第9話 違和感
私は、さっきまで絵の選定に使っていたパソコンを手元に引き寄せて、ビデオデータを保存してあるホルダをクリックした。
「ええっと、この辺りがいいかな?」
私は、「リョータ、5歳の誕生日」というタグのついたホルダをクリックしてそのビデオ動画をスタートさせた。
「さあ、さあ、始めるわよ! テレビを消して、みんな座って、座って」
元気の良い母親の声が聞こえてきた。なつかしい茶の間の映像だった。
「来年に控えたアメリカ大統領選は、どうやら、共和党のジョージ・アダムスと、民主党のクリス・イーバンとの争いになりそうです」
テレビのニュースの音声が流れていた。リモコンを探していた祖母に代わって、テレビの一番近くにいた祖父がテレビのスイッチを直接消した。ケンタは、畳の上でレゴブロックで遊んでいた。茶の間の丸テーブルの上には、五本のローソクがたててあるデコレーションケーキと、当時大好きだった手巻き寿司の様々な具材が、彩よく奇麗に並べられていた。
みんながいつもの場所に座った。私の左側に祖母と祖父が順に座り、右側には父親があぐらをかいて座り、ケンタはその父の足の上に座らされた。母親は、テーブル越しの私の正面にいてビデオカメラをまわしているため映ってはいない。ケーキのろうそくに火がともされると、みんなが私のために歌を歌ってくれた。
「ハッピバースデー、トウーユー♪ ハッピバースデー、トウーユー♪」
しかし、その映像をみていたとき、私はふと妙なことに気が付いた。
(あれ? 父さん、俺の方を見ていない)
父親は歌いながら手拍子をしていたが、ケーキや私の方には顔を向けておらず、畳の方に視線を落としていた。
「ハッピバースデー、デイア、リョータ♪ ハッピバースデー、トウーユー!」
歌が終わると同時に当時の私がろうそくの炎を吹き消すと、「おめでとう、リョータ!」という声が一斉にあがり、ビデオカメラを持っていた母親の声が一番大きく響いていた。
映像をみていたクジュが、目を潤ませていた。
「いいわね、家族って、ほんとに。なんだろう、変ね、私ったら、泣いたりして」
彼女に失礼かもしれないが、ちょっと意外な反応だった。小さい頃の私の姿をみて、はしゃぐように喜んでくれるものと思っていた私は、少しだけ自分が恥ずかしくなった。
「ありがとう、クジュ」
「ううん、私こそ。もっと見てもいい?」
「ああ、もちろん。ほら、写真もあるよ」
クジュは、写真のホルダを開けると、時間をさかのぼるようにして、私たち兄弟の写真を眺めていった。ときおり笑顔を見せる彼女の瞳には、もうさっきの涙はなかった。
「こうして見ていると、やっぱりあなたたちって、よく似ているわね。兄弟だから当たり前のことかもしれないけれど」
「でも、性格はだいぶ違う」
「ふふ、そうかもね。ケンちゃんの彼女ってどんな女性なの?」
「あいつの彼女? いや、そういう話は今まで聞いたことがないな」
「えっ? 本当? ケンちゃん、彼女いないの?」
「僕が知る限りは、たぶん」
「へえー、そうなんだ、意外ね」
「どうかした?」
「いえ、私ね、ここにはケンちゃんの彼女がしょっちゅう遊びにきているんだろうなって思っていたから」
「え、どうして?」
「だってここって、男性が二人で暮らしているわけでしょ。でもそのわりには、がさつな雰囲気があまりないなと思って。どことなく、女性の感性が垣間見えるっていうか。たとえば、カーテンの柄とか、飾り棚においてある小物類とか、壁にかかってある絵とか」
それは、彼女に言われるまで、全く意識をしたことがないことだった。このマンションには、私が大学四年生のときから住んでいる。ケンタが旅から帰ってきたとき、私と一緒に住むと言い出したため、それまで住んでいたアパートを引き払って、この二LDKのマンションに引っ越してきたのである。
確かに、カーテンは、引っ越してきたときに私が購入したものとは違っているように思えた。私はシンプルなデザインが好きなため、今掛かっているような柄付きのではなく、おそらく無地のものを選んでいたと思う。小物類や絵に関しては、私には買ったりもらったりした覚えがないので、弟が持ち込んできたことになるが、いずれも弟の趣味からは外れているような気がした。
「それとね、変なことを言っているかもしれないけど、どうして、このリビングのテーブルには椅子が三つあるのかなとか、今私が持っているこの花柄のウェッジウッドもね。このマグカップって明らかにあなたたち兄弟のものじゃないわよね?」
彼女の言うとおりだった。それらのことについて彼女に全く説明することができない自分に驚くとともに、なにかざわざわとした感覚が、私を急に覆い始めた。
ピピッ!
彼女のスマホの音が鳴った。
「あっ! ちょっとこれを見て、大変よ!」
彼女は自分のスマホを私の前にもってきた。その画面には、緊急速報という見出しの記事が映し出されていた。
「東西大学の講義室で爆発事故が発生。就職セミナーに参加していた学生に多数の死傷者がでている模様」
それを見た瞬間、私の頭の中が真っ白になった。
「その大学って、ケンちゃんの大学じゃない?」
「そうだ! しかも、あいつはそのセミナーに参加してる!」
私は急いで自分のスマホをとりに部屋に戻った。ケンタから連絡が入っている様子はなく、すぐに電話をかけた。
「出ろ、ケンタ、早く出てくれ」
私はそうつぶやきながら、スマホの呼び出し音をじっと聞いていた。
そのとき、ガチャッと玄関のドアが開く音がした。
「ただいま」
ケンタだった。脱いだ上着とネクタイを左手にもって玄関に立っていた。
「ケ、ケンタ! おまえ、無事だったのか!」
私とクジュはすぐに玄関まで出迎えた。
「えっ、なんのこと? あっ、御木さん、こんにちは」
「なんのことって、大学で爆発事故があったんだろ? 怪我はないのか?」
「ああ、それね、うん、俺は大丈夫」
ケンタの体からは、焦げたような、きな臭いがしていた。
「本当に大丈夫なのか? 亡くなった人もいるんだろ」
「大丈夫だって、俺には全く関係ないから……さびしいことやけど」
「なんだと?」
ケンタらしくない、そしてよく分からない答えだった。
「兄貴、悪いけど、今夜の食事はキャンセルするわ。ちょっと疲れたから、このまま休ませてもらう。ほな、御木さん、またね」
そう言ってケンタはさっさと自分の部屋に入り扉を閉めた。
私と彼女は互いに顔を見合わせた。
(なんなんだよ、あいつ)
その後、私とクジュの二人だけで食事に出かけたが、二人ともケンタのことが気になってしまい、お酒を飲む気にもなれず、早々に切り上げて、私は車で彼女を家まで送っていった。
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