第8話 セルフブロードキャスター

 私とクジュは、ノートパソコンの画面を見ながら、ギャラリーに出展する絵の選定をしていた。


「だから今回のギャラリーは、この画家の作品オンリーでいきましょうよ。私たちのコンセプトが、より明確に伝わるわ」


「うん、まあ確かにそうかもしれないけど、別のこっちの画家と組み合わせた方が良くない? それぞれの時代背景が対照的なのに、美しさを捕らえる視点が同じってところがいいと思うんだ」


「だめよ、そんなことをしたら、お客さんが混乱しちゃうでしょ?」


「いいじゃないか、大いに混乱させて迷わせれば。だって、どうせ高いお金を出してもらうんでしょ? 選択肢は多い方がいいよ」


「そんな、車を選ぶとかじゃないんだから」


「いいや、基本的には同じだと思う」


「ゆずらないわね」


「ゆずらないよ」


「もう! じゃ、キスして」


「はい」


 短いキスを交わすと、私は席を立ち、キッチンに行ってコーヒーをいれてきた。彼女は、ありがとうと言って、ウェッジウッドのマグカップに唇を寄せた。


「何か、テレビでもみる?」


 コーヒーの香ばしい香りが、小休止の軽い雰囲気を醸していて、ちょっとした雑音を入れたい気分になった。


 だが、彼女は首を横に振った。


「最近あまりおもしろくないのよね。芸人さんたちがずいぶん減っちゃったせいかな?」


 普段ほとんどテレビを見なくて、そういうことに疎い私は、テキトーな返事をしなくて済むように視線を下に向けた。


「今はやっぱり、セルブロ〈セルフブロードキャスターの略称で、インターネットを介して様々な企画や出来事などを自己配信する者たちの総称〉よね」


 思いもよらない単語が彼女の口からでてきた。私がまだ知らない彼女の一面を匂わせるようなそれは、幼いころのケンタが一番なりたかったものだった。セルブロとは、である。


「セルブロか」


 自分で言うと、なんだか懐かしい響きだった。


 父と母、おじいちゃん、おばあちゃん、ケンタ、そして私、皆が一緒に食卓を囲みながら、なにかと私たち兄弟の将来のことを話題にしていた頃のことを思い出した。


「デンデンデデデン、ハロー、マイフレンズ!」


 そう言いながら、当時ものすごく人気のあったセルブロのモノマネをしていたケンタは、普段は見せない妙に真剣な顔付きをして、みんなの笑顔を誘っていた。


 一方、当時の私の夢は、両親と同じ医師になることだった。でも、本当はどうしたいのか、何になりたいのか、自分でもよく分かっていなくて、ただ、医師になりたいと言うとなぜか母親がすごく喜んでくれて、それを見るのがうれしくて、だからつい、そう言っていた。


「あのー、会話がとぎれてるんですけど」


 気が付くとクジュが、ほっぺを膨らませていた。


「あっ、ごめん」


「もう、何を考えていたの?」


「いや、ちょっとね。そうそう、セルブロだったよね、好きな人とかいるの?」


「今は特にそういう人はいないかな。あっ、そうそう、けっこう前の話だけど、この人すごいって思っていたセルブロが一人だけいたわ」


「へえー」


 私は相づちをうちながらコーヒーを口に含ませた。


「昔、オウンクラフトっていうゲームがあったでしょ? 様々な種類のブロックを使って、お家とかいろんなもの創っていくっていう。そのゲームの天才が居たのよ。名前は確か……Kenpokosan(けんぽこさん)!」


 ブッ!


 私の口から、ふくんだばかりのコーヒーがふき出た。


「きゃあ!」


「ごほ、ごほ、ご、ごめん」


「なんなのいきなり? どうしたのリョータ?」


「いや、なんでもない。それよりその、Kenpokosanって?」


「Kenpokosan? ああ、確か、今から四、五年くらい前だったかしら、当時のセルブロの間ではかなり話題になっていた人なの。とにかく、マインクラフトで創った彼の世界は、ものすごく高い芸術性をもっていて、しかもめちゃくちゃリアルで、その、なんて言ったらいいか、一度見たら絶対に忘れられなくなるような異次元の世界みたいな」


「君にそこまで言わせるなんて、相当なもんだね」


「私は別にそんな、でも実際、彼はすごかったと思うわ。だって、当時のアメリカ大統領も注目していたくらいだから」


「ええ! それはすごい。ちょっと見てみたいな」


「残念ながら彼の動画は削除されていて、今はもう見れなくなっているの。一年くらいで活動を辞めちゃったみたい」


「どういう人だったの?」


「それが全くの謎なのよ。性別すら分からないの。本人自身の映像も声も全く出ていなかったし、SNSでのやりとりもほとんどなかったみたい」


 もちろん私はケンタのことを考えていた。今から四、五年前というと、ケンタはまだ祖母の実家にお世話になっていた頃だ。当時の私はすでに上京していたから、ケンタがそのとき何をしていたのか詳しくは分からない。


「ねえリョータ、せっかくこうしてあなたの家にいるわけだし、ネットの動画よりも、あなたのことをもっとよく知りたいわ。昔の写真とかはないの? あっ、ごめんなさい」


 彼女は、私の実家が津波の被害を受けたことを思い出したようだった。実家にあった写真やビデオは、そのデータを保存していたパソコンと、印刷やDVDにしたものも含めて、全て津波に流されてしまっていた。


「いや、気にしなくていいよ。あるんだ、昔の写真とビデオが」


 実は、母親がヴィーグル社のクラウドサービスを使って写真とビデオに関するデータを全て保存していた。なぜかケンタが母親のアカウントを知っていて、ケンタが旅から戻ってきたときに私にそれを教えてくれたのである。それで私は、ヴィーグル社に問い合わせて事情を話し、そのデータを譲ってもらっていた。しかし、こうしてクジュに言われるまで、その写真やビデオを見ようとしたことはなかった。もちろん、見たくないという訳ではなかった。ただ、それらを見て、家族と一緒で楽しかったあのころを思い出すことが、その後の私の心に大きな負荷になるかもしれない、そう思うと怖かった。


 だけど今はこうして、私のそばにはクジュがいる。彼女と一緒にそれらを見られるということが、とてもうれしいと感じた。

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