第10話 すれ違い

 次の日の日曜日、ケンタは午後2時過ぎまで部屋から出てこなかった。


 私はリビングで、昨日発生した爆発事故のニュースを見ていた。警察の調べによれば、引きこもっていた化学系の学生が、ネットで購入した薬品をつかって爆弾をつくり、講義室の真ん中でそれを爆発させたということだった。多数の死傷者を出しており、爆発の中心にいた犯人はそのまま死亡。爆発事故は、無差別テロとでも言うべき大事件に発展していた。


 テレビには、事件のあった講義室の様子が映し出されていた。窓ガラスはほとんどなく、あったとしても窓枠の隅にわずかに残っているだけで、それはまさに爆発のすごさを克明に物語るものだった。


(あの中にいて無傷でいることなんて……)


 そのとき、ケンタが部屋から起きて来た。ケンタは、テレビを見ている私を一瞥し、関心などないという顔をしてキッチンに向かった。ケンタは、冷蔵庫の扉を開けて、中からミネラルウオーターを取り出し、ゴクゴクとそれを飲んでいた。


 事件のことを聞いてもたぶん何も答えないだろう、ケンタの態度にはそういう雰囲気があった。


「なあ、ケンタ」


「何?」


「変なこと聞くけどさ、ここのカーテン、替えたか?」


「え? いや、俺はそういうことはせえへんな。なんで?」


「いや、昨日、クジュが来たときに言ってたんだ、ここには女性の感性が漂ってるって。他にも小物類とか、壁の絵とか。でも、俺にはそういうのを買ったりもらったりした覚えは全くないし、ということはケンタ、お前だよな?」


「ふーん、どうやったかな」


 ケンタはそれ以上なにも答えなかった。想定していた言葉を聞くことができず、私の胸の奥に何かが溜まりだした。


「ここの椅子だってそうだ、なぜ三つある? ケンタ、何か知ってるか?」


「何か知ってるかやって? 兄貴、一体どうしたんや? ここは兄貴の家なんやで、そんな質問おかしいやろ」


 ケンタの言葉は、私をはぐらかしているように聞こえた。持っていたミネラルウオーターを冷蔵庫に戻そうとして、ケンタが私に背中をむけた瞬間、私は大声で言った。


「ケンタ! おまえ、セルブロだったのか?」


 少し驚いたように、ケンタは私の方に振り向いた。


「それ、誰に聞いたんや?」


「昨日、クジュが言ってたんだ。今から四、五年前に、すごいセルブロがいたって。名前は、Kenpokosan。それって、おまえのことだろ?」


 ケンタは口角を少しだけ上げて言った。


「ああ、そうや」


「なぜ黙ってた?」


「兄貴とばあちゃんに心配かけたくなかったんや。当時はまだ、セルブロは遊びの延長ぐらいにしか思われていなかったし、勉強もしないでそんなことしてって、ばあちゃんが知ったらきっと怒るだろうなって」


「ケンタ、今更よくそんなことが言えるな。ばあちゃんが亡くなったとき、おまえは一体どこにいた? 全く連絡が取れなくて、俺がどれだけ心配したと思っている!」


「あんときは、本当にすまなかったって今でも思てる。でも、仕方なかったんや」


「仕方がない? ケンタ、一体何をしていた?」


「それは……」


 ケンタはそのまま黙っていた。


「ケンタ、答えろ!」


「……それは、俺がセルブロになったことと関係してるんや。詳しいことはまだ言われへんけど。でもな、セルブロになったんは兄貴のせいでもあるんやで」


「どういうことだ?」


「俺、兄貴が医学部へは行かん言うたとき、ほんまにびっくりしたんや。俺とは違って、兄貴は小さいときからすごく勉強ができたし、特に母さんは、めちゃくちゃ兄貴に期待しとったからな」


「ケンタ、その話はやめろ!」


 私は、思わず声を荒げた。


 決して押しつけるようなことはなかったが、母親が私にも医師になって欲しいと思っていたことを、私は幼いころから知っていた。


 だが私は、受験のときに、ぎりぎりになって医学部ではなく工学部を選んだ。医学ではなく工学、特にロボット工学やプログラミングのことを学びたいという気持ちに逆らえなかった。今でもその決断に後悔したことはない。


 しかし、母親がいなくなったことをいいことに卑怯なことをした、母親の期待を裏切った、という後ろめたさのようなものがあったことは事実だった。私はそれを、大学で勉強や研究をするための発憤材料として用いることで、自分を慰めてきた。


「いいや、言わせてもらうで、俺、そんな兄貴を見て思ったんや、兄貴は自分の人生を生きようとしてるんやって。だから俺もやりたいことをやろうと思ったんや。兄貴はいつも俺のお手本だった。セルブロになったことは後悔してへん。だって、それが俺の人生の求めていた答えの一つだったんやから」


 ダン!


「もういい、やめろって言ってるだろ!」


 私は右手でテーブルを思い切りたたいた。一瞬で、静寂が部屋全体を覆った。


「……ごめん、兄貴。でも、兄貴は今、すごく混乱してる。俺が何を言っても今の兄貴は信じへんと思うし、それどころか決して払拭できない不信感を俺にもつようになるかもしれん。もしそうなったら、これまでしてきたことが全部無駄になるんや」


「これまでしてきたこと? なんだそれは? 一体どういう意味だ」


「兄貴、これだけは信じてほしい。俺は兄貴に何も隠そうとしてないし、むしろ全てをさらけ出してる。そして、俺自身、ここに来てから何も変わっとらん。後は、兄貴次第なんや」


 そう言うとケンタは、玄関の方に向かって歩き出した。


「俺次第? ちょっと待て、ケンタ」


「兄貴、迷ったときは過去を振り返るのもいいかもしれへんで、自分のルーツを知っておくのは意味のあることなんや。それと、今日は遅くなるから食事は作られへん。すまん兄貴、今日、初めて約束を破ってまうな」


 ケンタはどこか寂しそうにそう言い残して、そのまま外に出て行ってしまった。

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