き飛ばされてしまうんや」
「じゃ、俺がリーダーになれたっていうのは」
「そう、少なくともこの会社で働く人たちの運命が、割り込んできた兄貴の運命を認めているということなんや。ま、さすが兄貴やな」
「でも、じゃあ、渡辺さんは?」
「あの人はあの人でまた、ああいう形でその運命を周りに認められとる。せやから、たとえ兄貴がまた誰かの運命にカットインして元の地位に戻れたとしても、渡辺さんまで元の地位に戻るとはかぎらへん。っていうか、今のままでいる方がはるかに可能性は高いやろな」
「そ、そんな……」
「兄貴、そんなに深刻に考えることはないで。おそらく、遅かれ早かれこうなる運命やったんや。あの渡辺さん言う人も、あれでも結構楽しそうに仕事しとったやないか」
その後もケンタは私に何かいろいろと話をしていたようだが、ほとんど耳には入ってこなかった。ショックによる放心状態だった。ふと脇の方に目をやると、レイが、新しく入った二台目のPCでソリティアをして遊んでいた。
「は、ははは……」
除々に湧いてきた得体の知れない罪悪感が、うす気味悪い笑い声となって私の口からこぼれた。私は、ケンタの話を遮ると、ふらつくようにして武田部長のいるブースへと向かった。
「あの、部長、ちょっとお話があります」
それから二時間ほど、私と武田部長は別室で話をした。
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